(14)
地下第二十一階層。
久しく訪れる者のいない無人の階層。
この階層に棲まう魔物はたった一種類だけ。少なくともそれ以外の魔物を目撃したという情報はない。
追跡紅蟻。
魔物単体としての強さについては、硬い表皮に覆われており防御力が高いこと以外に、特筆すべき点はなかった。
やっかいなのは、その行動である。
追跡紅蟻たちは、自分たちの巣への侵入者を許さない。冒険者の姿を発見すると、ぎちぎちと耳障りな音を立てながら最短距離で襲いかかってくる。そして撃退できないと理解すると、強靭な顎を打ち合わせ、仲間たちを呼ぶのだ。
“呼び寄せ“。
こうなるともう始末に負えない。
“呼び寄せ“は、さらなる“呼び寄せ”を呼び、あっという間に追跡紅蟻の集団が形成される。
群魔祭と呼ばれる魔物の大規模集団化現象を、意識的に引き起こす魔物なのだ。
ゆえにこの階層は、発見当初から“死の階層”の呼称を与えられ、いまでもそう呼ばれ続けている。
今から二百年ほど前、長年の調査と多大なる犠牲を払って、地下第二十一階層の攻略法が確立された。
それは、幸いなことに近い距離にあった螺旋蛇道と螺旋蛇道を、最短時間で駆け抜けるというものだった。
運悪く追跡紅蟻に発見された場合、パーティ一丸となって全力でとどめを刺す。そして、死体を完全に消去するために、魔核を抜き取る。
時間と運の勝負という一種の賭けとなるこの攻略方法は、地下第二十二階層への近道ができると、無用の長物となった。
「う、うがああああっ」
赤毛の少女ティアナが、獣のような雄叫びを上げながら玄関ロビーに敷かれた絨毯の上を転がり回っていた。
あ然としたようにカトレノアが聞く。
「ど、どうしたんですの、ティ」
「わ、分からねぇ。なんだか知らねぇけど、心が、気持ち悪りぃ。うぉおおおお!」
「おもしろい顔。うひひ」
すかさずスケッチブックを取り出して、トワがティアナの様子を描き写す。
「か、描くな。こんなオレを描くんじゃねぇ!」
つい先程、彼女たちは新しいパーティメンバーを紹介された。
「じゃあ、紹介するよ」
そう言ってロウが、おもむろに無気味なオーラを放つ黒い長外套を身につけ、これまた無気味な髑髏の仮面を被ったのである。
マリエーテを除く三人の少女たちの理解が行き渡ったのを見計らってから、ロウは軽い感じで自己紹介した。
「この姿の時は、ドクって名乗っているから、よろしくね」
その後、ティアナの顔がみるみる赤くなり、次いでぷるぷると震え出し、突然雄叫びを上げながら、床の上を転がり出したのである。
マリエーテはひとり普段通りだった。彼女にとっては馴染みのある姿である。四歳の時に王都に来てから、十一年間も見守り続けてきたのだから。
「でもお兄ちゃん、どうしてそんな面倒なことをするの?」
「ドクだよ。この姿の時には、迷宮内でも地上でも、そう呼ぶこと」
現役の冒険者がシェルパとして登録することは、原則禁止されている。案内人ギルドは迷宮内の詳細な地図――“シェルパの地図”を所有しており、その情報が冒険者たちに漏れると、不利益に繋がるからだ。
だが、そのルールは明文化されているわけではなかった。もと冒険者がシェルパになることもあるし、シェルパとして働きつつ、冒険者を目指す若者もいる。
そう事情もあって、案内人ギルドとしても厳密にチェックしているわけではなかった。
新たなる道順が発見されると“シェルパの地図”は書き加えられるし、“迷宮改変”が起きるとそれまでの情報は役に立たなくなるのだから、最新の情報を押さえておけば問題ないという考え方である。
しかし、現役の冒険者が現役のシェルパを兼ねるとなれば、話は変わってくる。
ロウはヌークの力を借りて、偽名で冒険者の登録をした上で、案内人ギルド長のゾフタを紹介してもらい、こちらは本名でシェルパの登録を行った。事情を知るのは互いのギルド長のみであり、このことが他の冒険者やシェルパたちに知られると、少々まずいことになる。
ゆえに、妹といえども甘い措置をとるわけにはいかないのだ。
「ほら、いつまで転がってるんだい?」
髑髏の仮面のまま、ロウはティアナに声をかけた。
「この仮面を被っている時は、俺は君の言う “髑髏の騎士”だよ。それでいいんじゃないかな」
「……」
ティアナは動きを止めると、何かを検討するかのように考え込んで、
「いいわけあるかぁああ!」
ふたたび床の上を転がり回った。
何やら精神的にダメージを受けたらしいティアナを無理やり馬車に乗せて、新生“暁の鞘”のパーティはどたばたと出発した。
行き先は、第二迷宮砦。
ロウの姿を見て驚く職員に“近道通行券”を見せる。
「ゴ、ゴンドラはご利用なさいますか?」
ロウはひとつ頷くと、無言のまま銀貨を差し出した。
迷宮門の奥、底の見えない螺旋階段の中心部を、太い鎖に繋がれた鉄製のゴンドラに乗って降りていく。
初めての体験に、少女たちは驚いたり、怯えたり、落ち着きなく動き回ったりと、様々な反応を見せていた。
たどり着いた先は、地下第二十二階層だった。
これまで地下第七階層までしか潜行していない少女たちにとっては、まったくの別世界であり、密度の濃い魔素を浴びているだけでも身構えてしまう。
そこから彼女たちは、ロウの案内に従って、地下第二十一階層へと上がる螺旋蛇道へと向かった。
今となっては誰も使わない路道のはずだが、分厚い光苔に覆われた通路には、真新しい足跡がついていた。
「おそらく、ひとりですわね。歩幅から、かなりの速度で移動したものと思われます」
「正解」
カトレノアの推理に短く答えたのは、他ならぬその足跡をつけたロウである。
幸いなことに一度も魔物とは出会わず螺旋蛇道へとたどり着く。
そこは円柱状の広間で、滑らかな螺旋状の坂道が上の階層へと続いていた。
ロウは四人の少女の方を振り返ると、宣言した。
「この先が狩り場だよ。みんな、心の準備はいいかい?」
わけも分からずついてきた少女たちとしては、黙って頷くしかない。
「では、よりよい“実りの時間”を過ごそうか」
向かう先は、地下第二十一階層。
“死の階層”である。
冒険者育成学校で迷宮階層学の講義を選択していたマリエーテとカトレノアは、この階層についてある程度の知識を身につけていた。
それでも、実感としてはおぼつかなかった。
マリエーテは兄がいるのだからだいじょうぶと、半ば思考放棄していたし、カトレノアはさぞやいっぱい魔物が集まってくるのでしょうねというくらいの感覚だった。
ましてや、迷宮の知識が浅いティアナやトワなどは、新たなる魔物との出会いに、わくわくしていたのである。
最初の広間に、一体の追跡蟻がいた。
大型犬くらいの大きさで、形は蟻と似ている。光沢のある表皮の色は、真紅。頭には目のような円形の膨らみが四つあるが、視力はよくないらしい。
髑髏の仮面を被り、暗黒骸布の長外套を身に纏った重戦士は、背中に担いでいた巨大剣を構えた。
長く、分厚く、そして禍々しい。
おそらく魔物用として作られたその武器の、必要筋力はどれくらいなのだろうか。
あまりにも非現実的な光景に、マリエーテを含めた全員が目を見張った。
「まずは――」
ロウは、剣先で地面を叩いた。
その音と振動に反応して、追跡蟻が巨大な顎を擦り合わせて、ぎちぎちと耳障りな音を立てる。
「追跡蟻を傷つける」
近寄ってきた追跡蟻を、ロウは巨大剣の腹で打ち倒した。
追跡蟻は跳ね飛ばされて、地面の上に転がった。
「自分が勝てないと分かると、この魔物は“呼び寄せ”で、仲間たちに侵入者の存在を伝えようとする」
カタ、カタ、カタ……。
大きなダメージを負った追跡蟻が、地面の上に横たわりながら、巨大な顎を打ち鳴らす。
しばらくすると、通路の奥から、二体の追跡蟻が現れた。
カタ、カタ、カタ……。
すでに臨戦態勢であり、“呼び寄せ”も行っている。
この二体についても、ロウはダメージを与えるだけでとどめを刺さなかった。
カタカタカタカタ……。
さらに五体の追跡蟻が現れる。
「みんな、俺の後についてきて。決して離れないように」
ロウが追跡蟻に向かって突進し、一撃の元に首を叩き切る。いや、勢いと重量で押しつぶす。
「マリン、魔核を。頭だけになっても噛みつこうとしてくるから、気をつけて」
「う、うん」
マリエーテが魔核を取り出すと、ロウが次の追跡蟻へと向かう。
「走りながら“収受”するんだ」
「わ、分かった」
「次、カレン」
「はいですわ!」
ロウが五体の追跡蟻を倒す間に、十体もの追跡蟻が現れた。
兄のことを全面的に信頼していたマリエーテも、なるほどという感じで見守っていたカトレノアも、ロウの振るう巨大剣に憧れと羞恥の入り混じった複雑な表情を見せていたティアナも、魔物の姿形と質感に興奮したような奇声を発していたトワも、少しずつ事態がおかしくなっていることに気づいた。
カタタタタタ……。
いつの間にか、周囲を数十もの追跡蟻に取り囲まれている。
“呼び寄せ”の音は幾重にも重なり、もはや広間全体を揺るがしていた。
「お、お兄ちゃん!」
切羽詰まった声で、マリエーテが叫ぶ。
「ドクだよ。間違えないように」
ロウは一体また一体と、一撃で追跡蟻の首を刎ねていく。
恐怖に顔を引きつらせながらカトレノアが魔核を探るが、手が震えてなかなか取り出せない。
「ひっ!」
飛びかかってきた二体の追跡蟻を、ロウが巨大剣で跳ね飛ばす。
「落ち着いて。焦らず、確実に掴むこと」
「は、はい!」
ティアナの手際は悪かった。彼女は魔核を集めるのはシェルパの仕事だと決めつけ、これまでなおざりに作業をこなしていたのだ。そのツケが回ってきたのである。
「ち、ちくしょう」
「だいじょうぶ。すぐに、コツを掴めるから」
“呼び寄せ”の音と、迫りくる魔物たちの群れに、魔物好きなはずのトワがパニックに陥り、一番安全な場所と思われるロウの腰にしがみついてきた。
「死が、死が、いっぱい!」
「トワ。“予感”をキャンセルして。でないと死ぬよ」
ロウが追跡蟻を倒し、四人の少女が魔核を集める。足を止めていられる時間はほとんどない。ましてや“収受”で魔核を取り込む余裕など。
「ああ、そうそう。言い忘れてたけれど。利き手で魔核を集めつつ、逆の手で“収受”すると効率がいいから」
お茶を飲みながら焼菓子を摘みなさいという感じで、ロウが助言をした。
「む、無理」
「じょ、冗談ではありませんわ!」
「無茶いうな!」
「鬼、悪魔っ、鬼畜髑髏!」
広間内の追跡蟻の数は増え続けていたが、少女たちが作業に慣れるにつれて、その数は均衡し、やがて少しずつ減っていく。
すでに二百体以上は倒しただろうか。
これまでの迷宮探索でも地下室の訓練でも根を上げなかった少女たちが、ごく短時間の戦闘で息を乱し、必死の形相でロウのあとを追いかけている。
「じゃあ、次の広間へ移ろうか。奥の方が魔物の数が多いからね」
その言葉に、少女たちは顔を青ざめさせた。




