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ユイカが使役する魔物たちの損耗率は、一気に跳ね上がった。
敵味方ともに強力になり、範囲攻撃が飛び交う展開が増えたことが原因である。
また、初見の魔物と相対した場合、相手の特徴を知るためにも、最初の一手は真っ向から渡り合う必要があった。
戦闘後に生き残った魔物たちにしても、四肢が欠損していては、ユイカの回復魔法“闇床”で癒すことができず、単純な囮役としての使い道しかなくなる。
戦力の低下を防ぐためには、新たなる魔物に“幻操針”を打ち込み、配下に加えなければならないわけで、それはユイカが前線に立たされることを意味した。
“宵闇の剣”としては、常に緊迫した戦いを強いられるわけだ。
それでも、東の勇者の名を冠する冒険者パーティは臆することなく、通路と広間を突き進んでいく。
迷宮内の構造には規則性などないので、とにかく歩を進めるしかない。
メンバーの体力や魔力、そして持久力が心もとなくなった時点で、迷宮泉に引き返し、ポーションによる補給と休憩を行い、再度同じ道を進行し、少しずつ探索範囲を広げていく。
四度の往復と十二回の戦闘を経て、地下四十九階層へと通じる螺旋道を発見することができた。
運も味方したおかげで、約一日半という短期間での攻略だった。
ロウが方眼紙に描いた地図は、階層全体のほんの一部に過ぎない。
未確認の領域には有益な薬草や鉱脈が眠っている可能性もあるが、“宵闇の剣”の最終目的が迷宮核にある以上、他の領域を探索する可能性は低いだろう。地図の完成については、後に訪れるであろう他の冒険者パーティ次第となる。
地下四十九階層については三日間をかけて、新たなる螺旋道を発見した。
そしていよいよ、今回の潜行の目的地である地下五十階層へ入る。
「迷宮泉を見つける必要があるな」
周囲の風景は、様変わりしていた。
淡い緑石色の光苔の色が変化し、薄い紫色になったのである。
これは、階層のレベルが一段階上がった証拠でもある。
適正レベル、十六。
迷宮探索は七日目に入り、ユイカの目の下にはうっすらとくまが浮かんでいた。
現在拠点としている地下四十八階層の迷宮泉から五十階層までの道のりに関しては、ある程度、掃除が完了しているが、あと数日もすれば魔物たちが再出現するだろう。同じことを繰り返していては、いつまでたっても最下層にはたどり着けない。
迷宮核を目指すためには、新たなる拠点が必要だった。
今回大活躍の火蜥蜴はその数を一体にまで減らしたが、新たに四人組の警備隊のセットと、すでに通常の敵として現れ始めた三体の魔牛闘士、“爆撃”のアクティブギフトを持つ骸骨騎士が一体。さらには“物理耐性”の種族固有ギフトを持つ粘液擬人が七体。合計十七体という陣容だ。
ちなみに、魔物たちのギフトを“鑑定”したのはマジカンである。
魔物たちの特性によって、“宵闇の剣”の戦い方もまた変化する。
「“スラりん一”から“スラりん七”、横並びに整列し、防御体勢をとれ!」
光沢のある灰色の粘液擬人たちが、互いの触手を絡ませて、弾力性の高い壁を作った。
壁の向こう側に透けて見えるのは、牛のような巨体に鋭い二本の角を生やした魔物――二角獣の群れだ。
その数、十三体。
ひと際体格のよいリーダーに統率されているようで、逆V字型の陣形を整え、かつかつと蹄を鳴らしている。
「クォオオオオン!」
群魔祭にさえ匹敵する勢力。広間全体を揺るがすほどの怒涛の突進を、灰色の壁が真っ向から受け止める。
ぐにゃぁ。
粘液擬人たちは、その原型を留めないほどに引き伸ばされ、引きちぎられるかと思われた。
しかし、触手が二角獣の足にも絡みつき、敵部隊は一体また一体と倒れ込んでいく。
「“闇床”」
粘液擬人に対し、ユイカが回復魔法を連続で行使する。
「“闇床”――“闇床”」
やがて、敵と味方の魔物たちは、歪に蠢くひとつの塊となった。
戦況は硬直した。
魔牛闘士に守られながらユイカが近づき、二角獣の頭に刺突剣を突き刺していく。
「ふう、肝を冷やしたぞい」
安堵の吐息を漏らしたのはマジカンである。
一見、呆気なく戦闘が終了したように見えるが、その実、薄氷の勝利であった。最初に粘液擬人の壁が破られた場合、二角獣のスピードに対抗できるのは、“風凪”を使ったベリィしかいない。マジカンの攻撃魔法は強力だが、動き回る複数の敵を相手にするには分がわるいのである。
「だが、挑戦した価値はあった」
精神的な疲労に加えて魔力の消耗も激しいユイカだが、それでも不敵な笑みを浮かべている。
何しろ二角獣 の一群を、無傷で手に入れることができたのだ。
これで配下の魔物の数は、三十体。前回の探索も含めて最大の勢力である。
しかも、この魔物の成果品である角は、強力な二種類の薬となる。問題は毒か薬どちらか見分けがつかない点にあるのだが、マジカンの鑑定があれば問題ないだろう。
「よし、全員集合しろ」
すべての魔物が集まってくる。
「お前から、“ヤギ一”、“ヤギ二”――」
「姫、そいつら、馬っぽいよ?」
ユイカが二角獣たちに適当な名前を付けていると、ヌークが警告してきた。
「黒姫さま、前方から敵です」
広間の先の通路から、骸骨兵士の一団が、ガチャガチャと乾いた音を立てながらやってきた。
その数、六体。敵あるいは味方として、何度もお世話になった相手である。しかし、適正レベルでいえば、二レベル前の相手だ。
現在ユイカが使役している骸骨騎士よりも格下の魔物。
しかも何故か、武器と防具を身につけていない。
「ちょうどいい。使い勝手を試してやる。“ヤギ一”から“ヤギ十三”」
不名誉な名前をつけられた二角獣の群れに逆V字の陣形を取らせ、突撃させる。骸骨兵士たちは弾き飛ばされ、踏みつけられ、文字通り木っ端微塵に粉砕された。
壮観である。
「さらに敵」
ヌークの警告とともに、再び骸骨兵士の群れが出現する。
その数、またもや六体――この一群も武器と防具を身につけていない。
まったく奇妙なことだと思いながらも、ユイカは二角獣の群れに突撃を命じた。
「さらに敵!」
その後、魔物が現れては突撃で粉砕するというパターンが、数回続いた。すべてが骸骨兵士六体の一団であり、一切の装備を身につけていない。むざむざやられにきているような感じさえ受けた。
「どういうことだ?」
訝しげに考え込むユイカ。
――と。
足を止めていた二角獣の群れの頭上に、突然、巨大な魔方陣が浮かび上がった。
幾何学的な文様ではない。波打つ線と潰された図形が重なり合ったような、歪な魔方陣である。
直後、魔方陣から闇が吹き出した。
それは不定形の霧のような現象で、ザザザとおびただしい数の羽虫がいっせいに飛び回っているかのような、耳障りな音を発生していた。
『クォオオオオン!』
遠吠えにも似た二角獣たちの声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
やがて闇の霧が晴れると、地面の上に黒い染みだけが残っていた。
二角獣たちの死体はない。
「闇属性の、範囲攻撃魔法?」
愕然とした様子で、ユイカが呟く。
彼女の知識の中に、闇属性の魔法を使うことができる魔物は幾種類かいたが、深階層の魔物となると、限られてくる。
これだけの広範囲に渡る、しかも二角獣たちの体力を一撃で削り取る攻撃力。
間違いなく、上級魔法。
「分散しろ!」
一箇所に固まるのは危険が大きい。
通路の先――光苔が発するの柔らかな光を覆い尽くすように、黒色の物体がゆらりと出現した。
それは、漆黒の外套をまとった巨大な骸骨だった。
おそらく“浮遊”と“推進”のギフトを持っているのだろう。両足はなく、腰のあたりから尻尾のようなものが一本、後方に流れている。
頭は頭蓋骨だが、黒い蛇のようなものが無数に生えており、まるで長髪が風に靡いているようにも見える。
そして、外套から突き出している腕は、六本。
枯れ枝のような細い腕が大きく伸ばされる。
『“隠世戸”……』
細長く甲高い、そして何重もの反響音を持つ、この世のものとは思えないおぞましい声だった。
魔法ではなく、アクティブギフトのようだ。
六本腕の骸骨の周囲に縦長の球状の影が六つ生まれ、その中から六体の骸骨兵士が出現した。
「嘘、でしょ?」
「まさかっ」
驚きのあまりベリィが目を剥き、冷静沈着なはずのヌークが防御の構えもとらず立ち尽くす。
沈黙で満たされた広間内に、ユイカの呟きが漏れる。
「……ウガル、竜」
かつて“宵闇の剣”がウガル迷宮の最深部にて遭遇し、死闘の末、満身創痍になりながらもかろうじて倒すことができた、最強の敵。
魔物の正式名称は――死霊魔王。




