(2)
潜行当日。
遠征に参加するメンバーたちは、パーティごとに冒険者ギルド内の個室に入り、装備品や消耗品の最終チェックを行う。
それから受付カウンターで出発の報告をして、ロビーを出る――
「あのっ、ロウさん!」
その前に、ロウは呼び止められた。
「やあ、アン君」
小走りに駆け寄ってきたアンだったが、くるりと振り返ったロウの姿を見て、思わず足を止め、身体を引いた。
「な、何ですか、そのまがまがしい服は?」
いつもの皮製の古びた長外套が、漆黒の布地に変わっていた。
まがまがしいと彼女が表現したのは、その表面から黒い霧のようなものが、ゆらゆらと立ち昇っていたからだ。
「前のやつは、探索中にだめになっちゃってね」
「それ、呪いでもかかってるんじゃないですか?」
“暗黒骸布”――死霊魔王の成果品である漆黒の布地を加工した、長外套である。
冒険者時代のロウが三年の歳月をかけて集めた“重銀”入りの長外套は、地下五十階層の魔物たちによってずたずたにされた。あまりの重量のため、深階層からの回収は難しく、破棄せざるを得なかったのである。
そこでユイカが、ロウの外套の残骸と“暗黒骸布”を仕立て屋に持ち込み、同じサイズのものを突貫作業で作らせたのだ。
この成果品は、非常に高い魔法防御力を備えているのだが、アンの言う通り、とある呪いのギフトが封緘されていた。
――“超重”。
身につけた者の体重が倍増する。
「え? 絶対やです」
近寄っただけで影響すると思ったのか、アンは一歩身後ずさった。
全身が骨で構成され、“浮遊”のギフトを持つ死霊魔王であれば、問題にならなかったのかもしれないが、通常の冒険者やシェルパが身につけた場合、自重でほとんど身動きがとれなくなる。
利用価値に乏しく、したがって売値もつかない無意味な希少品。
しかし、上級冒険者並みの筋力があり、“持久力回復”のパッシブギフトを持つロウであれば、着こなすことができた。
“重銀”と似通った性質を持っているため、代用品としては十分である。
……見栄えさえ気にしなければ。
「ところでアン君、どうしたんだい?」
「あ、えーと。実は、ロウさんにお願いごとがありまして……」
上目遣いでもじもじしているアンが口を開こうとしたところで、後頭部にぽんと手刀が落とされた。
「――こら」
いつの間にかアンの後ろに立っていたのはスーラだった。
「だめじゃない。迷宮に入る前に約束ごとをするのは、ご法度でしょ」
「え~、そんなの迷信ですよぅ」
アンとしては、ロウとユイカを含めた四人でのお食事会を目論んでいたのだが、冒険者やシェルパたちの間では、明文化されていない決まりごとがある。
そのひとつが、迷宮に入る前や迷宮内で約束ごとを口にしないというものだ。
一番最悪なのは、結婚に関する約束――婚約である。
迷宮探索中、ぺらぺらと自慢げに口走ったものは、まず地上に帰還することは出来ないとされている。
もちろん根拠などはないが、冒険者やシェルパたちはこういった法則を、とても大切にするのだ。
「そこのシェルパさ~ん、もう馬車が出ますよ!」
もたもたしているうちに、出入口にいたギルドの職員に呼ばれた。
どうやら送迎パレードの順番がきたようである。
「今行きます! それじゃあ二人とも、またね」
「あ、待って――むぐっ」
なおも諦められないアンの口を塞ぎつつ、スーラがひらひらと手を振る。
「ま、頑張ってきなさいな」
冒険者ギルドの外、タイロス迷宮の入口まで続く花道の沿道には、多くの住民が押しかけていた。
遠征は町の一大イベントである。パーティが単独で迷宮入りする場合と違って、出発の日時が公開されている。しかも今回は、東の勇者である“宵闇の剣”が参加することが掲示板に貼り出されており、住民たちの興奮はいやがおうにも高まっていた。
タイロスの町は、よくもわるくも迷宮と冒険者の町だ。
上級冒険者ともなれば、顔や名前も覚えられているし、命を懸ける度胸という面においては尊敬もされている。
それぞれのパーティが乗り込んだ馬車が花道を通るたびに歓声が上がり、子供たちが追いかけてくる。
「ふむぅ、久しぶりの遠征で期待しておったのに、荷馬車ではないか。まあ、贅沢はいえんがの」
王都の送迎パレードでは華やかに飾られた専用の馬車が用意されるのだが、ここは片田舎である。御者も荷馬車の持ち主であり、正装もしていない。派手好きなマジカンとしては、少々物足りなさを感じたようだ。
「東の勇者さまだ!」
「きたぞ! “宵闇の剣”だ」
「うぉおおっ!」
しかし、他のパーティとは明らかに一線を画した大声援に、まんざらでもない様子。
「きゃぁっ! ユイカさま!」
「頑張ってください! 応援してます!」
「黒姫さまぁああああっ!」
“宵闇の剣”のメンバーの中で一番人気は、もちろんユイカである。パーティのリーダーであり、若く、凛々しく、美しい。ひと前であまり表情を変えることはないが、それゆえに神秘的な印象を与えるようだ。
普段から男装をしていることも影響しているのか、男性よりも女性の信奉者の方が多く、熱狂的でもある。
人気的には、二番手が賢者マジカン。
三番手がベリィで、最下位は――
「どうした? 先ほどから浮かない顔をしているが」
怪訝な様子でベリィに聞いたのは、玄人好みの冒険者スタイルと強面のため、いまいち人気のないヌークである。
「……何でもない」
答えつつ、ベリィは視線を別の方向に向けていた。
送迎パレードの中ではもっとも注目を浴びていない一員であろう。
後方に続く荷馬車の中にはシェルパたちが乗っていて、冒険者以上にはしゃぎながら、筋肉を見せびらかしたり両手を振ったりしていた。
今回の遠征には七名の上級シェルパが動員されていた。ロウを除けばみな体格がよく、声も野太く、暑苦しい男たちだ。
おまけにオカマもいる。
観衆の声援などそっちのけで同僚のシェルパたちと談笑しているロウの姿を、ベリィはじっと観察していた。
やがて馬車は、町外れにある迷宮の入口に到着した。
冒険者とシェルパたちは一列になって、近道である螺旋階段を下りていく。
その先は、地下十四階層の迷宮泉。
「なあ、宵闇さんよ」
媚びたような薄笑いを浮かべながらユイカに話しかけたのは、猿のようなしわくちゃの顔をした三十代後半くらいの男――“幽玄結社”のリーダーだった。
今回の遠征の代表であり、最年長でもある。
「片道だけの案内については、了承したぜ。魔核や成果品を放棄するってことだが、本当にいいのかい? ま、俺たちは遠慮なんかしねぇがよ」
「俺たち地元の冒険者は、互いのことをよく知ってる。だが、あんたらのことは何も知らねぇ。もちろん、あんたらが王都で大活躍してるって噂は聞いているがな」
「……」
ユイカは無言のまま聞いている。
そのことに気をよくしたのか、大げさな身振り手振りをまじえながら、猿顔の男はくどくどとしゃべりまくった。
「俺たちは遠征を組んで、いっしょに潜行することになった。こういった縁を、冒険者は大切にするもんだ。それなのによ、休憩も戦闘も別々ってのは、少々味気ないんじゃねえのかい?」
芝居染みた仕草で、肩をすくめる。
「遠征では、何よりもパーティ同士の信頼関係が大切だ。信頼ってのは、互いを認め合ったときに生まれるもの。それが命を懸けた戦いなら、なおさらだ」
にやりと笑って、片目を閉じる。
「つまりだ。俺が何を言いたいのかっつうと――」
「“宵闇の剣”の戦い方を見せろということだな?」
猿顔の男の言葉を遮るとともに、ユイカがひと言で言い切った。
せっかちな性格である彼女にしてみれば、よく我慢したほうかもしれない。かろうじて表情を保つことができたのは、ロウの提案で遠征に参加することを決定したのだから、いきなり喧嘩を売ってぶち壊すわけにはいかないと思ったからである。
「いいだろう」
ユイカは遠征に参加したすべてのパーティに向かって宣言した。
「この迷宮に限って言うならば、我々が新参者だ。露払いをさせてもらう」
ただし、と付け加える。
「しっかりとついてきてもらうぞ。いいな?」
「お、おう」
こうして、他の冒険者パーティとシェルパたちにとっては、地獄のような迷宮探索が始まったのである。
対象に追い風を発生させるベリィの支援魔法“運風”の勢いを駆って、“宵闇の剣”のメンバーは、ほぼ全速力に近いスピードで、通路と広間を駆け抜けていく。
ヌークの“索敵”で魔物を発見し、戦うか無視するかをユイカが即座に判断する。
「よし、やろう」
素早い動きが特徴の角斑猫が五体。
しかし、所詮は浅階層の魔物である。ベリィの双刀とヌークの指弾、そしてユイカの刺突剣によって、瞬く間に蹴散らされる。
「魔核の回収は急いで欲しい。――あらかじめ言っておくが、うちのシェルパは使わせないからな」
ロウを除く六人のシェルパたちが、あたふたと魔核を回収していく。
「では、出発だ」
最初はにやにやと“宵闇の剣”の戦いを見守っていた他の冒険者たちは、怪訝そうな表情を見せるようになり、ユイカが魔物を無視して突っ切る選択をすると、必死の形相で走り出した。
「よ、宵闇っ、魔物がついて来るぞ!」
「……」
「おい、無視すんなよ!」
螺旋道を下りて周囲の安全を確認しても、休憩はしない。ただただ、最短のルートを駆け抜けるのみ。
地下十九階層の迷宮泉に着くころには、重い装備を身につけた冒険者やシェルパたちは滝のような汗をかき、息を切らしながら地面の上にへたり込んでいた。
「水分補給を終えたら、すぐに出発する」
「じょ、冗談だろ。おい、あんた――」
“泥蜥蜴”のメンバーのひとりが抗議しようとしたが、ユイカの冷たい視線に射竦められ、口を噤んだ。
「……ちょっと、ロウちゃん。こっち来てぇ」
掠れるような小声で呼んだのは、ロウの同僚であり先輩のシェルパ――ガメオである。
いかつい身体をくねらせながら、指だけを小さく動かして手招きしている。もう片方の手は口元に添えられており、その立ち姿は見るからにオカマだ。
“宵闇の剣”のメンバーから少し離れた位置で、五組の冒険者パーティのリーダーがロウを取り囲んだ。
その様子を、ベリィがじっと観察している。
何やら剣呑な雰囲気であるが、その中でロウは、身振り手振りを交えながら愛想よく受け答えをしている。
探索再開後、地下二十三階層で初めて、ユイカは“幻操針”を使った。
相手は蛇獅子である。
獅子の頭と山羊の胴体を持つ中型の魔物で、蝙蝠の羽と蛇の尻尾がついている。地下二十三階層のとある一角を縄張りとしている階層主であり、常に単独で行動するため、“幻操針”を使いやすい。“宵闇の剣”の一回目の迷宮探索でも使役した魔物だった。
ユイカのスキルと彼女の異名については、噂に聞いているのだろう。
異形の魔物がつき従う姿に、周囲からどよめきとも感嘆ともつかぬ声が上がる。
「あ、あのさ。ちょっとだけ触ってもいいか?」
好奇心を刺激されたのか、“螺旋陣”のリーダーが、ユイカに聞いた。
「かまわないが、私が認めた相手以外には――噛みつくぞ」
「うっ」
ユイカの声色は冷たい。
まったくの無表情だが、目力は強く、苛立ったような神気がわずかに漏れている。
本能的に危険を感じたのか、“螺旋陣”のリーダーは、気まずそうに引き下がった。
蛇獅子は、雷属性の魔法ギフトを持っている。
相手にダメージを与えるとともに、麻痺の状態異常を付与する中級魔法――“雷網”。
魔物たちが動けなくなったところでユイカが“幻操針”を使い、次々と使役していく。
こうなると、他の冒険者パーティの出番はない。彼らにできることは、魔物の軍団を指揮して魔物を殲滅させていくユイカの姿を、ただただ見守るだけ。
「全滅させたぞ。魔核の回収を――」
何も活躍していないのに、魔核や成果品だけが“宵闇の剣”以外のパーティに割り振られていく。
その運用に違和感を覚えているのだろう。シェルパたちは余計な会話をせず、無言のまま手を動かすようになった。
そして、地下二十九階層の迷宮泉。
一日目の迷宮探索の終了を宣言し、ユイカは魔物たちを処分した。
一体ずつ、首を刎ねていくのである。
「ほら、魔核だ。さっさと“収受”しろ」
何とも重苦しい雰囲気の中で、食事の準備が開始された。
タフで命知らずな四十名もの人間がいるというのに、冗談のひとつも出てこない。
「ちょ、ちょっと、ロウちゃん。こっちこっち」
再びガメオがロウを呼んだ。
今度は“宵闇の剣”以外の冒険者たちが全員集まって、ロウを取り囲んだ。
ちらりちらりと“宵闇の剣”の方を窺いつつ、ひそひそと議論している。
「なんだと!」
「ざけんな!」
ときおり罵声のような声が漏れるが、再びひそひそ話。
その後ロウは開放されたが、明らかに冒険者たちの様子が変わった。
“宵闇の剣”に対する視線は厳しいものになり、明確な敵対心が感じられるようになったのである。
「……あいつらに、何言ったのさ」
戻ってきたロウに、ベリィが問いかける。
「別に。たいしたことは、何も」
微妙な笑顔を浮かべながら、自家製のベーコンを切り分けるロウ。
その手元から、ベリィは目を放さない。
そう。
この時点でただひとり。
ベリィはロウの言動に対して――疑念を抱いていたのである。




