反徒の証
「ぼくの話ばかりをしているわけにはいかない。度を過ぎたおしゃべりなのが、ぼくの悪い癖なのさ。君の要件の方を聞こうか?」
フェノムがふと思いついたように話を変え、ストレアルを促した。
「まさか、本当にぼくと戦いたいがためにこんなところまで来たわけじゃないだろう?」
「あなたからすれば、きっと世俗に塗れたことと思われるでしょうが」
「構わない。ぼくだって世俗のことは好きだ。ゴブリンだって、愛すべき生物たちだしね」
「人を探しています。間違ってこの世界に迷い込んでしまった少女を」
言いながら、ストレアルはミトラルダの人相描きを取り出し、円卓に置いた。
「……見たことがある顔だね」
「そうですか?」
「死んだはずだ。確か、数日前の囚人会議で議題に上がったよ。ドグマがノスタルジアの商会から依頼を受けたとか言って、新入り全員を殺そうと躍起になっていた……待てよ」
フェノムは、ストレアルをじろじろと見つめた。
「……まさか、依頼していた仮面の男って言うのは、君ってわけじゃないだろうね?」
「勘繰りはやめてもらいたいものです。私は騎士として、不当な境遇にいるこの少女を助け出しにきたのですから。詳しくは申し上げられませんが、この少女はフォレース王国にとって重要な秘密を持っているのです。邪魔に思った者から暗殺されそうになったとしても、おかしくはありません」
ストレアルは素知らぬ顔で二枚舌を駆使し、フェノムを丸め込もうとする。
「そうかい? まあ、そうだったとしても手遅れだよ。この少女は死んだ。入ってきた他の囚人たちと一緒に殺されたんだ。新入りのうち、生き残ったのはたった二人しかいなかった」
そんなことはとっくに知っている。
先日、この世界に初めて来た囚人の三十二人のうち、ペッカトリアにたどり着くまでに二十四人が死んだ。それから巨人の息子を人質に取って、強引にあとの八人にも暗殺依頼を出し、追加でドグマに六人を殺させた。
その六人のうちに、ミトラルダのものと思われる死体があったがゆえに、ストレアルはまんまと騙されてしまったのだ。
「では、この少女を殺したのは誰です? ひょっとしたら、その者が彼女から秘密を聞いているかもしれません」
「スカーという囚人だね。その少女を囚人奴隷として買ったのは彼だった。随分とお気に入りのご様子だったらしいけど、結局ドグマには逆らえないからね。きちんと仕事を果たした」
「スカー……ですか」
「みなにそう呼ばれているんだ。きっと、見ればすぐにその意味がわかるとも。顔に大きな傷があってね」
フェノムは自分の顔に、人差し指で大きなバツ印を描いた。
その男が、ミトラルダの死体を偽装したのだろうか? そして、いま彼女を匿っている?
「……どのような男です?」
「頭がよく回るやつだ。しかも彼はいま、ぼくの周りを色々と嗅ぎ回っている」
「あなたの周りを?」
「ぼくにも色々と事情があるんだよ。それを知りたがっているみたいだ。ゴブリンたちは素直だから、聞かれたことは全て何の疑いもなくしゃべってしまう。だから、そろそろスカーには釘を刺してやろうかと思っていたところでね」
「なるほど。それでは私は、手遅れにならなくてよかったと喜ぶべきなのでしょうね」
「どういう意味だい?」
フェノムは小首を傾げて訊ねた。
「あなたにそのスカーを始末されてしまった後では、今度は私の方が途方に暮れていたでしょうから」
「物騒なことを言うんじゃないよ。ぼくは別に問答無用でスカーを殺そうだなんて思っちゃいない。せめてきちんと選択肢を与えてからじゃないと、寝覚めが悪くなるってものさ」
「選択肢とは?」
「ぼくにつくか、ドグマにつくかだ」
フェノムはそう言って微笑んだ。
「彼は任務に忠実でね。というよりも、立場をわきまえていると言うべきかな。いまはドグマに敵う者がいない。そう思っているからこそ、彼に従っている。しかし、味方につければこれほど役に立つ者もいないだろう」
「殺すのが惜しいということですか?」
「言葉を選ばずに言えば、そうなるかな。とはいえ……」
「とはいえ?」
言葉を止めて物思いに沈むフェノムをじれったく思い、ストレアルは先を促した。
「……最近は少し様子がおかしい。分をわきまえていないように見える。それがぼくの目には、随分と魅力的に映ってね……何というか、人間的に一皮むけたのかもしれない。動きやちょっとした仕草に気品があるというのかな」
「みな、この世界の王になりたいのではないですか? あなたと同じように、そのスカーという男も、ただあの巨人に支配されるだけの身分に嫌気が差したのかも」
「ぼくと同じように?」
「そうでしょう。先ほどご自身でおっしゃられたではないですか。あなたにつくか、ドグマにつくか、と」
「ぼくはべつにドグマの治世に嫌気が差しているわけじゃないよ。ただ単に、彼に反抗して見せた方が、ぼくの目的を果たす上で都合がいいっていうだけだ。これをごらん、ストレアル」
そう言うと、フェノムは首にかかったネックレスを手繰り、胸元から美しい宝石のはめ込まれたアクセサリーを取り出して見せた。
「これはここの王の証だ。とある魔物の牙でできている」
「……王の証? では、なぜあなたが持っているのです?」
「珍しいものじゃないんだよ。ただ、ドグマ以外が持っていてはいけないという法があるだけでね。これこそが彼に対する反抗の意思表示であり、反徒たちの旗頭となるアイテムというわけなんだよ」
それを聞いて、ストレアルはミトラルダのことを思い出した。反徒たちの旗頭となるべきものは確かに必要だ。
「そしてこのアイテムのことで、いまスカーはぼくを嗅ぎ回っているという次第でね。最初は単にドグマのためかと思っていたけど、どうもそういう感じでもない。しっかりと報告している様子がないからね。スカーには、絶対に何か他の目的があるんだと思う」
「そうですか。私にはわかり得ぬ話ですが」
「同じものが、もう一つある。その一つを譲れば、スカーはぼくに協力してくれるだろうか? どう思う、ストレアル?」
「ですから、会ったこともない人間のことを訊かれてもわかりませんよ」
「冗談だよ。しかし、君は随分と現実主義者のようだ。もっと想像の中に生きてもいいと思うけど」
フェノムはひとしきり笑ってから、すっと立ち上がった。
「……また話し過ぎてしまったようだね。君はいまからスカーを探しに行くのかい?」
「そのつもりです。何はともあれ、話を聞かせてもらわないことには」
「それなら、ぼくも同行させてもらおうか。君はこの街に不慣れだろうから、道案内がいるだろう」
「お手を煩わせるほどのことでもないと思いますよ」
「逆だよ。君だけだったら、スカーを殺してしまうかもしれないじゃないか。お目付け役が必要だってことさ」
ストレアルは座りながら、じっとフェノムの顔を見上げた。
一人で行動するに越したことはない。ミトラルダの一件――つまりは彼女の身の上や王国の内情について、この男に聞かれるわけにはいかないからだ。
とはいえ、仮にそうなったらそうなったで、大した問題が生じるわけではないと思い直す。
必要になれば、この男を処分すればいいだけの話だ……と。
フォレースの英雄はストレアルにとっての呪いであり、それを断ち切る機会を得られるのならば一石二鳥というもの。
「……それでは、お願いいたします。フォレースの英雄と同行したと聞けば、本国の者たちは私を羨望の眼差しで見ることでしょう」
「ああ、懐かしいな。いまぼくは、とてもノスタルジックな気分になっているよ。昔も、こうやってレオと肩を並べて出陣したものだ」
殺した相手のことを嬉しそうに語るフェノムの横を、ストレアルは黙って歩くに努めた。




