(15)
ギチギチギチギチ……。
カタタタタタ……。
不気味な音が鳴り響く迷宮泉のほとりに、マリエーテ、カトレノア、ティアナ、トワの四人が、毛布を頭から被りながら身を寄せ合うようにして座っていた。
長く密度の濃い一日が、ようやく終わろうとしている。
周囲の騒音から気を逸らすかのように、マリエーテとカトレノアがとりとめのない会話をしていた。
「き、金貨七百枚で、一気にレベルアップするのではなかったのですの?」
「誰もそんなこと言ってない」
「夜はベッドで、ぐっすり眠れるんじゃなかったんですの?」
「確か、本部にいる間は、って言ってたはず」
マリエーテは、少し離れた場所にいるロウの様子をちらりと窺った。
「このために、お兄ちゃんは私たちの持久力を鍛えて、魔核をとらせていた」
髑髏の仮面と暗黒の長外套を身につけたおどろおどろしい冒険者が、炭火の上に鍋を置き中身をかき混ぜている姿は、かなりシュールである。
「すべて、予定通りの行動だった」
だが、まさかこんな狩りを行うとは思わなかった。
「お兄ちゃんが言ってた。やり方によっては、不人気な場所でも絶好の狩場になる場合もあるって」
「“死の階層”ですのよ。不人気すぎますわ」
カトレノアがヒステリック気味の声で囁く。叫び出さなかったのは、この迷宮泉に繋がる通路に、追跡蟻がひしめきあっているからである。
「こんなの、自殺行為と何ら変わりませんわ」
初級冒険者の狩場としては、地下第十九階層の“光の墓場”が有名だが、地上から片道で三日はかかるし、獲物である雷光精霊は単体で出現するので、どうしても効率が落ちる。
「でもここは近道のすぐ上だし、魔物の数も多い。そして、他の冒険者はいない」
追跡蟻の魔核は雷光精霊ほどではないにしても、他の浅階層の魔物たちと比べると、かなり大きい。
「ある意味、理想的、といえなくもない」
マリエーテが断定しなかったのは、あまりにもリスクが大き過ぎるからだろう。
「……なあ、マリン。あのシェルパの兄ちゃん、何もんなんだ?」
ティアナもまた、ロウの方を見ていた。
「あんな鉄板みてーなやつを振り回し続けて、しかもオレたちと同じくらい走り回ったはずなのに。なんで、けろりとしてるんだよ」
ロウが持つギフトについて、マリエーテは知らない。冒険者にとってのギフトは秘匿すべき個人情報である。ユイカもそう考えたらしく、詳しくは教えてくれなかったのだ。
ただ、ひとつだけ。
「……“階層喰い”」
「何だそれ?」
「ユイカお姉ちゃんが言ってた。お兄ちゃんが冒険者をしていた時のふたつ名は、“階層喰い”だって」
階層の魔物をすべて喰らい尽くす冒険者。その意味を、彼女たちはまざまざと見せつけられたのである。
「ちくしょう」
ティアナが目指しているのは、最強の冒険者である。それは強敵を一対一で撃破する戦士であり、弱い敵を叩き潰して道を作る排除屋ではなかった。
だが、それでも。
「……勝てる気が、しねぇ」
魔物の“呼び寄せ”の音に怯え、これからのことを思い暗然たる気分に陥っている少女たちのところに、ロウがやってきた。
「さ、スープを作ったよ。これを飲んで、今日はぐっすり眠るといい」
四つのカップから湯気が出ている。
迷宮探索中に火を使った料理を作ることは、贅沢な行為である。しかしここは近道に近いこともあり、ロウは柳刃と呼ばれる植物系魔物の成果物、“秘黒檀”を持ち込んでいたのだ。
「トワ、ここに置いておくよ」
「……」
丸く膨らんだ毛布の中から手が伸びて、カップを掴むとすぐに引っ込んだ。
休憩中には必ずスケッチブックを取り出して魔物の姿を描いているトワだが、さすがにショックが大きかったのか、毛布の中から出てこない。
引きこもりに逆戻りである。
二日目。
ギチギチギチギチ……。
カタタタタタ……。
迷宮泉から伸びる通路が、まるで冒険者たちを誘うかのように、空気を吸い込んでいる。
だがその奥で待っているのは、数百、あるいは千を越えようかという真紅の魔物の群れ。
侵入者に襲いかかりたいという意思と、迷宮泉から遠ざかりたいという本能の狭間でもがき苦しむかのように、追跡蟻たちは激しく顎を擦り合わせていた。
「……本当に、ここを通るのか」
魔物の姿を見れば嬉々として飛びかかっていたティアナでさえ、魔物で舗装された通路には、二の足を踏まざるを得ないようだ。
「後ろに回り込まれることがないから、好都合だよ」
髑髏の騎士が前進し、鉄板のような巨大剣を構える。
この後ろ姿を、これからどれだけ見続けることになるのか。ティアナは両手の拳を見つめ、ぎゅっと握りしめる。
「さあ、よい“実りの時間”を過ごそうか」
黒い影に続き、四人の少女たちも死地に飛び込んだ。
この狩りにいち早く適応したのは、意外にも四人の中で一番体力の劣るトワだった。“予感”のパッシブギフトをキャンセルし、自分に降りかかってくる災難を感知できなくなった彼女には、周囲を見ている余裕などなく、素早く魔核を取り出すや否や、もっとも安全な場所であるロウの後ろに隠れる。その行為を繰り返すだけだった。小弓は邪魔になるだけなので、迷宮泉のほとりに置きっぱなしのままだ。
だが、結果的には、ロウから離れている時間も短く、危険な目に合う回数も少なかった。
その様子をじっと観察していたマリエーテは悟った。
この狩りは、前をゆく者を全面的に、あるいは盲目的に信頼し、命を預けなくてはならない。
そしてそれは、自分にとって必然の行為のはず。
マリエーテは針突剣を鞘に収めた。
「マ、マリンさん?」
「この方が、早い」
身を守るための武器など必要ない。敵の攻撃は必ず兄が守ってくれる。自分の仕事は最短で魔核を取り出し、“収受”しながら兄の背中を追いかけること。
マリエーテの覚悟を見て、カトレノアも従った。こちらは恐怖と不安を無理やり抑えつつ、薄曲刀を鞘に収める。
「お、おーほっほっほ! 下賤な蟻ごときに、武器など不要ですわ。まとめてかかっておいでなさい!」
半分泣き声のような高笑いである。
一番手間取ったのは、ティアナだった。
戦いを放棄して魔核だけ集めるなど、自分の憧れた冒険者の行為ではない。
だが実際に自分の番が来ると、パーティの前進が止まり、ロウの巨大剣が、周囲にいる追跡蟻を跳ね飛ばす。
自分を、守るために。
「――くっ」
ティアナは頭がよい。それは計算や記憶力といったものではなく、もっともよいであろう動きを、直感的に学習できる能力だった。
彼女の本能が告げていた。
こんな手甲が、あるから。
「分かったよ!」
指先の動きを阻害する手甲を、ティアナはもどかしそうに外す。メルモの話によれば、自分専用の手甲がもうすぐ出来上がるらしい。ならば、こんなお古は必要ない。
ちらりと見えた髑髏の横顔。仮面の下には微笑が浮かんでいる。見えなくとも、分かる。
「いちいち、見透かしやがって!」
ティアナが愛用の手甲を投げ捨てる。
その瞬間、パーティのスピードが上がった。
一列編隊。
巨大剣の一撃で追跡蟻の頭部が跳ね飛ばされ、すかさず編隊から飛び出した少女が魔核を拐い、再び戻ってくる。
その順番は決まっているが、頭部があらぬ方向に転がった場合、一番近くにいる少女が飛び出す。
そのため、自然と声掛けがされる。
狩りの効率が上がり、少女たちが「これならばいける」と感じると、ロウのスピードがさらに上がる。
息をつく余裕など、どこにもない。
もはや限界というところで、迷宮泉にたどり着く。少女たちの持久力を計算に入れて、ロウは路順を設定していたのだ。
食事と休憩、そして睡眠以外は、ひたすら走り続ける。
そして三日目。
追跡蟻たちが少なくなり、やがて姿が消えた。あれだけ騒がしかった呼び寄せの音も消えている。
「聞こえるかい?」
と、ロウは少女たちに聞いた。
それは、風切り音だった。
「迷宮内はほとんど無風のはずなんだけど、この階層には、一定の、明確な空気の流れがある」
言われて初めて、彼女たちは気づいた。
通路や広間を駆け抜けている時には分からなかったが、迷宮泉で休憩している時に、風を感じていたことを。
「風下にいけばいくほど、魔物たちの密度が高くなっていった。その先に、何かがあると思ったんだけど」
長い通路の先に、広大な広間あった。
形は半円状で、壁には丸く繰り抜いたような穴が百以上も並んでいる。
そして壁際に、一体の巨大な蟻の魔物がいた。
通常の追跡蟻の五倍はあるだろうか。その半分が頭部という、歪なバランスである。顎はなく、代わりに大きな口があり、空気を吸い込んでいた。
異様なのは、腹部から伸びる管である。細く弾力のありそうな無数の管が、壁に空いている丸い窪みへと続いている。
その窪みから、丸まった追跡蟻が転がり落ちてきた。
まだ出現したばかりのようで、頼りなく足や触覚や顎を動かしていたが、しばらくすると何かに導かれるように、歩き出した。
ロウたちのそばを通りすぎ、通路へと出て行く。
無数の丸い窪みから、無数の追跡蟻が出現しては、歩き出す。
「な、なんですの、これは?」
息を整えつつ、カトレノアが呟きを漏らす。
「たぶん、新種の魔物――階層主だね。名前をつけるなら、追跡女王蟻かな」
興味深そうに顎先に手を置いて、ロウは観察した。
「魔物は魔物を生み出さない。でも追跡女王蟻は、空気とともに魔素を吸い取って、壁にある窪みに供給しているみたいだ。これはすごい発見だよ」
魔物の再出現現象については、次のような定説がある。
迷宮核が魔素を生み出し、その魔素が吹き溜まりに集積して魔核が生み出される。魔核は魔物の身体を形作る設計図のようなもの。その種類は魔素が集積した場所の環境によって決まるのだと。
かつてロウはタイロス迷宮で、初級冒険者たちの鬼門であった梟頭熊という固定階層主の出現位置を特定したことがある。ロウの報告をもとに、冒険者ギルドはその場所の通路を一部封鎖すると、魔素の流れが変わり、以降、梟頭熊は出現しなくなった。
追跡女王蟻は、無理やり魔素を吸い集めて、同じ環境で同じ魔物、追跡蟻を量産しているのではないか。
「この発見は、魔物学に一石を投じることになるかもしれない」
しかし少女たちは、ロウほど感銘を受けなかったようだ。
マリエーテが針突剣を引き抜く。
「頭が大きすぎる。動けないみたい」
「今回の狩りは終わりだよ、マリン」
ロウは暗黒骸布の長外套を翻して踵を返した。
「どうして?」
「あの女王が、固定階層主とは限らない。次に別の種類の階層主が生まれてしまったら、追跡蟻はいなくなるからね」
過去、二百年以上に渡って冒険者たちの命を奪い続けてきた死の階層の主を、自分たちの都合のために見逃そうというのだ。
「分かった」
お兄ちゃんは正しいと、マリエーテは針突剣を鞘に収めて、ロウのあとを追いかける。
「今はもう、ここを訪れるのは、わたくしたちくらいのものでしょうから。被害も出ないですわね」
カトレノアもマリエーテに続く。
「……」
ティアナは無言のまま、追跡女王蟻を睨み続けていた。
「地力でここまで来たら、ぜってぇ倒してやるからな。お前も、醜悪鬼も」
悔しそうに宣言して、背を向ける。
「ほら、トワ。帰るよ」
「ふにゃあ」
狩りの終了の声を聞いた途端、広間の入り口部分で、トワはへたれ込んでしまった。
ロウはトワを荷物のように肩に担いで、帰路についた。
通りがかった通路や広間には、追跡蟻たちの成果品である“甲冑鉱”が大量に散らばっていた。溶かして再構成することができる素材で、軽くて丈夫。建築の材料として重宝されている。
拾い集めて帰れば、そこそこの金になるはずだが、今回の目的は狩りであり、資金集めではない。無視して通り過ぎていく。
「今回倒した追跡蟻は、約三千二百体。ひとつの魔核の経験値を平均二十として、ひとり頭、約一万六千。トワとティアナはレベルが上がりそうだね。おめでとう」
深階層での遠征狩りに匹敵するほどの経験値と、ロウが戦いながら敵の数まで数えていたことに対して、少女たちはもはや驚きを通り越し、呆れ果てている。
「お兄ちゃ――ドク。この狩りは、いつまで続けるの?」
マリエーテの問いに、ロウは答えた。
「レベル十か、十一まで」
「……!」
それは、上級冒険者と呼ばれるレベルである。これまでのレベル十到達最短記録保持者は、“死霊使い”ユイカで、冒険者登録をしてから二年半だという。
当時、驚異的な速さと驚愕された記録だった。
「地上に戻ったら、一日休む。そして次の日から三日間、ここで狩りをする。今日と同じ路順を通るならば、魔物たちも再出現してるだろうからね」
トワの足がぴくりと動いた。
「それを半年間続けると、計算上は目標を達成できる見込みだよ。いっしょに頑張ろう」
「びぎゃああああっ!」
両手両足をばたつかせながら、トワが叫んだ。
「離せ、黒髑髏! 帰る! 地下室に帰る。ボクはもう、あそこでいい! うわ〜ん!」




