(9)
“暁の鞘”は確かに立派な組織だった。
設備面は文句のつけようがない。敷地は広く、広い庭と馬小屋がある。屋敷は三階建てで、メンバーの居室だけでなく、ロビーと食堂、事務室、そして地下にはワイン倉庫を改造したという巨大な訓練場まで備えられていた。
不満があるとするならば、パーティメンバーとなる仲間のことだろうか。
冒険者育成学校出身だというマリエーテとカトレノアは細くて弱そうだし、トワに関しては背が低くて、ちんちくりんだ。
正直言って、弱かったタニスたちよりも、さらに頼りない感じがする。
だが、ティアナは前向きに考えた。
自分の目的は、自分自身が強くなること。仲間が弱くて足手まといになるようならば、別のパーティを探せばよい。
それまでは、この設備を存分に活用させてもらおう。
初日は引越しの作業に追われた。荷物は少ないが、これまでに買い集めた装備品や消耗品はかなりかさばる。
「あまり、よい品とはいえませんね」
ティアナにとっては虎の子の、銀貨一枚もしたヒールポーションを確認しながら、シズが言った。
“暁の鞘”では、ボルタック商会が販売している高品質のポーション類を、必要なだけ迷宮に持ち込むのだという。
「つ、つまり。使い放題ということですか?」
恐る恐る聞いたメルモに、シズは肯定した。
「ポーションの使い惜しみで万が一のことがあれば、後悔してもしきれません。必要があると判断したのなら、躊躇わずにお使いなさい」
「ひ、姫さま。ここは天国です!」
「姫じゃねーつうの」
また、ティアナの武具や防具についてもシズのチェックが入り、やはり素材がよろしくないということになった。
「迷宮内で使用する装備品は、軽くて硬いもの、というのが原則です」
何故ならば、冒険者が身につけているものの重量によって、ギフトの発動確率が変化するからだ。
特に制限が厳しいのは魔法ギフトで、金属製の武器などを身につけていると、かなりの確率で崩陣する。
戦士系の職種であっても、重い装備はアクティブギフトが空包する可能性が高まる。
強い魔物と戦う場合には、致命傷になりかねない。
ゆえに冒険者たちはこぞって、軽くて硬い、高価な武具を買い求めるのである。
「迷宮から産出する結晶鉱石を使うべきですね。魔銀は軽く粘りがありますが、やや強度に劣ります。金剛鉱――いえ、重幻鉄がいいでしょうか。専門の業者を呼んで、採寸をして……」
「ひ、姫さま!」
「お、おう」
金銭感覚が欠如しているティアナだったが、武器や防具に関しては多少の相場感があった。
自分の稼ぎでは十年かかっても買えないような高価な装備品を、このクランは気前よく用意してくれるというのだ。
さすがに背中に薄寒いものを感じてしまう。
その後、クランの移籍に関する書類などを書かされ、自室を整えたところで、迷宮探索に出かけていた仲間たちが帰ってきた。
「ただいまぁ」
「戻りましたわ」
玄関ロビーに現れたのは、マリエーテとカトレノアである。疲れ切っているのか、持久力を回復させるキュアポーションをちびちびと飲んでいた。
続いてロウ――と、彼に背負われて干物のようにぐったりしているトワ。
「ごほう、び……」
虚空に向かって手を伸ばしたトワに、ため息まじりにシズが見せたのは、鮮やかな緑色をした岩石の欠片だった。
途端にトワが元気になり、ロウの背中から飛び降りると、シズのところに駆け寄って岩石の欠片を奪いとった。
「ぐひっ。マ、孔雀石。これで、描ける、描ける……いひひ」
呆気にとられているティアナに、シズが説明した。
「岩絵具の、原料です」
「は?」
意味が分からない。
重い足どりでやってくるマリエーテとカトレノアに、ティアナは軽い感じで声をかけた。
「おう、お疲れ。ちくしょう、オレも潜行したかったなぁ」
「……そう」
「まったく、お気楽ですわね」
ふたりの反応は、ややトゲのあるものだった。
床の上に寝そべって緑色の石をうっとり見つめているトワを、ロウは無造作に、まるで荷物のように担ぎ上げる。
「ほら、いくよ」
「ぐわっ、もっと堪能したい」
四人は地下へと通じる階段に向かったが、その途中でロウが振り返った。
「今から訓練をするけれど、見学するかい?」
迷宮探索の直後というのには驚いたものの、修行や訓練という言葉が大好きなティアナは反射的に答えていた。
「いく!」
「あ、私もよろしいでしょうか」
メルモもぱたぱたとついてくる。
“暁の鞘”の地下室は、どの部屋よりも広かった。ところどころに太い石柱があり、天井を支えている。さらには地下だというのに、この巨大な空間はぼんやりと明るい。
「迷宮の環境に少しでも近づけるために、光苔から抽出したエキスを床に撒いてあるんだよ」
ロウの回答に、ティアナはなるほどなと思った。
薄暗い地下。光苔のエキスによる床下からの明かり。そして息が詰まるような閉ざされた空間。
確かに、ここは擬似的な迷宮だ。
馬車の車庫入れを終えたハリスマンがやってきて、ようやく訓練の準備が整う。
「さ、本日も参りますぞ」
この銀髪の老人が、剣術の指南役なのだという。
見学しているティアナとメルモの前で、奇妙な訓練が繰り広げられていた。
背負鞄を担ぎ、木刀を携えたマリエーテとカトレノアが、飛び跳ねるようにして移動している。
「ふたりとも、足が鈍くなっておりますぞ!」
相対するハリスマンは、片手に木刀を構え、もう片方の手を腰の後ろに隠している。
ハリスマンを誘うように、離れたり近づいたり、あるいは幻惑するように交差したりして、とにかく動き回るマリエーテとカトレノア。
「――はっ」
ふたりが一直線になった瞬間、前方にいたマリエーテがハリスマンに飛びかかった。
攻撃の直前に急停止し、右側に飛び跳ねる。
後方から現れたカトレノアが、会心の笑みを浮かべながら襲いかかった。
「撲殺ですわ!」
「甘い」
ふたりの狙いは、カトレノアが鍔迫り合いをしている間に、マリエーテが側方から攻撃する、というものだった。
だがハリスマンは巧みな剣捌きでカトレノアの斬撃をいなすと、飛びかかってきたマリエーテに蹴りを放った。
「――ぐっ」
とっさに防御したものの、その蹴りの威力は凄まじく、マリエーテは跳ね飛ばされた。
「マリンさん!」
「よそ見とは、余裕ですな」
わずかに気を逸らしたカトレノアも蹴り飛ばすと、ハリスマンは後ろ手に隠していた魔棒を振りかざした。
「ちょい、ちょい」
魔棒の先が光の軌跡を描き、簡素な魔法陣が完成する。
「ちょいっと」
ハリスマンが手首を翻すと、魔法陣が五つに分裂して、周囲の壁や柱に張りついた。
「い、いいのですか?」
慌てたのはメルモである。
訓練で魔法ギフトを行使するのはやり過ぎである。下手をすると死人が出かねない。魔法とはそれほどに危険な攻撃手段なのだ。
しかし、ロウの返事はのんびりとしたものだった。
「だいじょうぶ。トワがなんとかする」
トワはひとり離れた位置にいた。その手には、小弓を構えている。
「ふぎゃああ! きたぁ」
尻尾を踏まれた猫のような叫び声を上げながら、トワは素早い動きで腰につけていた矢筒から矢を引き抜く。訓練用なのか、矢尻の先が丸く、布で覆われているようだ。
「ひとつ」
お世辞にも勢いがあるとはいえない山なりの矢が、的となった魔法陣を撃ち抜く。
光の軌跡を乱された魔法陣は、音もなく溶けるように消え去った。
「ふたつ」
次の魔法陣を壊したところで、トワは間に合わないことに気づいたようだ。
「いっぱい」
一度に三本の矢つがえて、撃ち放つ。そのうち二本は魔法陣を掠めたが、残り一本はへろりと外れた。
「――と、思ったけれど。やっぱりだめだったか」
「ああっ!」
メルモが両目を隠す。
残った魔法陣が甲高い音を立てて砕け、効果が発現した。
魔法陣が消え去った場所に、拳大くらいの大きさの白色の球体が出現し、周囲を明るく照らした。
ロウが悪戯っぽく笑う。
「“照光”だよ」
光属性の支援魔法。光源を作ることができるが、攻撃力はない。光苔が生えている迷宮内ではあまり使い道はないものの、地上ではかなり有用な魔法だった。
「トワ、パーティ全滅。腕立て五十回」
「ううっ、鬼シェルパ」
「もう十回増やそうか?」
「嘘です。慈悲深いシェルパのお兄さま」
背負袋の中には重石が入っているようで、かなりキツそうである。
腕をぷるぷる震わせながら、トワが腕立て伏せを始めるが、
「ズルしたら、さっきのご褒美は没収――」
「してないっ」
床につきかけていたトワの膝が、ピンと伸びた。
一方、床の上に仰向けになって、ぜいぜいと荒い息をついているマリエーテとカトレノアは、ハリスマンから注意を受けていた。
「マリン殿。疑似攻撃は結構ですが、最初からそのつもりでは、相手の注意を引くことはできません。せめて神気を込めて振りかぶるか、打撃を与えた瞬間に回避すべきですな」
「……次は、そう、する」
「カレンさま。味方がやられたからといって、気をそらしてはいけません。その行為は、結果的に味方の命を奪うことになりますぞ」
「分かって、おりますわ」
その後、訓練はしばらく続き、三人はぼろぼろになって床の上に転がった。
「ご、ほうび……」
数え切れないほどの腕立てをこなしたトワが、床の上を這いながら手を伸ばした。その姿はさながら、トドメを刺された後に悪あがきをする屍人のよう。
訓練の様子見にやってきたシズが、ため息をつきながら岩石の欠片を差し出した。
「ア、藍胴鉱。けひひっ、世界は、ボクのもの」
青色の岩石の欠片を抱えながら、トワが身悶えする。その様子を見て、明らかにメルモが引いていた。
「辛いだけじゃ意欲がもたないからね。頑張った子には、ご褒美をあげるんだよ。岩絵具になる石とか、お風呂とか、甘いお菓子とか」
トワを見下ろすロウの穏やかな表情は、まるで飼い犬を躾る主人のようだった。
「さて。君の場合は何がいいかな?」
ロウがティアナに聞いた。
「……」
実のところ、先ほどからティアナはうずうずしていた。
目の前に、強い男がいる。
強いやつと戦えば、自分はもっと強くなれるはずだ。
「あのじいさんと、戦いてぇ」
訓練後も涼しい顔で佇んでいるハリスマンを、ティアナは指名した。




