(7)
「……それから、どうしました?」
冒険者ギルド内の応接室にて。
まるで大地母神に懺悔する咎人のように、タニスはロウにすべてを語っていた。
「やるせない気持ちを抱えたまま、俺たちは地上へと帰還しました。するとあいつが、迷宮砦のロビーで待っていて。けろりとした顔でこう言ったんです。よお、遅かったな……って。あいつは――ドランは、生きていたんです!」
“悠々迷宮”の他のメンバーたちは、喜ぶよりもむしろパニックに陥った。
互いの無事を確かめ合うと、次々に疑問が溢れてくる。
醜悪鬼を倒したのか。
それとも逃げ出したのか。
シェルパもいないのに、どうやって地上へ戻ってきたのか。
しかも、自分たちよりも早く。
少女の答えは、危機一髪のところを噂の骸骨の騎士に助けられて、地下第二十二階層の近道から戻ってきた、というものだった。
ロウはひとつ頷く。
「噂の骸骨の騎士――というのは、おそらくドクという名の冒険者のことでしょう。冒険者ギルドが浅階層の依頼案件を任せているのですが、偶然“光の墓場”を通りかかったみたいですね」
「え? お知り合いなのですか!」
驚きのあまり、思わずタニスは立ち上がった。
「その、できればお会いして、直接お礼をしたいのですが」
「彼には事情があって、他の冒険者たちとの交流を望んでいません。お気持ちだけ、伝えておきますよ」
「はぁ、そうですか」
そう言われしまっては、引き下がざるを得ない。タニスは力なく腰を下ろした。
ロウの隣に座っていた冒険者ギルド長のヌークが、何かを悟ったかのように額に手を当て、首を振った。
「しかし」
と、ロウはタニスを労った。
「今回タニスさんは、パーティのリーダーとして、大変な体験をなさったようですね」
「大変というか、何というか」
タニスは苦悩の表情を浮かべた。ひとつ大きく息をつき、闇を吐き出すように告白する。
「俺は、仲間を見捨てました」
自分たちが、助かるために。
さも当然のごとく、ロウは言い返した。
「それがリーダーの仕事でしょう」
「え?」
「仲間とともに最後を迎える。言葉にすれば美しいですが、絶体絶命の状況に陥り、全滅が避けられない状態であれば、ひとりでも多く生き残れる選択をしなくてはなりません。立場上、それができるのはリーダーだけです。他のメンバーたちを傷つけないためにも」
「……」
おそらくそのことを、誰かに言ってもらいたかったのだろう。タニスは俯き、唇をかみしめた。
「今回“悠々迷宮”さんに同行したシェルパには、奥さんと子供もいます。同僚として、あなたの決断に感謝します」
「……は、はい」
涙ぐむタニスと、慈悲深い微笑みで頷くロウ。
二人の様子を、ヌークが、まるで意図せず詐欺の片棒を担いでしまったことを必死に隠すかのような、複雑極まりない表情で見守っている。
「それで、ドラゴン――と名乗っている冒険者のことですが」
そもそも、パーティ相談役を申し込む発端となった少女の処遇について、ロウは聞いた。
「実は“悠々迷宮”からの除名は避けられないと思い、彼女には、とある攻略組族を紹介していたのです」
「そ、そうだったのですか」
パーティが解散したりメンバーが離脱する時には、様々な問題が起きる。たとえ円満に別れられたとしても、心が傷つき、その後の冒険者生活に影響を及ぼす者も多い。
だが他の誘いがあれば、ショックは少なくて済むだろう。
「余計なことをして、すみませんでした」
「い、いえっ」
ロウが頭を下げ、タニスが慌てたように手を振った。
「どちらかというと、助かりました」
奇跡的な再会を果たしたその場で、赤毛の少女は衝撃的な発言をしたのである。
『なんかさ、オレのことを強くしてくれるクラン? みたいなところがあるみたいだから、そっちにいく』
その時の場面を思い出すかのように、タニスは苦笑した。
「当然のことながら、大騒ぎになりましたよ。怒ったり、なだめたり。とにかく場所を変えて話し合おうということになって」
しかし、今思えば一番よい結末だったのかもしれないと、タニスは言った。
「俺たちには、あいつを見捨てたという負い目がありましたし、その思いはずっと消えなかったでしょう。それにドランは、自分の目的を果たせない“悠々迷宮”に、苛立ちや不満を感じているようでした。このまま続けていたとしても、いずれはたもとを分つ時が来たと思います」
ただひとつ気がかりだったのは、少女が勧誘されたという謎の攻略組族のことだった。
聞いたこともない名前で、実績はほぼ皆無。
しかも、攻略組族というだけでも怪しい。
拠点となる事務所を構えて、パーティメンバー以外の人員を抱えて運営していく組織形態など、果たして存在できるのだろうか。
「ですが、ロウさんの紹介ということであれば安心です」
「ええ、お任せください。それと――」
気軽に請け負うとともに、ロウはさらなる提案を行った。
「彼女の代わり、というわけではないのですが」
パーティ相談役の役割は多岐に渡る。
ヒアリングから問題解決案の提示、パーティ戦略の考察。そして、新たなるメンバーの斡旋。
「戦力が低下した“悠々”さんに、紹介したい冒険者がいるのです」
「え……」
正直なところ、タニスは乗り気ではなかった。
“悠々迷宮”は今、岐路に立たされている。仲間同士の結束力を高めるとともに、新たなるパーティ戦略を構築し直す必要があった。
それに、しばらくは休息も必要だろうと考えていたのだ。
「彼は、魔法使いです」
「――っ」
新たなメンバーを迎え入れる精神的余裕がないと断ろうとしたタニスだったが、思いとどまった。
強力な攻撃魔法を行使できる魔法使いは、上級冒険者となり、深階層を目指すためには欠かせない、希少な職種だったからである。
たたみかけるように、ロウは言った。
「今、あなたが抱えている問題を解決するためには、必要な人材だと思いますよ」
「問題?」
「失いかけた自信を取り戻すためには、その元凶となった存在を、乗り越えなくてはなりません」
「……」
「そう、“関門”と呼ばれている階層主――醜悪鬼を倒すのです。できれば、早い時期に」
固定階層主であるあの魔物は、半月もすれば再出現するだろう。
タニスにしてみれば、恐怖のあまり仲間を見捨てて逃げ出すことになった、文字通りの元凶である。
いずれは相手にすることになるだろうが、今だけは忘れてしまいたい。
きっと仲間たちも同じ気持ちのはず。
心の中で逃げを容認しかけていたタニスは、頬を叩かれたような顔になった。
――違う。
自分たちはあの赤毛の少女に、感謝しなくてはならない。
動機はどうであれ、彼女の行動は、タニスたち全員の命を救うものだった。
そして彼女は、もういない。
次に同じ状況に陥った時、彼女のような勇気を見せることが、果たしてできるだろうか。
弱気な心に立ち向かわず、逃げだそうとしている、こんな自分に。
敬虔な大地母神教の信者でもあったタニスは、ひょっとするとこの状況は女神さまの思し召しではないかと考えた。
大地母神は冒険者たちに、試練と、それを乗り越えるための武器を与えてくださる。
そして今まさに、自分の前には、その双方が提示されているではないか。
「分かりました。お会いしてみます。いえ、是非とも会わせてください!」
再び戦う目を取り戻したタニスに、ロウは力強く頷いてみせた。
「実は、魔法使いの彼もまた、迷宮内での出来事で少し傷つき、自信を失いかけています。ですが君たちならば、互いの心情に共感しつつ、しっかりとした目標を定め、困難な道を歩むことができるでしょう。期待していますよ」
「は、はいっ!」
二人の様子を見守っていたヌークが、この自作自演野郎を何とかしなければ、というような顔をしていたが、感激したように目を輝かせながらロウと手を取り合っているタニスは、気づかなかった。
芸術的な酒瓶からふたつのグラスに、上等な蒸留酒が注がれる。
「おい、ロウ。付き合え」
「……いただきます」
断ると、くどくど説教じみた文句が飛んでくるのが分かっているのか、ロウは素直にグラスを受け取った。
最近めっきり酒量が増えた冒険者ギルド長は、ひと口で煽って深い息をつくと、ロウに確認した。
「それで? 彼はお眼鏡に適ったのだな」
ロウが冒険者ギルドに相談役事業を立ち上げたのは、“暁の鞘”のメンバーを見い出すことと、他の冒険者パーティの実力を底上げすることで、無限迷宮の地下第八十階層に到達するためだった。
つまるところ、このおさげの青年は、たったひとりの女性を助けるために、周囲の人間を――ヌークを含めて――かき回しているのだ。
目的を達成するためには手段を選ばない男だということは承知していたが、そら恐ろしい行動力である。
「最初に会った時は、少々物足りなさを感じましたが、今後は楽しみですね」
「何しろ、死線を乗り越えたからな」
誰かのお膳立てで――とまでは言わなかった。
確認してしまえば、冒険者ギルド長としての責務との狭間で苦悩することになるからだ。
そんなヌークの心情などお構いなしに、ロウは軽い口調で説明した。
「魔法使いが加入すれば、パーティ戦略が一気に広がります。あとは幾つかレベルを上げて、有益なギフトを所有して、それから不要なメンバーを整理できたなら。数年後には“悠々迷宮”も使えるかもしれません」
ずいぶんと長い道のりである。
「そのためにも、タニス君には期待しましょう」
結局のところ、ロウは自分の手駒を揃えているだけに過ぎなかった。
今後はタニスのように、親身になって悩みを聞き、助言をして、時には試練を与え、メンバーを好き勝手に編成しながら、将来有望な手駒を揃えていくに違いない。
苦言を呈しつつもヌークが反対しなかったのは、ロウの行動が結果的に、冒険者ギルドの立て直しに繋がるからである。
――ギルド改革。
ロウが提唱し、ヌークの名の下に実行されている幾つかの施策は、すでに実を結びつつあった。
ヌークは自分のグラスになみなみと酒を注いだ。
「まあ、“悠々迷宮”のことはともかくとして、だ」
話は“暁の鞘”に加入することになった赤毛の少女へと移った。
「件の、女冒険者の件だが」
「連絡は取れましたか?」
「ああ」
身元も本名も不明な赤毛の少女。
だが冒険者の登録時には、身分証の提示が必要となる。
未成年の冒険者を“暁の鞘”に所属させるには、保護者の許可が必要だろうということで、ロウはヌークに連絡をとるよう依頼していたのだ。
「先方の返事は、勝手にしろとのことだった。たとえ命を落としたとしても、いっさい感知しないそうだ」
「呆れた人物ですね」
――お前もな。
とは口に出さず、ヌークはもっともらしく言った。
「貴族とは、特殊なものだ」
「まあ、こちらとしては好都合ですが」
「ただし、侍女の面倒もみろとのことだった」
「侍女? お目つけ役ですか?」
「さあな」
これ以上面倒ごとには巻き込まれたくないと、ヌークは突き放すことにした。
「ふっ、厄介者を抱え込んだのはお前だ。自分で考えるんだな」
ささやかな復讐心を満たしながら酒を煽る。
ロウは腕を組んで思案したが、その様子はコネのできた貴族から資金援助を得る方法はないかと検討しているようにも見えた。
「おい、ロウ?」
となれば、必然的に交渉役は、ある程度の身分を有するヌークとなる。
「余計なことはするなよ。頼むから――しないでくれ!」
四十二歳。元勇者パーティのメンバーであり、今は王国における冒険者ギルドのトップにして、大地母神教の侍祭たる強面の男は、二十歳そこそこの青年に対して心から懇願するのであった。




