(3)
あれ? おかしくない?
ベリィが最初にそう感じたのは、遠征に同行して欲しいという冒険者ギルドからの依頼に対して、ロウが積極的に参加を勧めた、そのときである。
部屋に戻ってひとり、胸のもやもやについて考えていると、疑念は明確な形を持つようになった。
冒険者ギルドと案内人ギルドの双方が、“宵闇の剣”の迷宮攻略を妨害しようとしていることは、分かっているはず。
ならば、他の冒険者やシェルパたちを、遠ざけるべきではないか。
どうして遠征への参加を勧めたのだろう。
まさかとは思うが、ロウはあの依頼を――
受けたのではないか。
タイロスの町、冒険者ギルド、案内人ギルドの三者から要請された“宵闇の剣”への妨害工作。当然ロウが断るはずとベリィが考えたのは、危険が大きく、実現性に乏しく、心情的にもありえないと思ったからだ。
確かに、迷宮探索中にシェルパが冒険者を害することなど考えにくい。いくら莫大な報酬を約束されていたとしても、地上へ帰還できなければ意味がないからだ。
しかし、ここに遠征チームが参加するとなると、話が変わってくる。
今回遠征に参加している冒険者の数は、三十三名。ひとりやふたりが欠けたとしても、パーティ間の連携さえとれていれば、帰還することはできるだろう。
この遠征自体が、ロウを無事地上に帰還させるために冒険者ギルドが仕組んだもの。そして、ユイカの負担を軽減するためという理屈をつけて、ロウがみなを誘導した。
そう考えると、どうだろうか。
つじつまは合う。
次に“宵闇の剣”の迷宮攻略を妨害する手段だが、対象の性質を見抜くマジカンのギフト“鑑定”と、状態異常を回復させるユイカの闇属性の魔法“闇雫”がある限り問題はないと、ベリィは考えていた。
だがしかし、果たしてそうだろうか。
マジカンの“鑑定”は、彼が直接触れたものにしか作用しない。そしてユイカの“闇雫”は、彼女自身に使うことはできないのだ。
ロウには、薬学の知識がある。ロウのことを全面的に信頼しているユイカだから、彼が出すものであれば、少々怪しげな食べ物でも、疑いもせずに口にするだろう。
『消耗品の管理や食事なども、それぞれで行うことにしませんか?』
ロウの発言を思い出して、ベリィはぞっとした。
遠征では効率を考えて、食糧などは共有するものである。料理もシェルパたちが作り、遠征メンバー全員が同じものを食べる。
しかし、他のシェルパたちがいるところで、たとえば調理中に何かを混ぜるなど、怪しげな行動をとることは難しい。
もしかするとロウは、自分の仕事がやりやすいように、あのような条件を付け加えたのではないだろうか。
もし自分の仮説が正しく、ロウが裏切っているのだとすれば、“宵闇の剣”には防ぐ手立ても回復する手段もないことになる。
標的は、ユイカだろうか。
ここまで考えてから、先走り過ぎてはいけないと、ベリィは自戒した。
すべては、仮定に仮定を重ねた話だ。
ユイカはロウのことを恋人だと言った。
金のために恋人に手をかけるなど、常識的には考えられない。
『ようするに――金さ』
――違う。
『……ロウ君。君は、お金のためならば、自分の名声を汚すことも厭わない。違うかね?』
あの会合の中で、冒険者ギルド長が口にした言葉。
違う!
全部、私の勝手な妄想だ。
あいつは私の命の恩人。ユイカの命も救った。
信じなくてどうする。
何度も自分の考えを否定しつつ、しかしベリィは、ロウの言動に注視せざるを得なかった。
休憩も別行動という条件をつけたはずなのに、迷宮へ向かう道すがら、ロウは他のシェルパたちと仲良く談笑していた。
さらに、迷宮内で他の冒険者たちに呼ばれたとき、ロウは彼らに何かを吹き込んだようだ。
冒険者たちの“宵闇の剣”に対する敵対心が、明らかに増したような気がする。
もともと“宵闇の剣”と遠征チームとは何の繋がりもない。
双方の関係が悪化すれば、迷宮攻略の障害にもなりかねないだろう。
迷宮探索二日目。
中階層に入り、いよいよ魔物たちの攻撃も激しくなってきた。
“宵闇の剣”の強引な進行は相変わらず。しかし、他のパーティは文句を言わず、殺気を撒き散らしながら着いてくる。
戦闘に入っても、連携など一切しない。
「邪魔すんじゃねぇ、幽玄!」
「お前らもだ! 引っ込んでろ、このくそ蜥蜴!」
「なんだとぉ!」
罵声を浴びせ合いながら、それぞれのパーティが個別に戦っていく。前線の連携が乱れて、魔物たちに突破されると、後衛の魔術師たちも魔法を温存することはできない。
「“輪炎”!」
「“圧風壁”!」
数に頼んで戦闘を優位に進めてはいるものの、明らかに効率がわるい。
休憩中も会話は一切なく、互いに睨みを効かせながら、黙々と魔核の“収受”を行う。
「ちょっと、ちょっと。ロウちゃん」
ときおりロウが呼ばれては、冒険者たちに何やら報告をしている。
「……ねえ、姫。あいつ、何やってんだろ?」
「さてな」
ベリィが遠まわしに注意を向けさせようとするのだが、ユイカは他の冒険者たちの動向に興味を示さなかった。
「ダーリンに任せておけば、だいじょうぶだろう」
それでは困るのである。
漠然とした不安を溜め込むベリィをよそに、迷宮攻略は進んでいった。
地下三十八階層の迷宮泉にて二日目の探索を終え、いよいよ深階層入り。三日目に重要な拠点である四十三階層の迷宮泉にたどり着いた。
“宵闇の剣”にとっては、予定通りの行程だが、他の遠征パーティにしてみれば、信じられないほどの攻略速度だった。
疲労も蓄積しており、うなだれるように身体を休めている。
「……あのぅ、宵闇さん」
あまりの雰囲気のわるさに耐えかねたのか、シェルパのガメオが提案してきた。
「お芋のスープを作ったの。いっしょに食事でもどうかしら?」
ロウを除く六人のシェルパたちは、迷宮泉のほとりで火を焚いていた。
燃料にしているのは、秘黒檀である。柳刃と呼ばれる植物系魔物の成果物で、通常の炭よりも火力が強く、長時間燃える。
持ち込む荷物の量が限定される迷宮内では、火を使った料理を作るのことは、贅沢な行為だった。
ただの芋スープでも、ありがたい。
しかし――
「ガメ先輩。休憩中の食事は、別々にとるという取り決めですよ」
ユイカが答える前に拒絶したのは、ロウである。
丁寧な口調ではあるが、これまで聞いたこともない冷たい声だった。
「そ、それは分かってるんだけど……」
木の深皿に盛ったスープに視線を落とすガメオ。
「みんなで一緒に食事をしたら、少しは仲良くなれるんじゃないかなって」
確かにその通りである。ロウのことを気にするあまり食欲のわかなかったベリィは、困り果てているオカマに手を差し出した。
「いいじゃん別に。せっかく作ってくれたんだから――」
ほっと息をついてガメオが皿を差し出す。
――と。
その手が払われ、芋のスープが地面に飛び散った。
「……えっ?」
「余計なお世話ですよ、ガメ先輩」
手を払ったロウは、微笑を浮かべていた。
貴重な食糧を無駄にしたことを謝りもせず、ガメオを無視して、ロウはひとり食事の準備にとりかかる。
この言動には、さすがのユイカも、そしてヌークとマジカンも驚いたようだ。
「ロウちゃん。あなた……まさか」
濃いアイシャドウをつけた目をぱちくりとさせて、ガメオは呆然と呟いた。
後輩に冷たくあしらわれて立ち尽くす大男の姿に、何故かいたたまれない気持ちになったベリィは、こっそりガメオに謝ることにした。
「別にいいのよ。ロウちゃんが神経質になるのも分かるわ。ここは、深階層――ちょっとした油断が命にかかわる魔の領域なんだもの」
ベリィの疑念が確信に変わったのは、それから二日後のことである。
地下四十八階層の迷宮泉。爆弾蔓の罠に引っかかり、ユイカを命の危険に晒してしまった、ベリィにとってはあまり思い出したくない場所である。
しかし他の冒険者たちにとっては未知の階層であり、彼らはまるで子供のようにはしゃいでいた。
少しだけ、雰囲気も和んだような気がする。
「ちっとばかし早いが、今日はここまでにしようや。ゆっくり休んで、明日から――地下五十階層に向けて挑戦だ」
“幽玄結社”のリーダーである猿顔の男が宣言すると、他の冒険者たちから賛同の声が上がった。
その決定にユイカは少々不満そうだったが、焦っても仕方がないと納得し、本日の魔物たちを処分した。
この迷宮泉には、マナポーションの原料になる虹草がまだ残っていた。
歓声を上げながら、冒険者やシェルパたちが虹草に群がっていく。
まるでピクニックのような騒ぎになったが、いつの間にかロウの姿が消えていることにベリィは気づいた。
周囲を見渡すと、ロウと体格のよい男――オカマのシェルパが、通路へと向かっていた。
螺旋道へと繋がるほうなので、一応は安全が確認されている。
ふたりが通路の奥に消えるのを待ってから、ベリィはこっそりと魔法を使った。
「……“囁”」
対象となる場所のもの音を届ける支援魔法。
魔方陣を飛ばすと、通路の壁に張り付いて、音も立てずに砕けた。
残念ながら位置がわるかったようだ。ロウとガメオの話はよく聞き取れない。
舌打ちをこらえつつ集中していると、突然ガメオの怒声が聞こえた。
『あなた! いったいどういうつもりなの?』
『……』
『あなたは、確かに正しい! でもね――』
『……』
ロウの声は小さく、聞き取れない。
やがて、何かを殴るような音が聞こえ、それから沈黙が舞い降りた。
『……かったわ』
何かを堪えるように、ガメオが呟く。
足音が聞こえる。どうやら魔方陣のほうに近づいているようだ。
その足音が、止まった。
『ロウちゃん。私はもう、何も言わない。だから――』
ガメオは大きく息をつき、優しげな口調に戻る。
『……頑張りなさいな』
迷宮泉に戻ってきたロウの左の頬は、赤く腫れていた。




