(10)
緊迫した空気と穏やかな口調という、相反するふたつの要素が溶け込んでいるようだ。
食事などとても喉を通りそうにない雰囲気の中で、会話という名の尋問が始まった。
その内容は潜行報告書の事実確認であり、冒険者ギルド長のジョーが興味を持ったのは、死霊魔王の件だった。
『しかし、信じられん。死霊魔王すら支配するギフトとは。剣先で魔核を貫くことで発動するらしいが……。本当かね、ロウ君?』
『事実です。実際に俺は、地上に帰還する際に死霊魔王に十四階層の近道まで送ってもらいましたから』
『ひょっとすると彼女は、迷宮主すら使役できるのではないかね?』
『これは個人的な見解ですが、おそらく無理ではないでしょうか。迷宮主には、魔核がないそうですから』
その通りである。
迷宮主を倒した後には、何も残らない。ただ、迷宮の最深部――迷宮核へと通じる通路が開くのだ。
『ふむ、なるほどな……』
それからジョーはユイカの能力について、いくつかの質問をした。
使役できる魔物の最大数はどれくらいか。
『正確なところはわかりませんが、俺の知る限り、十体くらいだったと思います。それ以上増やすと、統率がとれないでしょうし』
使役できる時間はどのくらいなのか。
『……さあ。何しろ彼女は、次々と魔物を変えながら迷宮を探索していましたので』
その他に制限事項はないのか。
『俺はシェルパですよ? スキルの分析は冒険者ギルドの仕事でしょう。迷宮探索中に余計なことを考えている余裕などありません。道案内と自分の身を守ることだけで精一杯でした』
のらりくらりと受け答えをするロウ。
『まあ、そうだろうね』
茂みの中で、ベリィはほくそ笑んだ。
ユイカの恋人――いまだ納得はしていないが――であるロウが、彼女の情報をおいそれと公開するはずがない。相手に不信感を与えないよう平静を装いながら、ぼやかして報告しているようだ。
その後は、ロウの個人的な事情へと話題が移った。
質問者は案内人ギルドの老婆、ギマである。
『ロウ坊。お前さんが妹のために今の仕事を続けていることは、知ってるよ』
『……』
淀みなく受け答えをしていたロウが、沈黙した。
『お前さんの能力があれば、別に危ない橋を渡らなくても、食べていくことくらいはできたはず。大切な妹をひとに預け、危険を冒してまで迷宮に潜っているのは、何か目標があるからだ。違うかい?』
ロウの能力とは、“持久力回復”のパッシブギフトのことだ。確かに荷物運びなどの力仕事であれば、ひとの何倍も働けるに違いない。
バラモヌがふむと頷いた。
『確かに、君はまだ若い。潜行報告書にあるとおり、君が優秀な人間であるならば、ひとつやふたつくらい野望を持っていたとしてもおかしくはないだろう。そして、男であるならば――』
自分の言葉を強調するかように、ひと呼吸置く。
『決して、チャンスを逃してはならない』
『……チャンス、ですか?』
『そうだ。君はまだ自覚していないようだが、金や力のない者が、私のような権力を持つ人間と接点ができるということは、とても大きなことなのだよ。人生の転機と言ってもいいだろう。ひと付き合いにしろ、商売にしろ、そして結婚にしろ、世の中にはその舞台に立ってみなければ分からないことが、往々にしてある』
『社会階級、ですね』
『俗に言うならば、その通りだ』
カチャリと金属音がして、何かが咀嚼された。
『……ふむ。このソースは、絶品だな』
しばらく沈黙したまま食事が進み、やがてロウが答えた。
『残念ながら、俺にはみなさんの期待に応えられるような野望はありませんよ。よい場所に住み、よい生活がしたいだけです』
『君の立場では、言うほど簡単なことではないと思うがね』
『ええ。そのために、金が必要なんです』
『この子は商売上手でね。ずいぶん貯め込んでるよ』
からかうようなギマの言葉に、ロウはため息をついた。
『一応の目標は達成しそうですが、将来のことを考えると、まったく足りませんね』
『そう言えば、昔から君はそうだったな……』
ジョーが苦笑したようだ。
『知っているかい、バラモヌ。彼が冒険者時代に、“階層喰い”と呼ばれていたことを』
『ほう。ずいぶん仰々しい異名じゃないか』
数年前まで、タイロス迷宮の浅階層には、とある階層主が徘徊していた。
梟頭熊と呼ばれており、その名の通り、梟のような頭部と熊のような身体を持つ魔物だった。
特徴としては、固い羽根で覆われた肉体と、タフさ。そして鋭いかぎ爪。しかも“体力回復”という厄介な種族固有のギフトを持つ。
問題は、この魔物が現れる階層だった。
地下十三階層――
近道があるのは地下十四階層であり、中級冒険者たちの迷宮探索はここから始まる。
つまり、梟頭熊と遭遇する可能性が高いのは、初級冒険者ということだ。
出現ポイントは不明。しかも迷宮内を徘徊する魔物。
防御力が高く、“体力回復”のギフト持ち。持久戦では不利になる。
実際、多くの初級冒険者たちが、梟頭熊の犠牲になっており、いつしか地下十三階層は、死の階層と呼ばれるようになっていた。
『冒険者ギルドとしても、いよいよ看過できない状況になってね。討伐依頼を発行したけれど……これが、なかなか受け手がいない。梟頭熊の成果品は、羽根ペンくらいにしか使えないし、魔核もそれほど大きくはない。探すのも倒すのも手間がかかる。ようするに――美味くない獲物だったのさ』
苦労のわりには報われないということだ。
『そんなときに現れた救世主が、ロウ君だった』
冒険者ギルドの討伐依頼の報酬は、はっきり言って安い。しかしそれは、パーティ単位で支払われる成功報酬を頭割りするからであり、ソロで迷宮探索しているのであれば、多少はましになる。
『ギルドとしても、中級冒険者たちが満足できるような報酬は出せないし、初級冒険者では返り討ちにある可能性がある。だから、彼と専属契約をすることにしたんだ。そのおかげで、初級冒険者たちの死傷率はぐっと減ったよ』
階層主が再出現する周期は、約半月。
ロウは“迷宮泉のある地下十四階層を拠点に地下十三階層を探索し、梟頭熊を狩り続けた。
出現ポイントを割り出すまでに、約三年。その後、魔素の流れを変えるために、通路を一部封鎖することで、梟頭熊は出現しなくなったという。
『それでついた異名が“階層喰い”か』
バラモヌは唸るような声を上げた。
『ああ、その通り。心ない冒険者たちは、ロウ君のことを批判したがね。初級冒険者たちの探索を妨害し、階層の富を独占していると。だが彼は否定しなかった。何故だかわかるかい、バラモヌ?』
『さて、さっぱりだな』
『簡単だ。うちが、口止め料を払ったからだよ』
ジョーは悪戯っぽく笑った。
『冒険者ギルドとしても、特定の冒険者にばかりに依頼を発注するのは、外聞がよろしくない。それに、十三階層のことで初級冒険者たちを萎縮させたくもなかった。だから、ほんの少しだけ口止め料を上乗せして、黙ってもらうことにしたんだ。そして彼は、快く了承してくれた。ようするに――金さ』
それは違うと、ベリィは思った。
ロウが地下十三階層で狩りをしていたのは、希少魔物である“銀皿”を倒して、希少成果品である“重銀”を入手するためだ。
理由は「何となく」あるいは「面白そうだから」。
常人では理解できない行動でも、冒険者同士ならば、感覚的に納得できることもある。
『……ロウ君。君は、お金のためならば、自分の名声を汚すことも厭わない。違うかね?』
老人の問いかけに対して、ロウは肯定も否定もしなかった。
ひとつ大きく息をつくと、のんびりとした口調で言った。
『どうやら俺は、とんでもない会合に呼ばれたようですね』
『どういう意味かね?』
バラモヌの問いに、ロウはさらりと答える。
『俺に、何かをさせたいのでしょう? この町を守るために』
『……ふふっ』
バラモヌは笑った。
低い笑い声は少しずつ大きくなり、部屋の中を深く響かせた。
『ギマさん。なかなか話の分かる青年じゃないか。物怖じもしないし、気に入ったよ』
『能天気なうちの連中の中じゃ、毛色が違うからね』
突然、軽やかな鈴の音が聞こえた。
すぐに給仕が部屋の中に入ってきて、食器類を片付けていく。
再び静かになると、バラモヌは会話を再開した。
『――さて。これからは仕事の話だ。むろん、他言は無用に願うよ』




