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第14話「読書とドレスコード」

 旅の用意はほとんどオルディエール家がしてくれた。

 しかしすぐ出発するというわけにはいかない。


 アイリス出発のタイミングには、政治的理由が絡む。

 第2王子の婚約者であるアイリスが重要なパーティーに出席するのは、オルディエール家にとって大きな意味を持っている。

 アイリスはそこにいるだけで、政治的な圧力となるのだ。


「そういうわけだ。しばらく君たちを客として当家に迎え入れたい」


 予定をこなすまで、レオンとサラは客としてオルディエール家に留まった。

 今朝も大きなテーブルに招かれ、家人と一緒に食事をとっている。


「パーティーなんてのは、子供の命を賭けてまですることなのか」


 レオンはそう言って、柔らかい白パンを熱いコーヒーで流し込んだ。

 他のみんなは紅茶だ。

 コーヒー党だと呟いたのを、メイドが聞いていたらしい。


「すべてはアイリスのためだ」


 フィリップが答えた。


「大貴族の政治は、何も私腹を肥やすためばかりじゃない。身を守るための政治というものがある」

「身を守るためなら、さっさと逃げるのがいちばんだと思うがね」


 黒ハムをフォークで刺しながらレオンが言うと、フィリップは笑った。


「君たちほどシンプルには生きられないんだよ、我々は」

「およしなさいフィリップ、お客様よ」


 エレノアがたしなめる。


「でかい家とうまい飯の代償がそれだとすりゃあ、なるほど、同情するね」

「レオンさん!」


 サラも、ふたりの会話を聞いていて気が気でない。




 食事が終われば、特にすることがなくなる。

 レオンは自分にあてがわれた部屋で、銃の分解清掃をしていた。

 弾倉を磨いているときに、ドアがノックされた。


「どうぞ」


 入ってきたのはアイリスだ。


「お勉強の休み時間かい」


 アイリスはこくりと頷いた。


「いつもは庭で遊んでるんだろう。この部屋に面白いものはないぞ」


 レオンはブラシを置くと、銃に弾倉をはめ込み、手のひらで滑らせた。

 弾倉がスムーズに回転するのを見て、レオンは満足する。


「あの……」


 アイリスはおずおずと歩み寄ってきた。

 胸元に本を抱えている。


「本を、読んで欲しいの」


 そう言ってアイリスは、レオンに本を向けた。

 例の『銃士物語』だ。


「アイリスは字が読めるんだから、自分で読んだ方が早いだろう」

「読んでもらう方が、好きなの」

「そうか」


 レオンは弾丸を装填して、銃をホルスターに収めた。

 本を受け取ると、銀の栞が挟んであるページを開く。


「じゃあ読むぞ。……クリストファーはシャーリーに言った。君は俺が守ってやるから心配ない。ん?」


 アイリスは本とレオンの間に潜り込んできて、膝の上に座った。

 小さな身体は、とても軽い。


「ちょっと読みにくいな、頭をどっちかに傾けてくれ」


 アイリスは身体を傾けて、耳をレオンの腕に当てた。


「よし、じゃあ続きだ。……シャーリーは答えた。私のそばにいると、あなたが危ないわ。しかしその目は不安に揺れていて……」


 アイリスは頭を腕に任せたまま、心地よさそうにレオンの朗読を聴いている。

 窓から日が差して、ページが少し眩しかった。


「……クリストファーは笑った。美人を守るのに理由なんて必要かい? それを聞くとシャーリーは……」


 そこでまたドアがノックされた。


「今日はお客が多いな。どうぞ」


 入ってきたのはフィリップだ。


「君に聞きたいことがあるんだが……んん!?」


 レオンが膝にアイリスを乗せているのを見ると、突然フィリップはよく響く声で怒鳴り出した。


「貴様、アイリスに何をしている!」

「見てわからないか? 本を読んでやってる」

「なぜアイリスを膝の上に乗せているんだ!」

「勝手に乗ってきたんだよ」


 アイリスは、レオンの腕からひょこんと顔を出して兄の顔を見た。


「レオンを怒っちゃだめ」

「アイリス、ご本を読んで欲しいならお兄様に言うんだ。いつでも読んであげるから」


 フィリップは猫なで声でアイリスに言ったが、アイリスはプイと横を向いた。


「やだ、レオンがいい……」


 そう言って、レオンの腕にしがみつく。


「な……!」


 フィリップはレオンに決闘で負けたときよりも、ショックを受けているように見えた。


「ん、んんんんん……っ」


 何かに耐えるように、こめかみに指を当てながらフィリップは言った。


「アイリス。ちょっと大人のお話があるんだ。お部屋に戻っていなさい」

「……はい」


 アイリスは名残惜しそうにレオンの膝から下りると、レオンにぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。


「なかなか面白そうじゃないか、『銃士物語』」

「クルーガー……!」


 フィリップは喉の奥から絞り出すような声で言った。


「貴様、どうやってアイリスをたぶらかした……!」


 足を組んで本を読みながら、レオンは答える。


「ヘアスタイルを褒めてやったのさ」

「ふざけたことを抜かすんじゃないっ!」


 フィリップの額には血管が浮いている。


「そんなことより、俺に用事があるんじゃないのか?」


 レオンがパタンと本を閉じると、フィリップはハッと思い出したような顔をした。


「そうだった……!」


 フィリップはん、ん、ん、と咳払いをして、自分の頬をぴしゃりと叩いた。

 少し首を振って、ふーっと息をつく。

 怒りを静めるための儀式らしい。


「……実はだな、君たちに、パーティーの護衛を頼みたい」


 ある程度冷静さを取り戻したフィリップが言った。


「それが賢明だ」


 レオンはテーブルに本を置くと、フィリップは続けた。


「今回のパーティーでは、護衛をつけることがコード違反になっている。だから君たちにはオルディエール家の遠縁の親戚として参加してもらう」

「テーブルマナーとやらを期待されても困るぞ。ダンスもごめんだ」

「立食パーティーだ。大人しくしていれば問題ない。だがそのおかしな服装では駄目だ。貴族らしく正装してもらう」

「帽子はだめか?」

「当然だ」


 レオンはため息をついた。

 そのあとレオンはさっそく服飾室で下着姿にされ、メイド達に取り囲まれていた。


「レオン様は平民だから、きっと派手な色合いが良いと思うの! うんとあでやかにしなきゃ!」

「いえ、きっとこのブラウンのベストがお似合いよ! クルーガー様、良い身体してるから……!」


 メイド達はクローゼットから次々と服を取り出してレオンの身体に当て、ああでもないこうでもないと言い合っている。


「首元はレースで華やかにね。そんなんじゃダメよ、もっと大きいのないの?」

「それだとあんまり下品になるわ! だからこのダークブルーのスカーフを差し色にして」

「あー、それいいかもー!」

「勘弁してくれ」


 服装が決まって服飾室から解放されたとき、レオンはすっかりくたくたになっていた。

 それから少しして、隣の部屋からサラが出てくる。


「素敵……あんなドレスが着られるなんて、夢にも思いませんでした!」


 サラはレオンとは対照的に、嬉しそうにしっぽを立てている。


「俺もこんな悪夢は初めてだよ」


 レオンは帽子を直しながらそう言った。

 パーティーは2日後だ。

読んで下さってありがとうございます!


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