第二十九章
侯爵夫人であるアナスタシアは、静まり返った屋敷の一室で、一人深いため息をついた。
窓の外には、美しい庭園が広がっているはずだった。しかし、今や整備も行き届かず、荒れた姿を晒している。まるで、今のレグニエ侯爵家そのものを映しているかのようだった。
「……どうして、こうなってしまったのかしら」
アナスタシアは呟きながら、遠い昔の記憶を辿る。
かつて、アルメリアとセレナがまだ幼かった頃、二人は無邪気で愛らしい娘だった。アルメリアは物静かで控えめだったが、聡明で、どんなことにもすぐに興味を持ち、学ぶ姿勢を忘れなかった。セレナは天真爛漫で甘え上手、母である自分によく懐いていた。
「二人とも、本当に可愛かったのに……」
二人はどちらもアナスタシアにとっては宝物のような存在だった。幼い頃の二人は、まさに天使のように可愛らしく、何をしても愛おしく感じられた。しかし、時が経つにつれて状況は変わった。まずアルメリアが家業の当主教育を受けるようになると、読み書きも計算も、歴史も語学も、驚くほどの速さで吸収していった。次第にその才能が浮かび上がり、周りからの評価も高くなった。
最初は、母親として、誇りに思っていた。
それだけならまだよかったが、問題は彼女がすべてにおいて、侯爵夫人である自分をも凌ぐ知性を持っていると気づいた時だった。その姿を見た時、最初は誇らしく思っていたが、心の中に微妙な感情が芽生え始めた。
アルメリアはあまりにも優秀だった。そして、だんだんとその優秀さが負担に感じられるようになったのだ。
「女のくせに、どうしてそんなに……」
気づけば、アルメリアの聡明さが、夫人にとって疎ましいものになっていた。自分よりも優れている娘に、次第に苛立ちを覚えるようになった。母親としての誇りが、次第に嫉妬に変わっていったのだった。
その一方で、セレナは母に似て、愛らしく、誰からも愛される存在だった。学問や作法にはあまり興味を示さなかったが、ピアノの才能だけはあった。それがむしろ「可愛らしい」と思えた。そして、セレナは母親であるアナスタシアにとって、どこかで癒しを与えてくれる存在になった。元気で愛らしいセレナを可愛がり、目をかけるようになった。
「セレナには、私に似た可愛さがある。アルメリアのように優秀ではないけれど、私にとってはそのほうが安心できた。だから、私はセレナをひいきするようになったのかもしれない。」
気づけば、アナスタシアはアルメリアよりもセレナを優遇するようになっていた。
何かあるたびに、セレナを褒め、甘やかし、アルメリアに厳しく当たる。夫もまた、素直で愛らしいセレナを可愛がり、アルメリアには厳しく接していた。でも今思うと、夫は跡継ぎとしてアルメリアに接していたから厳しくしていたのだろう。そんなことにも気がつかなくなっていた。その結果として、アルメリアはどんどん萎縮していった。母親が自分を無意識に避け、セレナを優先する様子を見て、アルメリアは次第に心を閉ざしていったのだろう。侯爵夫人はそのことに気づくのが遅すぎた。
思えば、アルメリアを冷遇し、セレナを溺愛することで、自分は安心しようとしていたのかもしれない。自分よりも優れた娘よりも、自分に似た娘のほうが愛しいと思いたかったのだ。
しかし、その結果、何が残ったのか。
セレナは甘やかされた結果、自分が特別であることを疑いもしないまま成長した。社交界での振る舞いも見せかけだけで、姉の婚約者を平気で奪い、挙句の果てには王族から目を付けられてしまった。その結果貴族から蔑まれ、婚約破棄までされてしまった。よく考えればそうなっても仕方のない振る舞いだったと今ならば思えた。でも、あの頃はセレナの味方でいなければ、と周りが見えていなかった。
一方、アルメリアは家を出てから、その才能を開花させ、貴族社会で高く評価される存在となっっていた。
「私がアルメリアをもっと愛していたら、こんなことにはならなかったのかもしれないわね。今更悔やんでももう遅いけれど。」
侯爵夫人は深い後悔の念を抱えたまま、静かに息をついた。
「私が……間違っていたのかしら……」
そんなはずはない。娘を愛した結果が、こうなっただけ。
しかし、アナスタシアの胸の奥には、消えない後悔が渦巻いていた。
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