(13)
“暁の鞘”の事務所は、本部の一階、今は使われなくなったカウンターの奥にあり、普段は代表のシズと助手のメルモが黙々と事務作業を行なっている。また、ロウをはじめとする支援要員らが入れ替わり立ち替わり訪れては、シズと難しそうな相談ごとをしたりもする。
そんな雰囲気が、戦闘要員の少女たち――特にティアナとトワが苦手なようで、呼び出しがなければあまり近寄りたがらない場所である。
しかし、今回は重要な発表があるということで、メンバー全員が事務所に集まっていた。
シズ、ロウ、マリエーテ、カトレノア、ティアナ、トワ、ハリスマン、タエ、プリエ、メルモ、そしてミユリ。
計十一名の会議だが、全員分の机があるわけではなく、ソファーや予備の椅子に座って、シズの仕事机を中心に、ゆるやかに集まる形になっている。
「“暁の鞘”が結成されてから、四月ほどが経ちました」
代表のシズが、会議の趣旨を説明した。
「ここで一度、我々の現状を把握するとともに、今後の方針を定めるべく、みなさんに集まっていただいたのです」
シズはこれまでの経過を簡単に語った。
クラン結成当初は引越ししたばかりで、満足に設備も整っていなかったが、少しずつ改善されていった。居室が増え、馬小屋ができ、庭が整えられた。
メンバーも増えた。
「特に、懸案事項だった戦闘要員の増員を果たすことができたのは、大きな成果と言えるでしょう。四人の冒険者――つまり標準パーティで潜行することができるのですから」
パーティメンバーは多ければよいというわけではない。潜行する人数が増えれば、食量やポーションなどの荷物が増えるし、戦い方も複雑になる。
一般的に、冒険者四名に対してシェルパがひとり、というのがバランスがよいとされており、各階層の適正レベルなどは、標準パーティの平均レベルをもとに算出されている。
「次に、これまでの収支報告です。メルモ、資料を」
「はい、代表」
メルモが細かな数字が書かれた紙を全員に配った。
常にメイド服を身につけている十三歳の少女は、シェルパとしての有益な能力――ギフトを所有している。
その中のひとつが“写視”といって、目に映ったものを瞬間的に記憶するというもの。
案内人ギルドが管理している “シェルパの地図”を完全にコピーして、偽図――シェルパたちが情報の流出を防ぐために記号化した地図――を持たずに道先案内をすることも可能だが、今のところは書類の写しを効率的に作成するために使われている。
こほんとシズは咳払いをした。
「まずは、大地母神教団からの支援金についてですが、その内容はふたつの種類に分かれており……」
ほとんどのメンバーにとっては退屈な話だった。しかもシズの声はあまり抑揚がない。ティアナがあくびを噛みしめ、トワがうつらうつらとし出したが、商売人の娘であるカトレノアが驚いたように発言した。
「ちょ、ちょっと代表さん、お待ちくださいませ。この――迷宮探索用備品、金貨七百枚、というのは?」
シズが眼鏡の位置をそっと直した。
「時期が来れば説明します。現時点において、あなたたちが知る必要はありません」
パーティレベル三ほどのひよっこ冒険者たちが、とても稼げるような金額ではない。実はとんでもないクランに入ってしまったのではないかと、今さらながらにカトレノアは頬を引きつらせる。
「マリンさん、何かお聞きになってらして?」
こそこそと隣のマリエーテに聞くが、
「お兄ちゃんは、欲しい品物があると言ってた。詳しくは知らない。でも、たぶん」
緊張感のかけらもない笑顔で座っているロウの様子を、マリエーテはそっと窺った。
「必要なものを、買った」
絶望の壁を打ち破り、奇跡を手に入れるための何かを。
続いて、実戦部隊であるパーティの実績報告に移る。
実働約三ヶ月で潜行回数六十五回というのは驚異的な数字だったが、最深到達階層は地下第七階層で、集めた魔核の量は微々たるもの。
おまけに、誰もレベルアップを果たしていない。
これは経験値を得るためではなく、別の目的で迷宮に潜行しているからだが、強さを求めるマリエーテやティアナなどにとっては歯がゆい結果だった。
「パーティメンバー四名の基本能力については、会議が終わってから個別に報告します」
手にしていた書類を、シズは机の上でとんと揃えた。
「これまでのところで何か質問はありますか?」
手を上げたのは銀髪の老紳士、ハリスマンだった。
「質問というよりも要望なのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。どうぞ」
ハリスマンは隣で俯いているミユリを励ますように、そっと肩に手を置いた。
「さ、ミユリ殿。あなたも“暁の鞘”の立派な一員なのです。この場で発言する権利があるのですよ」
「は、はい」
どうやらハリスマンは悩めるミユリのために場を作ってくれたようだ。
ミユリは真剣な眼差しで訴えかけた。
「その。お姉さまさたちが、必死に頑張っておられるのに、僕は――何もできていません」
平日の日中は冒険者育成学校に通っているので、ミユリは休息日に庭木の手入れや馬の世話などを手伝っている。労働力という面に関しては、確かにクランに貢献しているとは言い難いかもしれない。
「そ、そんなことない!」
「ミユリさまはまだ学生の御身なのですから、お気になさる必要はございませんのよ」
マリエーテとカトレノアに続いて、ティアナとトワもミユリを擁護した。
「そうだぜ、お前はめちゃくちゃ役に立ってる。たとえば――何かあっただろ、ほら!」
「たまに、匂いを嗅がせてくれるし」
少なくとも、ミユリを励まそうという気持ちだけは伝わってくる。
彼女たちが迷宮から帰還すると、まっ先にロビーで出迎えて、笑顔で「おかえり」の挨拶をしたり、こっそり地下室にやってきてはお茶とお菓子の差し入れをしたりと、ミユリはパーティメンバーの少女たちにとって、かけがえのない存在となっていたのだ。
しかし、必死の擁護はミユリの思いを否定することになり、悩める少年は言葉が続かなくなってしまう。
「ミユリ」
優しげな眼差しと口調で、シズが問いかけた。
「あなたの気持ちは分かりました。それで、何がしたいのですか?」
「できれば――」
ミユリは訴えかけた。
できれば、マリエーテたちが帰ってきてからは、ともに行動し、苦しみを分かち合いたいのだと。
つまりは、地下室で寝食をともにしたいというのである。
事務所内はしんと静まり返った。
戦闘要員の少女たちに課せられた劣悪な生活環境については、クランの内部でも疑問の声が出ていたのだ。その一番手は、何を隠そうクランの代表たるシズであったが。
まだ十歳でしかない少年の行動を勝手に決めるわけにもいかず、シズは保護者に話を振ることにした。
「ロウ、判断をお任せします」
メガネの奥では「まさかそんなことはさせないでしょうね?」と、思念を込めて睨みつけながら。
「や、ずいぶん心配をかけちゃったみたいだね」
ロウは立ち上がり、シズの仕事机の隣にくると、メンバー全員を見渡した。
“暁の鞘”の誰もが、このクランの影の支配者が、いつも笑顔を浮かべているおさげのシェルパだということを知っている。
「父さま……」
ミユリは父親に訴えかけるような目を向けた。それは他のメンバーたちも同じだが、心情は真逆である。
「残念だけど、それはできないよ」
ミユリが俯き、他のメンバーからほっと安堵の吐息がもれた。
だが、その理由は予想外のものだった。
「今後、みんなが地下室で寝泊りすることは、もうないだろうからね」
驚くミユリを安心させるように微笑む。
「シズさん。現状報告は終わりということで、今後のクランの方針の説明に移ってもいいですか?」
「え、ええ」
少しも気追うことなく、まるで世間話でもするかのようにロウは話を始めた。
「――さて。先ほどシズ代表のお話にあった通り、この四月ほどで“暁の鞘”も形になってきました。今後、いよいよ本格的な迷宮攻略に入るわけですが。その前に、“暁の鞘”を結成した目的を、みなさんにお伝えしておこうと思います」
ロウの話は、おもに迷宮内で命を懸けることになる少女たちに対してのものだった。
“暁の鞘”の目的と、身内であるマリエーテ以外の少女たちの目的は異なる。こちらの事情を打ち明け、互いに覚悟のほどを確認し合おうというのだ。
ミユリの母親であり、マリエーテの義姉でもある“宵闇の剣”の元リーダー、“死霊使い”ユイカ。
彼女は無限迷宮の地下第八十階層で、“収集家”なる上級悪魔に時属性の魔法をかけられ、時が止まった状態で捕われている可能性が高い。
その彼女を、救い出す。
「……ようするにこれは、身内の、ごく私的な目的だよ。そんなことのために、オレは君たちを地下第八十階層の死地へと送り込もうとしている」
ロウは少女たちをじっと見つめた。
「引き返すなら今だよ。ここからは先は、もう戻れない」
しばらくの沈黙の後、マリエーテが言った。
「もちろん私は行く。ユイカお姉ちゃんは絶対に助ける。そのために、私はここにいるのだから」
その目には希望の光が宿っていた。幼い頃から絶望の中でもがき続けきた少女である。この先どれだけの困難が待ち受けようとも、決して諦めることはないだろう。
「わたくしも、異存はありませんわ」
短く答えたカトレノアの表情は、自信に満ちていた。
何故ならば、彼女の目的は現在進行形で叶え続けられているのだから。
「その、“収集家”ってヤツは、強ぇのか?」
期待に胸を膨らませながら、ティアナが聞く。
「強いよ。歴代最強と言われた勇者パーティに競り勝った階層主だから」
「じゃあ問題ねぇ。それに、八十階層には他にも強ぇ魔物がわんさかいそうだしな」
トワはいまいちやる気がなさそうだった。
「ボクは、いろんな魔物を見てみたい。触ってみたい。だから特定の魔物にこだわったりしないし、それ以外のことはどうだっていい。そのユイカってひとを助けると、何かいいことあるの?」
「いいことかどうかは分からないけれど」
ロウはユイカが持つ、魔物を支配するギフト“幻操針”について簡単に説明した。
「それを使うと、魔物が彼女の命令に従うようになる。前に蛇獅子に触らせてもらったことがあるんだけど、耳が分厚くてごわごわしてたなぁ」
「――やる!」
四人の意志統一がはかられたところで、ロウは訓練内容の一部変更を告げた。
地下室での訓練は継続するが、それ以外は自由時間にするという。
「身体を休めるのも冒険者の仕事だからね。本部にいる間は食堂で温かいものを食べて、夜はベッドでぐっすり眠れるよ」
少女たちは顔を見合わせた。
恐る恐るといった様子で、カトレノアが聞く。
「……その、お風呂は?」
こくりとロウが頷くと、少女たちは一斉に歓声を上げた。
ミユリも自分のことのように喜び、少女たちにもみくちゃにされる。
シズもまた安心したように口元を綻ばせたが、今後のことを思い気を引きしめた。
「それで、ロウ。本格的な迷宮攻略に移るとのことですが、具体的にはどうするのですか?」
セオリーでいうならば、地下第二十階層の主“関門”を倒して、中階層に挑むというものだが、そのようなありきたりな手法は取らないであろうことを、シズは予測していた。
ロウは簡潔に答えた。
「強制レベリングを行います」
マリエーテやカトレノアなどは不可解そうな顔をした。
強制レベリングにはふた通りの方法がある。冒険者ギルドに依頼を出して、魔核を集めさせる――要するに金の力でレベルアップする方法と、パーティ内のレベルの高い冒険者がレベルの低い冒険者を守りながら、深い階層で“狩り”を行う方法である。
どちらにしてもごく初級の冒険者にしか適用されない方法だった。
何故ならば、レベルを上げるために必要な経験値は、レベルが高くなればなるほど大きくなるなるからである。
特に、中級冒険者と呼ばれるレベル五からの必要経験値は膨大なもので、親鳥が雛鳥に餌を与えて、すくすく育てるようにはいかない。
「ティとトワのレベルを、私くらいに合わせるということ?」
マリエーテの意見は現実的なものだった。
“暁の鞘”のパーティメンバーのレベルは、カトレノアが五、マリエーテが四、ティアナが三、トワが二である。
全員が四以上になれば、より“おいしい”稼ぎ場で“狩り”を行うことができるだろう。
「う〜ん、もう少し上かな」
ロウの回答は曖昧だった。
「はっ」
何かに気づいたように、カトレノアが口元を押さえた。
「まさか、金貨七百枚を使って――」
彼女はボルテック商会の娘であり、金の力を使ってレベルを上げることに対して抵抗感はない。資金力も個人の力量だと考えているからだ。
カトレノアの考えを読みとったのか、ロウがおもしろそうな表情を浮かべたが、はっきりとした回答は口にしなかった。
「まあ、強制レベリングについては、お楽しみということで。それからもうひとつ、次に迷宮に潜行するときには、新しいパーティメンバーを紹介するよ」
寝耳に水の話に、少女たちは動揺した。
“暁の鞘”のパーティには、カトレノアに続き、トワとティアナが加入した。今後もメンバーの追加があるかもしれないと考えてはいたが、ここひと月半ほどは、四人の固定メンバーで迷宮探索や訓練をこなしてきた。
互いの考え方も分かり、ようやく連携がとれてきたと感じていた矢先のことである。期待よりも不安が先走るのも無理のないことだろう。
「そのひとは、ちょっと変わった冒険者でね。名前はドクっていうんだけど、いつも髑髏の仮面と黒い長外套を身につけているんだ」
「それって」
目を丸くして驚いたのは、ティアナである。
「まさか、髑髏の騎士さま?」
「ああ、ティアナは面識があるんだったね」
「ほんとか? 本当なんだな!」
ティアナは拳を握りしめると、全身で喜びを表現した。
「やったぜ! あのひとに会える。それどころか、いっしょに戦えるんだ。うぉおおおっ!」
「いったい、どなたですの?」
訝しげなカトレノアの問いに、ティアナがにやりと笑って答えた。
「ふたつ名は、“浅階層旋風”。最強の冒険者だ」
「“浅階層旋風”?」
カトレノアとともに、何故かロウも首を傾げた。
「あのひとは、いつも浅階層を風のように駆け巡ってるんだ。たぶん、ピンチに陥ったひよっこ冒険者を助けるために」
「それにしては、わたくしたちは一度も会えませんでしたけれど」
会えなかったのには、理由がある。
「……本当にお強いんですの?」
「ったりめぇだ。オレが敵わなかった“関門”を、たった二撃で倒したんだぞ。あの人は!」
頬を上気させつつその時の勇姿を思い出しているティアナは、自分に向けられている視線に気づいた。
「どうしたんだ、代表の姉ちゃん。そんな悲しそうな目をして」
「いえ、なんでもありません」
と、シズは答えた。
それは悲しそうな目ではなく、可哀想な娘を見る憐憫の目であることに、この時のティアナは気づかなかった。




