(11)
植木に囲まれた茂みの中で、ベリィは舌打ちをした。
ここまでくれば、話の流れは読める。
タイロスの町、冒険者ギルド、案内人ギルドの三者は、“宵闇の剣”の迷宮攻略を妨害したいのだ。
しかし、一度迷宮に潜ってしまえば、そう簡単に手を出すことはできない。
チームの一員であるシェルパ以外は……。
そこで、ロウに白羽の矢を立てたのである。
『……話の概要は分かりました』
ベリィの予想は当たった。
悪辣極まりないその依頼を、ロウは動揺することなく受け止めた。
『しかし、“宵闇の剣”がタイロス迷宮の攻略に失敗したら、有力な冒険者たちはこの町に流れてはこないでしょう。迷宮攻略の機会は、当分の間やってこないかもしれません。“終焉の予言”など、信じていないということですか?』
『いや、そいつは違うよ』
否定したのはギマである。
『お前さんはまだ、実感できないかもしれないがね。迷宮に携わる仕事を長くやっていると、大地母神のお告げは間違いないのだと、自然と思えるようになる。不思議とね』
『その通りだ』
ジョーも同意した。
『大地母神の力というものは、厳然として存在しているからね。教団の信者以外にもお告げを受けた冒険者は大勢いるし、彼らの証言もほぼ一致している。疑う余地はないと思っているよ』
『では、どうして?』
迷宮攻略の妨害をしようとするのか。
『タイロスの町は、まだ若い――』
老婆の声には、過ぎ去ったときを惜しむかのような、苦しげな響きがあった。
『王都の無限迷宮は、発見されてから二百五十年が経っているそうだが、迷宮核が限界を迎えるような兆候は、いまだ表れていないそうだ。それに比べて、タイロス迷宮は、たったの九十年前。いずれは踏破されるとしても、それは、今じゃないのさ』
『……つまり、あと数十年くらいはもって欲しいと。それから踏破される分には、誰も文句は言わない。そういうことですか?』
『ずけずけと言う子だね』
『今さら言葉を包んでも、仕方がないでしょう』
『その通りだ』
楽しげに割って入ったのは、バラモヌである。
『だいたい迷宮の攻略速度というものは、深くなればなるほど鈍化していくものだ。実際、地下四十七階層の螺旋道が発見されるまでには、五年の歳月が必要だった。それなのに、こんな短期間で地下五十階層まで攻略されていくとは――私を含めて、誰も想像すらしていなかったことだ。こちらの対応も、後手後手に回らざるを得なかったというわけさ』
自業自得だとベリィは思った。
そもそも、迷宮を踏破されたくないのであれば、「禁止踏破絶対」の看板でも、首からぶら下げておけばよいのだ。
日々の生活の糧だけを得ようとするやる気のない冒険者だけを集めて、攻略階層に制限をかけて好きなだけ管理すればいい。
しかも、やり口が気に食わなかった。
迷宮が踏破されると町が困るから王都に帰ってくれと、町長自ら頭を下げて“宵闇の剣”に頼むのであれば、共感はできないまでも、心情的にはまだ納得できただろう。
それを姑息にも、シェルパを使って邪魔をさせようと画策するとは……。
潔癖症のユイカが知ったらならば、タイロスの町に対して宣戦布告をするのではないだろうか。
やがて、ロウがぽつりと呟いた。
『……“シェルパの剣”、ですか』
『ほうっ、知っていたのかい?』
ギマは心底驚いたようだ。
『俺が上級シェルパに昇進したときに、ザザさんが教えてくれました。この町のシェルパの仕事は、道案内だけじゃない。迷宮を守る仕事もある。その役割を担う者が“シェルパの剣”と呼ばれるのだと。酒の席でしたから、あまり気には留めていませんでしたが』
『そうかい、ザザがねぇ』
『誰だい、そのひとは』
バラモヌの問いかけに、ギマが吐息をつく。
『昨年引退した熟練シェルパだよ。グンジが実力をつけるまでは、うちのエースだった。物腰の穏やかないい男でね。ずいぶん長いこと、あたしとザザはこの秘密を共有し、タイロス迷宮を見守ってきたんだ。あの男が引退を決めたとき、正直、裏切られたと思ったけれど、ちゃんと後継者を見つけていたってことだね』
憂いと優しさを帯びたギマの声は、一気に鋭いものに変わる。
『“シェルパの剣”――これは呪いのようなものさ。あたしがギルド長を退いても、お目付けとして残っていたのは、ザザの後継者を見つけるためだ。実力だけでは守人の役割は担えない。誇りを汚し、罪の意識を飲み込み、それでもなお大切なものを守るために、あえて非情に身を委ねる強さがなくてはならない。ロウ坊――いや、ロウよ』
力強く、老婆は言った。
『お前さんには、自分よりも大切な守るべきものがあるはずだ。損得を計算できる賢い頭と、非情を決断できる強い意思があるはずだ。手段はこちらで用意する。もちろん、見返りもある。あたしがちゃんと用意する。だからこのくそったれな役割を、引き受けてはくれないかい?』
話の展開にベリィが息をのみ、全神経を集中させたところで――
「あのう、お客、さま?」
「ひっ!」
突然声をかけられて、ベリィは小さな悲鳴を上げた。
意識を現実に引き戻して周囲を見渡すと、料理人の見習いらしき若い男がゴミ箱を胸に抱えていた。
不審そうにこちらを見つめている。
ベリィは店の敷地内にある茂みの中に隠れていた。しゃがみ込むような姿でじっとしている姿は、まるで……。
「ま、まさか、こんなところで、用を足し――」
「違うわよっ!」
全力で否定しつつ、ベリィは立ち上がった。
「ふざけんじゃないわよ! 私がそんなこと、するわけないでしょ!」
「じゃ、じゃあ、何をしてたんですか?」
「――うっ」
地上では禁止されている魔法を使って、店内の会話を盗み聞きしていました。
……言えるわけがない。
ベリィは無理やり笑顔を作ると、意味もなくぱたぱたと両手を振った。
「ちょ、ちょっと、探し物をしていたの」
「はぁ……」
「もう見つけたから、ここに用はないわ。じゃあね」
冷や汗をかき、目の視点をさまよわせながら、ベリィは強引に会話を打ち切った。
ここで走って逃げ出したら、追いかけられる可能性もある。自制心を総動員して、ベリィは早歩きで店の敷地を出た。
大通りをしばらく歩いたところで振り返ると、先ほどの料理人見習いが、ゴミ箱を抱えながらじっとこちらを見ている。
「――くっ」
完全に疑われているようだ。
裏通りに入り、いくつかの角を曲がったところで、ベリィは地団駄を踏んだ。
“囁”の効力は、対象者との距離とベリィの集中力による。
今の騒ぎで魔法は行方不明となり、密談の声など消し飛んでしまった。
だがしかし、この先の展開は予想できる。
迷宮探索中にシェルパが冒険者などを害したら、自分の身が危なくなるだろう。
それに、たとえば毒を使って害そうとしても、マジカンには“鑑定”のスキルがあり、ユイカには“闇床”という状態異常を回復させる魔法がある。
うまくいくとは思えない。
それに、あの三人は知らないようだが、ロウはユイカの恋人――いまだ納得はしていないが――なのだ。
危険が大きく、実現性に乏しく、心情的にもありえない。
当然、ロウは彼らの依頼を断るだろう。
であるならば、迷宮内での妨害はないはず。
「みんなに報告したほうがいいかな?」
少し迷ってから、ベリィは首を振った。
“宵闇の剣”の迷宮探索は三日後に迫っていた。
予定では最後の探索であり、ここで仕切り直すよりも、さっさと迷宮を踏破した方がよいと考えたのである。
そうすれば、やつらが何を企もうとも、すべてが無駄になるはずだ。
第一、何らかの行動を起そうにも、証拠がない。真正面から問い詰めたとしても、とぼけられたらそれまでだろう。
それに、ロウの立場も危うくなるかもしれない。
「う~ん」
正直、命の恩人に魔法を使い盗み聞きをしたという事実に対して後ろめたい気持ちもあったし、煩わしさを避けたいという気持ちもあった。
「迷宮探索が終わってから、考えよ……」
ベリィのこの決断は、後日、彼女自身に大きな禍根を残すことになる。
昼下がりの午後。
ロウは案内人ギルドで荷物のチェックを済ませると、帰り際、ギルド長の部屋に立ち寄ることにした。
「おう、ロウか」
ギルド長のグンジは、ごつい顔に似合わない小さな鼻眼鏡をかけていた。
仕事机の上で書類を作成していたようだ。
「グンジさん、細かい仕事は苦手でしたよね?」
「うん? ……ああ、まあな。今でもそうだぞ」
グンジは眼鏡をとると、目頭を指で揉んだ。
たくましい肩をぐりぐり回し、太い首を鳴らす。
「お前がここにくるなんて珍しいな。何か用か?」
「ええ。ひとつお願いしたいことがありまして」
ロウは笑顔を浮かべた。
「それと、グンジさんの様子を見に来ました」
「ちゃ、ちゃんと仕事はしてるぞ!」
以前、さぼっていたのがばれて、ロウの前で土下座させられたことを思い出したのだろう。グンジの顔は青ざめ、その声はうわずっていた。
こっそりロウは苦笑する。
グンジが腰を痛めてシェルパを引退し、案内人ギルド長になってから、約二年。
最初はぎこちない様子だったが、最近は板についてきたように思える。
現場にも近く、苦手な書類仕事も頑張っているようだ。
ギルド内の雰囲気がより一層むさ苦しくなったような気もするが、新人も育ってきているし、仕事に対するみなの意欲も高い。
偉そうなことを言わせてもらうならば、よいギルド長になったと思う。
せっかくだからお茶でも出すかと、柄にもなくグンジが気を遣ってくれたが、マリンが待ってますのでと、ロウは断った。
正直、グンジがいれたお茶は、飲めたものではない。
「“宵闇の剣”は、次の潜行で、迷宮核を目指すようです」
「ああ、潜行計画書に書いてあったな」
「もし、タイロス迷宮が踏破されたら、おおごとになりますね」
「だろうな」
町中が大騒ぎになり、盛大なお祭りが行われてから、住民たちは今後の生活について考えることになるだろう。
冒険者たちは他の迷宮に流れていくだろうが、シェルパたちはそう簡単に移ることはできない。
それは他の職についている住民たちも同じだ。
迷宮核が無くなれば、迷宮内の薬草は枯れ果て、新たなる鉱石は生み出されない。
もちろん魔物も出現しないので、成果品も回収されない。
タイロスの町は衰退していくだろう。
新たな産業を生み出すか、それともいつでも移住ができるよう、常日頃から準備をしておくか。
残念ながら、タイロスの町はどちらの道も選択しなかった。
「しかしまあ、いいことだってあるぞ」
「……え?」
意外なことに、グンジは少しも悩んでいないようだった。
「俺が知っているタイロス迷宮は、地下四十七階層までだが、あそこに続く螺旋道を発見したときには、心底感動したものだ」
酒を飲んで酔うたびに、グンジはそのときの話をする。
嬉しそうに、そして少しだけ無念そうに。
「お前も、未到達階層に入ったときには、感動しただろう?」
地下四十八階層から五十階層。
一度目はユイカが死にかけ、二度目はロウ自身が死にかけた。
正直、大変だったという印象ばかりが強いが、確かに、誰も踏み締めたことのない光苔の上を歩いているとき、不思議な高揚感があったことは確かだ。
「……ですね」
「その先には、魔工房や迷宮核がある。誰も見たことがないものを、一番最初に見ることができるんだ。うらやましすぎるぞ!」
グンジは両手を握り締めながら震えている。
現役時代を思い出し、興奮しているようだ。
正直、暑苦しい。
「もしお前がサポートする“宵闇の剣”がタイロス迷宮を攻略したら、俺が真っ先に見学にいくからな。そのときには、道案内を頼むぞ」
「ええ、もちろん」
未知に対する憧れは、冒険者だけのものではない。
少なからず、シェルパの中にもあるのだ。
「それから、終わったあとのことは心配するな。お前は余計なことを考えず、仕事に専念すればいい。とにかく、冒険を楽しめ」
それは、ことあるごとにグンジが口にしてきた言葉。
冒険者時代のロウには、出来なかったこと。
……ありがとうございます、師匠。
「ん? 何かいったか?」
「あまり目を酷使しすぎると、老眼が進行しますよ。回復魔法では治りませんから、気をつけてくださいね」
「お、おう」
ひとつ憎まれ口を叩いてから、ロウは用件を伝えた。




