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第二十四話 「排除」




 目的のホテルに到着し、背脂、つまり県警の導きによって現場に連れていかれた俺たちだが、肝心の俺はどこか上の空だった。置き手紙のインパクトが大きすぎ、没頭した思考から中々抜け出せない。

 現場である一室に入るとドア付近に大河がいた。なぜかやつは単独で、ソーニャは不在だった。その理由を訊くと「体調悪い言うて、俺ん家で寝とる」とのことだった。衣弦のやつにも体調不良が見られたし、連日の猛暑による勤続疲労だろうか。


 隣を見ると、衣弦は汗ひとつかいていなかった。ソーニャの不参加を知らされたとき、わずかに表情を動かしたが、彼女が何を考えているかはよくわからない。


 室内を見回すと、年配の刑事(確か吉岡という名前だった)が腕組みをして立っており、備え付けのベッドを無言で凝視していた。吉岡の視線の先に、被害者の遺体があったのだと思う。大河の直感推理を頼りにしているとはいえ、遺体のあった場所から何か決定的な証拠が得られるはずだ、という粘り強い執念のようなものが感じられた。


 だが、ベッドから一番離れた位置に陣取った俺は、弓長の遺体遺棄現場のときと同様、気分は落ち着いていた。死体があった場所なのに、冷めた目を持つ自分が常にいる。


 そんな俺は大河の雇い主だが、ここは県警のテリトリーだ。ゆえに現場を仕切ったのは、おそらくは吉岡からその任を申しつけられたと思しき背脂であった。

「それでは荒木さん、推理をお願いします」

 やつは大河のことを苗字で呼び、友人同士の馴れ合いめいた雰囲気を完全に蒸発させる。俺は「落ち着け、大河」と声をかけ、やつの背後に回った。肩をぽんと叩くと大きな深呼吸音がして、そこから霊視が始まった。


 意識の集中を経て、視線は一点に絞られる。ベッドの隅だ。大河の口の動きはいつもと同じで、警察の前では霊との交信を悟られぬよう、小さく囁くように動かしている。背脂たちには、それは「直感」を招き寄せるための呪文のように聞こえているのだろう。


 ややあって大河は、肩を上下させながらこう断じてきた。

「間違いなく、殺人事件だ。犯人のビジョンも流れ込んできた。名前もだ。『有希さん』というイメージがちらついてる」

 その発言を聞いた背脂が、すぐに質問を浴びせる。

「ちらついたっちゅうのは曖昧やな。もっとクリアな推理はでっきんのか。有希さんいうとるんは長門有希のことか? それとも鷲津有希か?」


 やつがその疑問を口にするまで二秒もかからなかったから、相当心づもりがあったのだと思う。けれど俺の頭は、そこに待ったをかけた。背脂はとんでもないことを口走ったのだ。鷲津有希。どうして兄貴の名前が被疑者として出てくる?

「要領を得んぞ、背脂」

 即座の反応は鋭い棘となったが、背脂は何事もなかったように無視した。


 その代わり背脂の発した疑問が松井知穂の耳に届いていたようで、返事を引き取った大河は抑え気味に息を漏らす。

「直感が得たイメージどおりだと、犯人は長門有希だよ」

 その名前はさっき入手したメモの送り主と同一。自分の確信に従うなら「長門有希」は兄貴のことだ。けれどその名前が殺害現場で交わされる。煙を掴むような心地がした。

「どういうことだ、背脂」

 警察が仕切る現場で余計な真似だとわかって、俺は視線を横に向けた。背脂は、露骨に不快げな顔をこちらに向け、吐き捨てるように言った。

「今の荒木さんの直感は、被害者である松井知穂が、加害者を『長門有希』っちゅう偽名で認識していたことの裏づけや」

 自信ありげに言いきられたが、聖辺と兄貴が同一人物なら、殺害犯は聖辺だ。


 でもその考えは矛盾していた。結局、兄貴が犯人ということになるからだ。そうなると聖辺のやつが有希を騙ったのか。俺にしては珍しく、思考が迷走し始めていた。

「冷静になれま、恭介」

 背脂が目を細める。先ほど見せた不快さは、憐れみへと変わっていた。

「実はな、犯人はこの部屋に長門有希名義で泊っとったんやよ」

 俺は必死に頭を回転させる。昨日のやり取り。現場の部屋をとった男について、背脂は言葉を濁していた。あのとき言い淀んだのはこのことだったのか。

 けれど返す言葉が見つからない。やっとのことで絞り出したのも、どこか悪あがきに似ていた。

「有希以外の可能性もあるだろうが。昨日言ったとおり、戸野口明日奈殺しの主犯は聖辺郁弥だ。女子高生殺しが連続事件なら、この件もやつの仕業と見るべきだと思うが?」


 問いかけに背脂は黙っていた。俺はその隙をつき、大河を振り向かせた。

「ちょびっといいか。俺は聖辺の関与を疑ってる。やつのイメージは見えないか?」

 その答えから導きだせる。聖辺と有希が同一人物であるかどうかを。だが、大河がよこしたのは淡い期待を裏切る返事だった。

「聖辺ってやつのイメージは見えなかったな」

 隣を見ると背脂は、二回ほど深く頷いた。やつのみならず、大河の霊視の意味は俺にとっても明快だった。ここで殺された松井知穂なる少女は、聖辺の関与を否定し、有希の犯行だと言ってのけたのだ。そしてこの結論は、ホテルマンから受け取った置き手紙と矛盾しないどころか有希が犯人であることを強化する。


 ただし、一縷の望みはあった。もしかすると知穂は、聖辺を知らなかったのではなく、彼について証言することを拒否したのではないか。セルリアン女学園の娘が相次いで殺されている。同校の背後には、後ろ暗い売春グループの存在がある。それに関与していた明日奈も、真実を明かすまで随分と時間がかかった。知穂においても事情は同じに思えた。


 しかしそれを口の端に上らせる前に、背脂が俺の肩を叩いてきた。

「言いたくないが恭介、松井知穂殺しの被疑者は有希さんやよ」

 俺を諭すような口ぶりには、友人としての慰めが感じられた。

「昨日言っただろ。セルリアン女学園に絡んだ売春グループを、聖辺って男が牛耳ってるんだ。この件も無関係じゃないと思う。どうして同じ絵を共有してくれない?」

 懇願するように言ったが、背脂の慰めは止まらない。

「有希さんが事件に関わっとることを兄弟やから認めたくない、その気持ちはようわかる。絢花ちゃんのこともあるし、聖辺や臣人のことを疑りたくなる気持ちもな。やけど俺らもアホやない。聖辺に関しても、きちんと裏取りしとる。有希さんがクロやと言えるだけの証拠もある。大河に推理して貰っとるのちゃ、それに確証を与えるための最後のピースや」


 背脂は一体、何を言っているのだろう? やつは俺がまったく関知していないことを明言した。聖辺の裏取り? 有希がクロだと言えるだけの証拠? なんだそれは。両方とも俺の頭の整理フォルダには入っていない。教えられてすらいない。

「裏取りってどういうことだ?」

 強い調子で問いただすと、背脂は吉岡を見て、吉岡は小さく頷いた。

「実はな」

 吉岡の許可を得て、背脂は目線を俺に戻し、不穏な声で話し始めた。

「聖辺に関しては、おまえに情報を貰う前から、弓長殺しの重要参考人として任意の事情聴取を済ませておったんや。これは恭介、おまえにはわざと教えなかった。有希さんに向けるべき嫌疑を、聖辺に振り向ける怖れがあったからな。探偵である大河を印象操作して」


 そこまで言って背脂は、聴取の日時が昨日の午後だったことを補足する。つまり俺は、警察が聖辺を洗い出した後に、大河の霊視にもとづく情報を上げていたわけだ。なんという滑稽なことか。

「で、聴取の結果はどうだったの」

「特に新情報はなかった。友人である弓長が死んで哀しい言うとったよ」

 馬鹿な。俺は聖辺の暴虐ぶりをこの目で見ている。やつは仲間が殺されたことに憐憫をかけるようなタマではない。

「おまえはその証言を信じたのか」

「信じるも何も、弓長が失踪してから会ってない言うとったし、会えなくなった日時も、失踪したタイミングと一緒やった。当日のアリバイもあるいう話やし、現時点で目立った穴はない」

「アリバイってどういうことだ」

「行きつけの店におったらしい。日付時間入りの領収書まで持っとったわ」

 背脂は店名を口にする。それは昨日、張り込みをしたレストランのことだった。


 俺は、警察が弓長の失踪日を特定し、聖辺の行動も把握済みなことに少なからず驚いてしまう。昨日の会話で背脂は聖辺をノーマークであるかのような態度をとったが、あれは完全に恍けたふりだったわけだ。

「俺、信用されてないんだな」

「そうやよ。俺らとしては、有希さんという肉親が絡んで、私情含みで動くおまえを信用しきれない。当然のことやろ」

 だとしても、聖辺の証言を鵜呑みにしていい理由にはならない。

「やつは売春グループを牛耳っとるらしいと言ったろ。突っ込んで調べたがか?」

「ああ、その件な。言うほど簡単やないんやよ」

 ここで背脂はもう一度、吉岡を見て、確認をとった後、おもむろに口を開く。

「非合法の売春グループ言うんはな、組織が階層構造になっていて、元締めに辿り着くまでに何人もあいだにおるもんなんや。そういう壁があるうえに、末端が摘発されたわけでもない。何よりそっちの仕事は組織犯罪対策課のテリトリーやし、強行犯専門の俺らがクビ突っ込むわけにもいかん。別件でパクろうにも証拠も何もないからな。組対のほうでも、首謀者の罪状がはっきりするまで要観察にする他ないわけや」


 ここで俺は、重要な捜査情報のほぼ全てを、大河の霊視に頼っていたことの弱点を思い知った。やつは正解を導けるが、それがなぜ正解かを証明することはできない。決定的な証拠を掴まない限り、周辺情報だけで警察という組織は動かない。

「よくわかったよ、瀬名刑事」

 俺はやつをわざと苗字で呼び、問いの矛先を変えることにした。

「そんなら、有希を本命の被疑者だと思う理由はなんだ?」

 答えづらい質問だったのだろう。背脂は三たび吉岡の了解を求め、今度ばかりは吉岡も渋い顔をつくった。極秘情報のたぐいだったのか。不安まじりの耳に、吉岡と背脂の囁き声が聞こえてくる。話の内容はわからない。小声で言葉を交わし、頷き合っている。


 ややあって背脂が俺のほうへ向き直った。その口が発したのは、一種の取引だった。

「有希さんに関する情報を教えてやってもいい。ただその代わり、今後、警察の捜査現場にタッチできないとする。この条件をのむなら、教えてもええよ。どうする、恭介?」


 薄々感じていたことではあったが、ついにこのときが訪れたと思った。俺は大河という警察に便利な探偵を雇うことを盾に、グレーゾーンな犯罪捜査を続けてこれた。だがそれは、警察の管轄を冒すことを意味し、やつらが線引きをすれば、俺はその線を超えることはできない。背脂が口にしたのは「ここが境界線」ということだった。

「条件はのむよ。けれど、大河の扱いはどうなるんだ?」

 雇い主の自分とすれば、やつと俺は一心同体。瀬戸際でそれを足がかりにしようと思ったが、警察の反応はシビアだった。

「捜査において、荒木さんは我々が利用する」


 その言葉を発したのは、斜め後ろに控えた吉岡だった。冷静に解釈すれば、大河を俺の代理人のようには使えない、そう釘を刺された格好である。もはや万歳する他なく、事実俺は観念したように両手を挙げた。

「言われたとおりにするよ。大河を後ろで操るような真似はしない。代わりに教えてくれ、どうして有希がクロだと思った」

 捜査からの離脱を代償とするくらいだ、よほど決定的な証拠なのだろうな。怒りにも似た感情を目線にこめると、背脂の声が室内を満たしていった。

「昨晩遅く、私立セルリアン女学園の元教師からタレコミがあったんや。何でも若い男が、女生徒の売春活動について調べとったらしい。そんで事情を知っとる元教師のことを脅し、情報を得るまでのあいだボコボコにした。男は長門有希、つまり松井知穂殺しの実行犯と同じ名前を名乗っとった」


 俺は思っていた。有希が富山に戻ってきているのではないかと。もっとも最初にそれを指摘したのは忠久で、俺は随分その見立てに懐疑的だった。ところが今朝、長門有希名義の置き手紙を受け取って、考えは変わりつつあった。有希は富山に戻っているばかりか、俺の捜査を先回りするように行動し、二件の個人情報を送ってきた。


 そのメッセージは謎だが、今の背脂の発言により、一つだけはっきりしたことがあった。有希が売春グループの線で元教師に辿り着き、情報を得ようとしていたこと。やつの暗躍は憶測ではなく、明白な事実だったのだ。

「瀬名刑事。その元教師の名前って教えて貰えるか?」

 タレコミの内容全体が、取引の対価だ。隠し通すはずはないと思って尋ねたし、背脂もあえて秘密にするような真似はしなかった。やつは吉岡の了解を得ず、こう言った。

「二宮燈。男性教師や」

 その回答を聞いて、俺の中でパズルのピースがはまる音がした。長門有希という偽名を使い、兄貴は二つの情報をよこしてきた。一つは黒川姫乃に関するもの。もう一つは二宮燈という人物の住所。


 後者には大きくバツ印がついていた。その意味はクリアになった。二宮という元教師は、すでにアプローチ済みというサインに他ならない。とはいえ最後に残した肉筆は、俺に何を教唆していた?


 ――警察にバレないよう行動しろ、恭介。


 公の捜査から外れるのは、むしろやつのメッセージどおりだったわけだ。有希がよこした手紙の存在が、重要な証拠になることはこれで間違いない。けれど俺は、警察にそれを提供しようとはしなかった。取引の材料はもう出し尽くしているし、何しろ有希は警察のことをまったく信用していないのだから。

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