(10)
その瞬間、自分と魔牛闘士とを繋げる糸が解れ、途切れるのを、ユイカは感じた。
感覚的に手繰り寄せても、手ごたえがない。
魔法は――行方不明になった。
「“ミノりん三”、こっちへこい!」
確認のために呼び戻そうとしたが、やはり魔牛闘士は動かない。
ふわりと地面に降り立った髑髏仮面が、ぽんぽんと魔牛闘士の胸を叩き、何ごとかを呟く。
すると、魔牛闘士はわずかに首を傾げるような素振りを見せてから、おもむろに巨大斧を振り回した。
遠心力で勢いづいた鉄塊が、近くにいた怪力鬼に叩きつけられる。
切株のような頑丈な首が切断され、頭部が宙に舞う。
一撃与死だ。
「なに?」
魔鍛冶師の武器には、特殊なギフトが封緘されているものが多い。
最初にユイカが疑ったのは、状態異常の“混乱”だった。
しかし魔牛闘士は、一番近くにいたはずの髑髏仮面には見向きもしない。
「“オガちゃん四”、“ミノりん三”を攻撃しろ!」
ユイカの命令により、別の怪力鬼が反応し、魔牛闘士に向かって棍棒を振り下ろした。
力任せの攻撃を、巨大斧の柄が防ぎ、二体の魔物が硬直する。
その周囲を回りこむように、髑髏仮面がするりと動き、跳躍した。
小剣が怪力鬼の後頭部に突き刺さると同時に、再び糸が失われた。
「あの武器には、魔物を支配するギフトが封緘されているのか?」
死霊魔王との戦闘でも、同じような場面があった。
“幻操針”の力と死霊を従わせる力がせめぎ合い、骸骨騎士が行動不能に陥ったのである。
「いえ、あの時とは様子が違うようです」
答えたのは、ロウである。
「抵抗するような素振りが、まるでない。ひょっとすると、魔法効果を解除するギフトかもしれません」
「だとするならば、まずいな」
本能と理性の双方で危険を悟ったユイカは、今後の展開を予想した。
髑髏仮面の動きは素早い。パワー系の魔物では捉えきれないだろう。そして攻撃を受けるたびに、二体分の戦力差が生じていく。
このまま攻撃を続けても、状況は不利になる一方。とはいえ、魔物たちに引き返すよう命じれば、背後を追撃されて乱戦になる。
自分も戦いながら、さらに味方が敵に成り替わるような状況では、的確に指示を出すことは不可能だ。
ならば、いっそのこと――
決断力の早さとその大胆さにおいて、ユイカの右に出る者はいない。
作戦立案においては、時おり尋常ならざる閃きを見せるロウでさえ、現場の指揮官としては彼女に及ばないだろう。
「全員、溶岩溜まりの中に飛び込め!」
ユイカの号令に従って、魔物たちがどたばたと走り出した。
魔工房の奥には、大地を焦がす溶岩溜まりがある。魔物たちは躊躇うことなくその中に飛び込み、煙を出しながら飲み込まれていった。
残された魔物は、呆気にとられたように佇んでいる髑髏仮面と、すでに“幻操針”を解除されたらしい魔牛闘士と怪力鬼のみ。
戦力差は吹き飛んだが、一番大きな不確定要素が排除されたともいえる。
今回の戦いを切り抜けられたとしても、次回の戦闘についても苦戦は必至。
それを見越した上で、髑髏仮面の行動を阻止すべきだと、ユイカは判断したのだ。
「……あいかわらず、えげつないの」
ふわりふわりと空中を漂いながら、マジカンがぽつりと呟く。
“宵闇の剣”にとって、使役した魔物を使い捨てにする戦法は、定石である。心理的な整理など、すでに解決済みであった。
にやりと笑い返して、ユイカは問う。
「マジカン。“ミノりん三”と“オガちゃん四”を始末できるか?」
「ま、距離があるからの。しかし、これで魔法は打ち止めぞ」
通路の入口付近にいる人間の姿を発見し、魔牛闘士と怪力鬼が雄叫びを上げながら襲い掛かってくる。
マジカンが“光刃”を連続で放ち、二体の魔物を打ち倒した。
残るは、髑髏仮面のみ。
地下五十階層の迷宮泉にいきなり現れて、マジカンを人質にとり、自分のことをぺらぺらしゃべり倒した挙句、再び姿を消した奇妙な魔物だった。
髑髏を模した仮面に、長さも色もばらばらの髪。武器は小剣のみ。防具は金属鎧で、篭手も長靴も金属製である。
ユイカは最大限に警戒した。
この魔物は、言動も奇妙だが、それ以上に恐ろしい特性を持っている。
髑髏仮面の持つ小剣は、あきらかに“幻操針”への対抗手段である。
これまで、魔物たちが冒険者のスキルを調査したり、その上で対抗手段を用意したりといった事例は報告されていなかった。
だからこそ、基本能力が劣る人間であっても、事前に魔物の特性を知った上で作戦を立てることで、戦闘を有利に運ぶことができたのだ。
もし髑髏仮面のような存在が他にもいて、魔物たちの参謀役として戦闘支援を行うようになれば、今後の迷宮攻略はかなり厳しいものになるだろう。
できることならば、“幻操針”で支配して、情報を聞き出したい。
「ベリィ、ヌーク。やつはこれまでの魔物とは違う。どんな手を使ってくるか分からない。油断するな」
「了解」
「御意」
刺突剣を構え、ユイカが先頭を切って駆け出す。
やや後方、左右の両翼として、ベリィとヌークが続く。
『何だ。もう少し面白くなると思ったのにな……』
視界の先で、どこか他人事のように魔物が首を傾げていた。
こちらの動きに気づき、まるで見せびらかすように武器を左右に振る。
『ああ、これ? “解呪”の小剣。お前ら、魔物を支配できるみたいだからさ、慌てて作らせたんだ。時間がなくて一本しか作れなかったけど。どうよ?』
――聞いていない。
「“跳兎”」
『うおっ!』
眉間を狙った突きは、上半身を仰け反らせるようにしてかわされた。
魔物との戦闘でユイカが攻撃の起点となる場面は少ない。もし彼女が不意の攻撃を受けて気を失いでもしたら、その瞬間に負けが確定するからだ。
ゆえに、仲間や使役した魔物たちと連携して、相手を弱らせ、最後のとどめとして“幻操針”を使うというのが、ユイカの――“宵闇の剣”のスタイルだった。
しかし今は、支配する魔物がいない。
攻撃系である軽戦士として、存分に立ち振る舞うことができる。
下級魔族は、体格的には人間とそう変わらないが、基本能力的にはかなりの差がある。
体力、持久力、瞬発力は二倍、そして魔力は三倍以上。冒険者レベル分の補正があったとしても、まともにぶつかって勝てる相手ではない。
それでも何とか渡り合えることができるのは、人間が継承している“技”のおかげだった。
大地母神の巫女として、幼い頃から迷宮攻略を成すために英才教育を施されたユイカは、突剣の流派で、免許皆伝を得ている。
間合いをつかみ、相手の攻撃をいなし、フェイントかけつつ――攻撃系アクティブギフトを叩き込む。
「“波月”」
金属鎧の中心部に、とんと剣先を当てる。
その一点から同心円状に気流の波が広がり、一瞬の間を置いて、髑髏仮面は後方に吹き飛んだ。
“突”属性の武器でありながら、“打”属性の追加ダメージとノックバック効果を与えるギフトである。
『ぶふぉっ!』
そのまま溶岩溜まりに落ちようかという勢いだったが、魔物は回転しながら体勢を整えると、吹き飛ばされる方向に足を向けて、空中で踏みとどまった。
『あっぶねぇ!』
ふわりと地面に降り立つと、髑髏仮面は片方の足を上げてみせた。
『あ、これな。“宙駆”の長靴って言うんだ。空中で、一歩だけステップが踏める。どうよ?』
「……」
この魔物はアホだと、ユイカは結論付けた。
命を賭けて戦っている相手にギフトの情報を教えるなど、常識ではありえない。
これではまるで――自分の持ち物を得意げに自慢したがる少年のようではないか。
「姫、私がやる」
ユイカを追い抜き前に出たのは、ベリィである。
一瞬で髑髏仮面との間合いを詰め、手数で圧倒する。
これまでユイカが目にしたことのない、とてつもないスピードだった。
おそらく、両手両足に瞬発力を向上させる魔法――“風凪”を使っているのだろう。
それも、重ねがけ。
身体に負担のかかる魔法であり、時間的な制限が発生するが、相手が何をしてくるか予想がつかない以上、短期決戦が理想である。
ならば――
正面をベリィに任せ、ヌークとともに左右から支援する。
後方には溶岩溜まり。そして三方からは“斬”“突”“打”という異なる物理三属性の武器による攻撃。さすがの髑髏仮面も余裕を失い、防戦一方となる。
体力を削り、持久力を消耗させ、バランスを崩したところで――
「“脚刃”」
ベリィの下段蹴りが膝関節に決まり、髑髏仮面が倒れ込んだ。




