シャルムートの神
幼くして両親に捨てられ、孤児院で暮らしたシャルムートには、家族と呼べるものがいなかった。
孤児院の院長は、自分を父と呼ぶように諭し、周りにいる子どもたちを家族と思うようにとシャルムートに言い聞かせてきたが、彼らをそういう存在だとはとても思えなかった。
というのも、彼らは事あるごとに弱々しい身体つきのシャルムートをいたぶり、暴力を働いてきたからだ。
「お前は前世で間違いを犯したんだ。だから神に嫌われて、そんなに弱々しい身体にされるし、親にも捨てられたんだ。わかるか?」
孤児院で幅を利かせる少年の一人が、シャルムートを殴りながら言った。
「だからお前には罰が必要なのさ。俺がやってるのは、お前のためを思ってのことなんだぜ」
「ぼくのためを思って……?」
「そう、こいつが愛情ってやつだ。他ならぬ家族のためさ」
シャルムートは愛情を知らなかった。
しかし、愛とは強烈な感情だという理解が頭のどこかにあった。
それは何者かと一つになりたいという感情であり、対象が神になれば信仰となり、対象が異性であれば情交というかたちを得る。
そんなシャルムートが初めて憑依術師としての自分の力に目覚めたとき、憑依して潜りこんだ対象は、孤児院を定期的に訪れるシスターだった。
愛を説くくせに、自分は情愛を知らないという。そんな矛盾を抱えた彼女に、シャルムートは愛と罰を教えてやる必要を感じた。
「ぼくたちはいま一体となった。これは愛だろ、シスター?」
鏡を見ると、彼女の細い首がたまらなく魅力的に見えた。皮膚の奥にうっすらと見える血管から目が離せなくなり、気づいたときには、そこに刃物を押し当てていた。
「そう、こいつが愛情ってやつだ。他らならぬシスターのためさ」
あの少年の言葉を真似ると、シスターの中にいる自分がさらに薄まったように感じた。
自分という存在が消える感覚に、シャルムートは激しい興奮を覚えた。そして自分の興奮がシスターの心臓の鼓動を速めていると気づいたときには、失神してしまうのではないかと思うほど大きな快楽を得た。
それからシャルムートは、迷わず彼女の首筋を掻き切った。
シスターと一緒になって死を実感してから、自分の身体でハッと目を覚ましたシャルムートの中では、すでに愛と罰が結びついていた。
シスターの自死を驚く孤児院のみなに、シャルムートは語りかけた。
「神はこの世にいるんだろうか? シスターは神と一体になったのかな?」
「こ、こんなときに何言ってんだ、お前……」
「神はどこにもいないじゃないか? 誰がぼくたちを愛し、罰してくれるんだ?」
「人が死んでいるんだぞ、やめないかシャルムート……」
そう言う院長に向かって、シャルムートは『力』を向けた。
その瞬間、視点が移動する。
シャルムートは院長の目で、その場に倒れ伏した自分の身体を見ていた。
「お、おい、シャルムート……ど、どうしたんだ。お前も死んじまったのか……?」
そう言うのは、事あるごとにシャルムートをいじめていたあの少年だった。
シャルムートはおもむろに彼に近づくと、思い切りその頬を殴り飛ばした。
力を入れ過ぎたせいか、拳の中指の骨が脱臼してしまったらしい。しかし、院長の身体が自分に痛みを伝えてくるのが、たまらない快感だった。
「と、父さん……?」
「父さんじゃないだろ? 私はお前のような薄汚れた子どもを作った覚えはない。お前はただの人間の出来そこないだ」
院長の真似をしながら言葉を発すと、殴られた少年の顔がさっと青ざめた。
「何を言ってるの……?」
「お前には罰を与える。こんなところにいるようなやつは、罰せられて然るべきだ。それが私の愛なんだよ」
それから彼が動かなくなるまで殴り続け、周りで怯える子どもたちに向かって微笑むと、彼らの数人は弾かれたように逃げ出した。
腰を抜かしてしまった子どもたちに、シャルムートは優しく語りかけた。
「……偉いぞ。お前たちは罰から逃げなかった。いま逃げたやつらは、人間のクズだ」
その日のうちに孤児院での日常は崩壊し、シャルムートはまた一人になった。
しかし、もはや自分が一人ではないという確かな認識があった。
誰かと一つになれるという力を与えてくれた神に感謝し――しばらくしてから、その神の存在にまた疑問を抱いた。
「……いつかあなたは現れるのですか? そしてぼくを罰するのですか?」
空に向かって問いかけても、神からの返答はなかった。
「……いやしないんだろ? あんたは、ぼくたちの頭の中にいるだけだ。あんたがすべきことを、ぼくがやってやる。人を愛し、罰すること。ぼくの目に止まり、ぼくと一体になれる者は幸運だ。違うか?」
その答えを得たのは、監獄の中に入ってからだ。
霧の中から現れた圧倒的な恐怖感に、シャルムートは神を感じた。
この存在こそが――この圧倒的な力こそが、自分の敬い恐れていたものだ!
シャルムートはそのとき、ずっと疑問に思っていた神の輪郭を得た。
それは竜のかたちをしていた。




