(12)
「~~~~~っ」
目に涙を溜めて、ベリィがロウを突き飛ばした。
残りの薬と飲料水を口に含み、無理やりユイカに飲まそうとする。
が、しかし――
「ぐ、ごほっ」
ユイカは顔を背けて、薬をすべて吐き出してしまった。苦しそうに小さく咳き込み、身体を痙攣させる。
「意識のないひとに薬を飲ませるのは、こつがいるんです」
「お、教えなさい、それ!」
ロウはため息をついた。
「薬に余裕はありませんよ。次に失敗したら、ユイカは死にます」
「……っ!」
ロウはベリィの胸当てをつかむと、ゆっくり引き寄せた。
「それでも、やりますか?」
「え、あ――」
じっと見つめられ、ベリィが目を逸らす。
「治療の邪魔を、しないでください」
そう言ってロウは、ベリィを軽く突き飛ばした。
貴重な薬を無駄にしてしまった。舌打ちを堪えつつ、ロウはマインドポーションの中身を練りこんだ特製の飴を砕いた。
効果は精神力の向上。
再び口移しで飲ませて、ユイカの身体を自分の長外套で包み込む。
「今飲ませた薬は、根本的な治療薬ではありません。一刻も早くこの迷宮を出て、魔法による治療を施す必要があります」
「どれくらいもつ?」
ヌークの問いに、ロウは「分かりません」と、正直に答えた。
「体力回復の魔法が使える人はいますか?」
「初級であれば、わしが使えるぞい」
マジカンである。
「では、定期的にユイカに使ってください。とにかく、薬が切れたら終わりです。急ぎましょう」
背中に荷物を背負い、ロウは両手でユイカを抱きかかえた。
「姫は、私が運ぶ――」
「魔物に襲われたら、放り投げて戦うつもりですか?」
「……」
ベリィを黙らせて、ロウは走り出した。
下りてきたばかりの螺旋道を登り、これまで探索してきた道を逆にたどりながら、四十三階層の迷宮泉へと向かう。
「おい、ロウ。いっそのこと、荷物は置いていったらどうだ?」
ヌークの提案に、ロウは首を振った。
「足が動かなくなったら、そうします」
幸いなことに、四日間の狩りで、四十三階層から四十七階層の魔物は数を減らしていた。途中の広間で二回魔物のパーティに遭遇したが、マジカンの攻撃魔法“光刃”とベリィ、ヌークの攻撃で全滅させた。
「魔力は、もう三分の一もありゃせんぞ」
無言のまま、ヌークがマジカンにマナポーションを渡した。
「こいつは、飲みすぎると腹を下すんじゃが……」
「マジカン殿。泣き言を言っている場合ではありません」
四十三階層の迷宮泉で飲み水のみ補給し、すぐに出発する。
一気に五階層も駆け上がってきたのだ。メンバーの中では持久力に欠けるベリィは、両膝に手をつき、呼吸するのも苦しそうにしていた。
「少しだけ、寄り道しますよ」
ロウの道案内により立ち寄ったのは、地下四十一階層にある広間の片隅だった。
そこには奇妙な形をした黄土色の草が生えていた。誰も収穫をしたことがないようで、籠一杯集めてもなくならないだろう。
燈篭鎌の成果品である鎌を使い、十枚ほどの葉を刈り取る。
「はぁ、はぁ――そ、それは?」
「泥草じゃな。血を糊のようにする効果があるらしいの」
ヌークの問いに答えたのは、マジカンである。草の葉を摘んでいるので、“鑑定”を使ったのだろう。
「本当は、乾燥させたほうが効果が高いのですが」
とても安全とはいえない場所だったが、ロウは泥草をすりつぶし、他の粉と混ぜ合わせて、淀み薬を調合した。
通常であれば毒薬の類である。しかし、強心薬と一緒に使えば命を落とすことはないし、毒の吸収を抑えることができる。
つまりは、時間稼ぎだ。
「これで、ユイカを仮死状態の一歩手前にします」
「……」
危険な薬であることが、すぐに伝わったようだ。ベリィが身じろぎしたが、ここに至っては文句をいうこともできない。
再びロウは、気付け薬を使った。
「く――はっ」
頭に針を打ち込まれたようなとてつもない刺激臭に、朦朧とした意識がわずかに覚醒した。
身体中のあちこち――それこそ内臓まで痙攣しているようだ。
寒い。顔の表面が痺れてひりひりする。
苦労して薄目を開けると、そこにはひとの良さそうな若者の顔があった。
「ユイカ、聞こえますか?」
声を発しようとしたのだが、舌が回らず言葉にならなかった。
唾を飲み込むことさえできない。
「ひ、姫――」
「黒姫さまっ」
ベリィとヌークが先を争うように覗き込んでくる。
「こ……は?」
言葉を発することはできなかったが、唇の動きでその内容が伝わったようだ。
「ここは、地下四十一階層にある広間です」
ロウが必要な情報を伝えてくる。
これまでも思っていたことだが、このシェルパは頭の回転がよく、話が早い。自分がせっかちな性格であることは自覚しているのだが、そんな自分が話をしていても、まるでストレスを感じないのである。
「迷宮内では、解毒するための薬が手に入りません。いそいで地上に戻り、治療院で状態回復の魔法を受ける必要があります」
頭の中は朦朧としていたが、事情はつかめた。
まさか自分がお荷物となるとは。
これは、パーティ戦略の見直しをする必要がありそうだ。
もし、地上まで命がもつのであれば……。
「今から、ユイカには薬を飲んでもらいます。少し息苦しくなると思いますが、頑張って呼吸してください。最終的には、あなたの気力の勝負ですから」
「き……」
気力なら、誰にも負けない。
「そうですか」
ロウはにこりと微笑んで、薬らしきものを口に含んだ。
「――!」
先ほどの刺激臭以上に、とんでもない出来事が起こった。
鼻をつままれ、止める間もなく唇が唇で塞がれ――どろりとした液体が、喉の奥に流れ込んでくる。
「んぐ……」
「苦いですか?」
そう言ってロウは飲料水を口に含み、再び――
「……んく、はぁ、はぁ」
まさか、初めての口付けがこれほど苦く、生臭く、強引なものになるとは思わなかった。乙女のような妄想を抱いていたわけではないのだが、完全に予想外である。
ベリィが涙目でロウを睨んでいたが、文句を言わずおとなしくしている。
「では、行きます。絶対に気を緩めないでくださいね」
肩のあたりと太ももに手が差し込まれて、身体が宙に浮いた。
大きな荷物を背負い、さらに女性としては軽いとも言いがたい自分を抱きかかえながらも、ロウの移動速度はかなりのものだった。
荷物の先にフック状の杖を引っ掛けていたマジカンが、まるで旗のように揺れている。
薬の効果か、とぎれとぎれに意識を失いかけたが、ロウの呼吸音と鼓動、そして上下に揺れる震動だけは伝わってきた。
時間の感覚もあいまいになる。
ただ単純に、耐える。
それは、睡魔に襲われながらも意識を手放さない感覚だった。
いつもの感じ。慣れたものである。
“幻操針”は、ユイカが意識を手放した瞬間、その効果が消失する。
絶対服従の魔物たちが、一転して強敵へと舞い戻ってしまうのだ。
この弱点を克服するためにユイカがとった手段は、完全には眠らないこと、だった。
身体と精神を休めつつ、糸一本分の意識を繋ぎとめる。
思考はせず、ぼんやりとしながらも気は抜かない。
訓練によって、ユイカはこの技法を身につけた。
とはいえ、何日も探索を続ければ、徐々に精神が消耗してくる。五日から七日くらいで意識が怪しくなり、十日もすれば、もう限界だ。
だから、迷宮探索の目的を達成したら、魔物たちを処分し、標準パーティのみで帰路につく。これが“宵闇の剣”の迷宮探索のパターンであり、限界でもあった。
少数精鋭による短期攻略。
聞こえはよいが、ユイカのギフトの制限から編み出された、苦肉の策でもあったのである。
「ぁ――くっ」
「ユイカ」
刺激臭を受けて再び薄目を開くと、ロウの顔があった。
「今、地下三十階層の迷宮泉です。運よく強心薬が手に入りましたので、飲んでもらいます」
「……ど……た」
どれくらいときが過ぎた?
「先ほどから、まだ半日も経っていませんよ。別のパーティが近くの階層で狩りをしていたので、薬を分けてもらったんです。二十五階層までは、魔物の数も少ないはずです」
朦朧とする頭の中で計算する。
先ほどの階層は――地下四十一階層だったか。十階層以上を、半日足らずで駆け上ったことになる。
再び口移しで、薬を飲まされた。
「近道まで、あと少しです。気を確かに」
「な……こ……で」
何故、ここまでしてくれる?
ロウは“宵闇の剣”のメンバーではない。数日前に雇い入れたばかりのシェルパだ。逆に言い換えれば、自分はロウにとって、ただの雇用主に過ぎないはず。
ロウは少し考え込むような素振りを見せたが、きっぱりと言った。
「理由は、ありませんよ」
ないわけが、ないだろう。
「好きになった人を助けるのに、理由がいりますか?」
「――!」
頭の中が真っ白になり、一瞬、意識を手放しかけた。
意識の混乱に、拍車がかかる。
「こ、この、くそシェルパ、がぁ!」
地獄の底から蘇ったような声を出して、ベリィがロウの肩をつかんだ。髪が乱れ、汗まみれの埃まみれになり、息も絶え絶えといった様子だ。
「よ、よりに、よって……なんてこと……」
微笑を浮かべつつ、ロウが宣言する。
「さあ、ベリィ。そろそろ出発しますよ」
「ちょ、待って、少しだけ、休ませ――」
「駄目です。キュアポーションを飲んでください」
「も、もう……お腹が……」
再び抱きかかえられたユイカは、自分の鼓動が大きくなるのを感じたが、それは強心薬のせいなのか、それとも別の理由なのか、判断することはできなかった。




