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(6)

 空気がざわめく気配のようなものを、冒険者育成学校アカデミーの四年生、第一学級の生徒たちは、敏感に感じ取っていた。

 この学級には、上流階級の中でもさらに上位に属する家の子弟たちが集められている。

 ()()()()()を除いて、育成学校アカデミーでは身分に関係なく、すべての生徒を平等に扱う規則きまりになっていた。

 だが、それでも多額の寄付をしてくれる上得意(スポンサー)をないがしろにすることはできない。

 苦肉の策として、学級という枠組みで区別しているのだ。

 社会階級によって、ひとの性格や立ち振る舞いは変わる。

 子供の無作法は親の――ひいては家の責任。ゆえに、上流階級に属する親たちは、自分の子供に対して家柄にふさわしい教育を行う。

 基本的に彼らは、争いごとを好まない。

 少なくとも直接的な暴力に訴えることはまずないといってよい。

 何故ならば、暴力などという野蛮な行為は、何かを勝ち取るための手段に過ぎず、生まれながらにして勝ち得ている彼らには必要なものではないからだ。

 穏やかに和やかに、同じ階級に属する仲間たちとの交友関係を深めることの方が遥かに有益である。

 生徒の入れ替わりが激しい育成学校(アカデミー)で、新たな学級が編成されてから、約ひと月。

 第一学級の生徒たちは積極的に動き回り、新たに編入してきた生徒を取り込んで、自分たちが所属している派閥(グループ)の勢力拡大を図ろうと試みていた。

 そんな中、ひとり孤高を保っている生徒がいた。

 この学校で唯一、特別扱いされている少年――ミユリである。

 黒髪に黒い瞳という、この国では珍しい特徴を持つこの少年は、存在そのものが特別だった。

 専用の護衛役(ボディガード)が常にふたりついている。家の用事で休むことも多いが、単位を落とすことはない。そもそも進級や卒業に必要な単位数というものが存在せず、試験すら免除されているという。

 そういった待遇に対して、意義申し立てを行う生徒や保護者はいなかった。むしろ少年と同じ学び舎に在籍していることに付加価値を見出す者がほとんどだった。

 何故ならば、ミユリはこの国で広く信じられている宗教――大地母神教の、最重要人物だからである。

 聖母、黒姫の子。

 神子(みこ)

 大地母神教の影響を受けている組織や施設内において、彼は半神半人という存在であり、信仰の象徴でもある。

 ひとの作った規則などで縛られたりはしないのだ。

 そういった事情もあり、育成学校(アカデミー)に入学して四年目になるというのに、ミユリには友人がいなかった。

 立場上、仕方のないことではあったが、原因の一端は彼自身にもあるといえるだろう。

 この少年は、まるで神の手が創り出したとしか思えないほどの、美貌(びぼう)の持ち主だったのである。

 繊細な絹糸を夜空の色で染め上げたような黒髪は、星の輝きを宿したかのような光沢を持つ。けぶるような(まつげ)に覆われた黒曜石の瞳は、光の加減によっては青みを帯びることもある。(はかな)げな、という表現がしっくりとくる繊細で柔和な顔立ち。肌の色は乳白色で、かすかに色づく唇は静やかに開花の時期を待つ(つぼみ)のよう。

 一見――いや、無礼を承知でじっくり観察したとしても、本当に少年なのか実は少女なのか、見分けることは難しい。

 性別ジェンダーを超越した、“()の君”。

 そんなミユリに対して、四年生第一学級の同級生たちは、決して無関心ではいられなかった。

 これまでは、“()の君”自身が漂わせている神秘的な雰囲気と、護衛役(ボディガード)たちの威圧感、そして何よりも昨年まで育成学校(アカデミー)に君臨していた“時間(とき)の魔女”の存在が、彼らの行動意欲を萎縮(いしゅく)させていた。

 だが、“時間(とき)の魔女”――マリエーテは卒業した。

 学級編成直後ということもあり、交友関係を構築するためという大義名分もある。

 今こそが、好機(チャンス)なのだ。

 しかしここ数日というもの、ミユリの様子がおかしいことに同級生たちは気づいていた。

 普段は憂いを帯びた表情で窓外(そうがい)の景色を眺めていることが多いのだが、時おり何かを思い出したかのように赤面したり、微笑を浮かべたりしている。

 休憩時間には、押し花らしきものを挟んだ本を開いて、楽しそうに眺めている。

 教室内の空気が、ざわめいていた。


「……あ、あのっ、神子(みこ)さま!」


 休み時間中に、やっとの思いで声をかけたのは、キャティという女子生徒だった。


「そのお花、とてもおきれいですわね!」


 体中の勇気を振り絞っての行動だったのだろう。緊張で汗をかき、少し声が上ずっていた。

 不思議そうにぱちりと瞬きしたミユリだったが、小首を傾げるようにして微笑んだ。


「うん。この前、家族でピクニックに行ったんだ」


 癖のない艶やかな黒髪が、さらりと揺れる。


「う、わ……」


 真っ赤になって狼狽(うろ)えたキャティだったが、ぎりぎりのところで後ずさりするのを堪えた。

 心を落ち着けるためにひとつ息を吐き、本人が笑顔――と思っている引きつった表情で、さらに問いかける。


「そ、それで、どちらに行かれたのですか?」

「ピッケの森だよ」

「ああ、王都の郊外にある」


 キャティは三年間、ミユリと同じ学級だった。だが、これほど長く会話を交わしたことはない。


「へ、へー。ミユリ……も、ピクニックに行くのか?」


 突然会話に加わってきたのは、少し素行がわるいことで女子から顰蹙(ひんしゅく)をかっている男子生徒、ジタンだった。

 途端に、キャティは目を釣り上げた。


「ちょっと、ジタンさん。邪魔をなさらないで」

「い、いいじゃないか、別に」

「わたくしがお話をしていますのよ。それに、神子(みこ)さまを名前でお呼びするなんて――不敬だわ」


 ミユリは両手を振った。


「あ、いいんだよ。名前で呼んでくれて。僕も、そっちのほうが嬉しいし」


 (えさ)を前にした空腹限界の子猫のように、キャティはくわっと目を見開いた。


「そ、それでは! 万が一、ひょっとすると。わたくしも、ミ――ミミミユリさまと、お呼びしても?」

「う、うん。だってみんなとは、三年間もいっしょだったんだから。今さら遠慮なんか……って、キャティさん?」


 ――聞いていない。

 “()の君”を名前で呼ぶこと。

 それがキャティの、今年の密かな目標だったのだ。


「でもさ。ピッケの森って、王都の南にあるちっこい森だろ? あんな所にいって何するんだ?」


 空気の読めないジタンの発言に、キャティははっと我に返った。


「あなた、本当に失礼ですわね! ミ――ミユリさまが、なされたことですのよ。素晴らしいに決まってますわ!」

「だってさ。お前だったら、行くか?」

「……うっ」


 第一学級の生徒は、上位上流階級に属する子供たちである。

 遠出の旅行ならば自慢話にもなるが、近場でのピクニックなど話題にすら上がらない。


「そもそもさ。ピクニックって、何するんだ?」


 あけすけなジタンの疑問に、ミユリが答えた。

 ピクニックは肩肘を張って出かけるものではない。景色のよいとされる場所に出かけて、お弁当を食べたり、散歩をしたりする。果実やキノコが実る時期であれば、なおさら楽しい。


「そうやって季節を感じながら、家族の(きずな)を深めていく。それが、ピクニック――だよ?」


 すべては父親であるロウの受け売りだったが、大地母神教の神子(みこ)であるミユリが語ると、とても神聖な行事のように思えた。


「ぐ、具体的には、どのよう行動を?」


 すでに頭の中で次の休みの計画を固めつつ、キャティが尋ねた。

 自分でも驚くほど積極的にミユリは語った。

 ピッケの森には美しい泉がある。そのほとりに布を敷き、“陣地”を作る。食事をしたり休憩したり、休んだり――とにかくそういった行為をするための拠点だ。

 それから泉の周辺を散歩した。

 静かな森の中は、意外にも音が豊かだった。

 木の葉を踏みしめる音、泉から流れる小川のせせらぎ、そして野鳥の声と羽ばたき。

 浅瀬にいる魚を眺め、色鮮やかな(こけ)に驚き、森の草花を鑑賞し、そして野草を食べた。


「や、野草を、ですか?」


 突然の言葉に、キャティが混乱する。


「うん。スビビっていう食べられる草があって――」


 透き通るような薄い緑色に、わずかに赤みがさした野草の、(くき)。ごく当たり前のように、茎の皮を剥いで食べ始めたロウとマリエーテに、ミユリは驚いたものだ。

 試すように言われて、少しだけ(かじ)ってみると、すっぱい味がした。

 正直、美味しいとは言えないかもしれない。


「他にも、桃ユリの(みつ)とか」

「桃ユリって、あの桃ユリですか?」


 屋内での観賞用として人気の高い花である。薄い桃色の大きな花弁と、豊かな香り。高価な香水の原料となることでも有名だ。

 森の中でひっそり佇む桃ユリを見つけたミユリの父親は、まだ開いていない(つぼみ)にナイフで小さな切り込みを入れると、中が空洞になっている別の植物の(くき)を刺して、蜜を吸ったのである。

 少し勇気が必要だったが、ミユリも試してみた。

 甘く、(かぐわ)しく、そして瑞々(みずみず)しい味がした。

 この行為には注意事項がある。

 蜜を吸っていいのは、花の開いていない桃ユリだけ。そして、切れ込みはできるだけ小さくすること。そうしないと種が育たなくなるからだという。

 学校の授業よりも熱心に、キャティが聞き入っている。ジタンも「面白そうだな」と乗り気の様子。


「それから? それから、何をなさったのですか?」

「あとは木登りをしたり、(こけ)の上を裸足で歩いたり……」

「は、裸足で!」


 淑女(しゅくじょ)たる者、足を見せることを恥じ入るべきだが、キャティが鼻息を荒くしたのは、ミユリの生足を想像したからである。


「ミユリって、意外とやんちゃなんだな。もっと大人しいかと思ってた」


 ジタンが素直な感想を口にする。


「教えてもらったんだ。と――」


 笑顔で言いかけて、ミユリは急に口ごもった。

 少し眉根を寄せ、唇を噛みしめる。

 いつの間にか、ミユリの席の周囲には教室内のほとんどの同級生たちが集まっていた。


「ミ、ミユリさま。私にもぜひお話を聞かせくださいな」

「ピッケの森、だっけ。今度、僕も行っていいかな?」

「できれば、いっしょに行きませんか? 馬車やお弁当などは、我が家がご用意いたしますので」

「あなた! ちょっとずうずうしいのではありませんこと?」

「そうよ。ミユリさまを独占しようだなんて許せませんわ!」


 教室の隅には、冒険者レベル七を誇る二人の護衛役(ボディガード)が控えていたが、無邪気な子供たちを蹴散(けち)らすわけにもいかず、戸惑ったように視線を交わし合うのみ。


「君たち――」


 そんな中、群衆の中に分け入ったのは、学級委員長を務めるリクトスだった。


「もう少し、自制心を働かせたまえ。()えある冒険者養成学校(アカデミー)の第一学級の生徒として、あるまじき節度だぞ」


 冷静な指摘に、生徒たちはバツがわるそうに口ごもった。 


「それに、我々は浮かれている場合ではないはずだ。何しろ五日後には、“レベルアップの儀“を控えているのだからな」


 周囲はしんと静まり返り、重苦しい雰囲気が漂う。

 千載一遇(せんざいいちぐう)好機(チャンス)を潰されたキャティは、リクトスに噛みついた。


「余計なお世話ですわ!」

「そうだぜ!」


 ジタンも加勢する。


「せっかくミユリと話ができたっていうのに、水を差すんじゃ」


 少し驚いたように目を丸くしたミユリを見て、あからさまに動揺した。


「――いや、俺は! べ、別にそんなんじゃ、ねぇんだからな? ただちょっと、たまたま――機会があったから、ここにいるだけだ」

「あら、たまたまでしたら、無理にお話しする必要はありませんわよね? ご自分の席に、お帰りあそばせ」

「なんだと!」


 共同戦線は一瞬で崩壊した。

 どうにも収拾がつかなくなりそうな雰囲気だったが、タイミングよく授業開始の鐘が鳴ったので、生徒たちは残念そうに、あるいは不満そうに自席へと戻っていった。

 ミユリは戸惑っていた。

 いつもはみんな遠慮しているのに、急にどうしたのだろう。

 特別待遇を受けている自分は、嫌われていると思っていたのに、違うのだろうか。

 みんなが、変わった?

 それとも変わったのは――自分?

 授業が始まると、ミユリは五日後のことに思いを馳せた。

 “レベルアップの儀”は、育成学校(アカデミー)のカリキュラムの中でも、もっとも重要かつ神聖な行事(イベント)である。

 我が子の晴れ姿をひと目見ようと、家族や家令たちが、大挙して神殿に応援に来る。


「……父さま、来てくれるかなぁ」


 誰にも聞かれない小さな声で、ミユリ呟いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 桃百合の蜜、甘美で背徳的な響きですね。
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