(9)
夕食は、穏やかに過ぎていった。
シズの気質をよく知るマリエーテとミユリは、“レベルアップの儀”の一件で、明らかに警戒するそぶりを見せたが、厳格な女執事は表情を動かすこともなく、黙々と食事をしていた。
ふたりはほっと胸を撫で下ろした。
マリエーテとミユリにとって、食事とは家族団欒の場ではなかった。どちらかといえば、作法訓練のような感覚であり、小さなミスも見逃さないシズから及第点を取ることを、無意識のうちに己に課していた。
だがロウが来てからは、そんな雰囲気は消し飛んでいた。
「ミユリ。女神さまはどうだった?」
「はい。お優しい方でした」
「冒険者によっては、雑音が混じったり声が途切れたりして、会話の内容が聞き取りづらい人もいるみたいなんだ」
「そうなんですか?」
ミユリは少し考え込む。
「普通に、お話しできたと思います」
「そいつはよかった」
幸運なことに、ミユリは最初のギフト抽選でアクティブギフト――自らの意思で発現させることがでる技を特殊技能を取得した。
それは、“光剣”という名の技だった。
さっそく恩恵事典で調べてはみたものの、そういった名前を持つアクティブギフトは記載されていなかった。
つまり、誰も取得したことのないユニークギフトの可能性が高いということだ。
実際にどのようなものであるのかは、いずれ明らかになっていくだろう。
「気をつけてね、ミュウ」
過去に苦い経験のあるらしいマリエーテが忠告する。
「有用じゃないギフトを取得した子もいるから」
「はい」
冒険者であれば、酒場で飲んだくれてウサを晴らすというのがお約束なのだが、学校という特殊な環境では事情がやや異なるようだ。
「父さま……」
思いきってミユリは相談することにした。
同級生である女子生徒のキャティが、自分が取得したギフトに絶望し、泣き崩れてしまったのだという。
「どんなギフトなんだい?」
「“精神力向上”です」
「へぇ」
意識せずとも効果が発揮するパッシブギフト だが、その効力の大きさを表す指標――効度は、一だという。
つまり、精神力という能力が一上がるだけ。
「そいつは幸運だね」
「え?」
予想外の言葉にミユリは驚いた。
「あ、タエさん。パンのお代わりをお願いします」
「はい、ただいま」
冒険者の能力は、基本能力――筋力、持久力、瞬発力、体力、魔力の五項目で表されることが多い。
この中に精神力はない。
過去に“鑑定”の上位互換である“神眼”というギフトを取得した冒険者の著書によると、人間には隠しパラメータなるものがあり、精神力はその中で規定されている項目なのだという。
「つまり、レベルアップボーナスでは得ることができない能力値なんだよ」
精神力は基本能力と大きな関連性があり、これが低下すると、本来の能力を十分に発揮できないのだという。
「さらには、判断力の低下もある。迷宮内では生死を分ける要因になりかねない」
どんな一流の冒険者でも、精神力を失ってしまえば、並以下の冒険者となってしまう。
「それに、地上でも役に立つ能力だ」
王国の法律により、特別な場合を除いて、地上でアクティブギフトの使用は禁止されている。
しかしパッシブギフトであれば別だ。
「精神力っていうのは、いわば人そのものの“強さ”だからね。鍛えようと思って鍛えられるものじゃない。生活全般で考えるなら――」
こともなげに、ロウは結論づけた。
「魔法ギフトなんかよりも、よほど有用さ」
「ロウさま、お代わりのパンです」
「ありがとうございます。あ、スープもお願いできますか? 大盛りで」
「はい、ただいま」
救いを得た迷い人のように、ミユリは目を輝かせた。
「父さま! そのことを、明日、キャティに伝えてもいいですか?」
「もちろん」
マリエーテも、そして給仕を勤めるタエとプリエも、嬉しそうにミユリの様子を見つめている。
食事が終わると、ロウはメイドたちに注文をつけた。
「明日から、オレの食事の量を増やしてもらえませんか?」
「どれくらいにいたしましょうか」
「三倍で」
「さん、ばい?」
「はい。お願いします」
メイドたちが帰宅し、マリエーテとミユリがそれぞれの部屋に戻ると、その機会を窺っていたかのようにシズがロウに近づき、感情を抑えた声で要件を伝えた。
「ロウさま。今後のことで、ご相談したいことがあるのですか。できれば、個室で――」
ふむとロウは考え込んだ。
「では、子供たちが寝静まってから、オレの部屋に来てください。それでいいですか」
「結構です」
“レベルアップの儀”が終わってから、シズはずっと爆発しそうな激情を堪えていた。
この男は、観覧席にて大勢の客人が――それも大地母神教団の支援者になってくれるかもしれない上流階級の人々たちの前で、自分のことをミユリの父親だと宣言したのだ。
それだけならば聞き違いで通せたかもしれないが、ミユリもまたロウのことを「父さま」と呼んだ。
これはもう致命的である。
シズはぎゅっと拳を握りしめて、ロウの寝室の扉をノックした。
『――あ、ちょっと待ってください』
やや時間を置いてから、扉が開かれた。
「やあ、シズさん。こちらへどうぞ」
まるで貼り付けたような笑顔を浮かべながら、テーブルを案内する。
「いえ、ここで結構です」
一瞬たりとも気を緩めるつもりはない。
「ロウさま」
これまで溜め込んでいた怒りを吐き出すかのように、シズはロウを詰問した。
教団の公式見解では、大地母神の“巫女”であるユイカが女神の化身となり、処女受胎して“神子”であるミユリを授かったということになっている。
ミユリは女神の子であり、父親など存在しないということだ。
ゆえにシズはロウに、ミユリの父親であることを公の場で公開しないようにと、強く申し伝えていた。
「そして、あなたは了承したはずです」
「ですね」
ロウは悪びれた様子もなく、頭をかいた。
「ミユリが少し緊張しているみたいだったので、ついうっかり。いや、すみません」
「うっかりで済む問題ではありません!」
この男が目覚めてから、何もかもが変わってしまった。
ミユリは神秘性をなくし、マリエーテは完全に取り込まれ、信頼するタエとプリエまでも、この男を歓迎する態度を見せるようになった。
たった数日で。
この男の人となりを知るために、ピクニックなど行うべきではなかった。
自分の直感に従うべきだった。
「あなたは、神子さまの父親として、ふさわしくないと断じざるを得ません」
シズは事前に検討していた中でも、もっとも重い処置をとることにした。
「あなたには、この屋敷から出て行っていただきます」
もちろん、無一文で放り出すわけではない。
優秀な執事である彼女は、すでに丘区にある物件に目処をつけていた。
当面の生活費についても計算済みだ。
運び出す荷物は、シェルパの背負鞄と不気味な外套と髑髏の仮面、そして身の丈を超えるほどの巨大な鉄板くらいのもの。
「あなたに拒否する権利はありません。そもそも、あなたがミユリさまのまことの父親だという証拠など、どこにもないのですから」
その時、勢いよく扉が開いた。
寝室の出入り口ではない。それは、室内に備え付けられていたクローゼットの扉だった。
中から飛び出して来たのは、ミユリとマリエーテだった。
何が起きたのか、一瞬シズは理解することができなかった。
この二人には絶対に聞かせられない話だから、個室を指定したはずなのに、何故ここに――
「……」
ミユリは、これまでシズが一度も見たことのない険しい表情をしていた。一方のマリエーテは、ぞっとするほど冷たい眼差しを向けてくる。
「父さまは――」
シズは知らなかった。
この二人が、毎晩 のようにロウの部屋に来ては昔話をねだり、いっしょに寝ていたということを。そしてシズがこの部屋の扉をノックした時に、慌ててクローゼットの中にその身を隠していたことを。
「僕の、父さまです!」
母親そっくりな黒曜石の瞳に涙を浮かべながら、ミユリは叫んだ。
その肩に、マリエーテが手を置いた。
「ミュウ、いこ」
「で、でも。姉さま」
「お兄ちゃんが出ていくなら、私たちもいっしょに出ていけばいい。そうでしょ?」
ミユリははっとした。
「は、はい」
「こんな屋敷、いる必要ない」
マリエーテはミユリの手を取ると、寝室から出ていった。
あとに残されたのは、ただ呆然と立ち尽くすシズと、困ったように肩を竦めたロウである。
「やれやれ、参りましたね」
シズを慰めるように、ロウは言った。
「まさかこういうお話だったとは。すみません」
「い、いえ……」
ほとんど無意識のうちにシズは返事をしていた。
「心配はいりませんよ。二人には明日、オレから話をしておきますから。当然のことですが、シズさんにも教団としての立場がある。それに“レベルアップの儀”で口走ってしまったオレにも責任はあります。そのことを伝えて、その上でシズさんに謝ってもらえれば、きっと二人は分かってくれるはずです」
「は、はい」
まるで救いの女神のような笑顔を、ロウは浮かべた。
「誰にだってうっかりはありますよ。あとのことはオレに任せて、今日は休んでください。決して悪いようにはしませんから」
「あ、ありがとう、ございます」
動揺のあまり、屋敷を追い出そうとしていた相手に向かって、シズは頭を下げていた。




