ミスリル鉱山
街の一部となっている山の斜面を登り、都市壁門の奥にあるトンネルを抜けると、峡谷にできた細い道が延びている。
そこを少し行ったところに、ブラントット商会に振り分けられた鉱山はあった。
いま、ギデオンはリルパとロゼオネを連れ、ブラントット商会主のウィンゼの案内で、この鉱山内の道を進んでいた。
坑道の中は暑く、汗がじんわりと滲んでくる。
ごつごつした地肌はところどころ添え木で支えられ、暗闇に光を照らすランプが一定間隔で備え付けられている。
道は幾重にも分岐し、もはやギデオンはどうやってここまで来たのかわからなくなっていた。
そんな迷路のような坑道を、一行を先導するウィンゼは、ためらう様子もなくどんどんと進んでいく。
「地肌を見れば、そこがどこか大体わかるものでございやんす。こればかりは、小鬼がそうなっているからとしか申し上げられやせんが」
迷うことはないのかというギデオンの質問に、ウィンゼはそう答えた。
「掘った者の特権でございやんすよ。レダースト商会の者にここを任せても、きっと扱い切れないに違いありやせん」
「この世界で、貨幣という概念ができたのはいつだ?」
「二十年ほど前でございやんす。ドグマさまのご意見を取り入れたフルールさまが、便利だということで導入されやんした。しかし爆発的に広まったのは、やはりドグマさまがペッカトリアを管理されるようになってからでございやんす」
「それは確か、十年くらい前からということだったよな?」
「そのとおりでございやんす」
「それまでは、ブラントット商会もレダースト商会もなかったわけだろ? そのときのように、もっと仲良くできないのか?」
するとウィンゼは複雑な顔をして、ギデオンをまじまじと見つめた。
「……恐れながら申し上げやんすが、やはり競争は必要でございやんすよ。小鬼にいまのような知識がない時代、我々の先祖は血で血を洗う闘争を繰り広げておりやんした。それはもう、生き物としての本能なのでございやんす」
「ゴブリン同士で争っていたのか?」
「ええ。みな統率者になりたいと思っていたようでございやんす。それは小鬼の統率者と呼ばれる存在でございやんすが。覇権を夢見て、お互いに力と力をぶつけ合っていたと。いまから考えると、極めて野蛮な時代でございやんす」
「しかし、フルールがそれを変えたわけだ」
「そのとおりでございやんす。我々に、知性とルールを持つことの重要性を諭したのでございやんす。最初は、彼女こそがリルだと思う小鬼もおりやんした。というのも、フルールさまの力は天変地異の一角、大地の怒りを表現するものでございやんしたから。フルールさまは、ご自身のことをリルとは異なった存在だとおっしゃられておりやんしたが、完全にあの方とリルが同一存在でないと信じられるようになったのは、やはりリルパがお生まれになってからでございやんす」
言いながら、ウィンゼはリルパに愛しげな眼差しを向ける。
「フルールさまはこの地ではないどこかの世界で、リルに会ったのでございやんす。そうして、リルパを授かったのだと」
ギデオンは、城のメイド長ペリドラの話を思い出していた。確か彼女は、フルールが四層世界の最奥でリルに会ったと言っていた。
「統率者であるフルールさま……そしてリルパを得た我々は、ようやく愚かな野望を抱くことがなくなりやんした。小鬼の統率者を目指すのではなく、小鬼の統率者に尽くすことこそが使命だと悟るようになったわけでございやんす。とはいえ、やはり小鬼の中には昔の闘争本能が残っており、それが我々を競争に駆り立てるのでございやんす」
「知性とルールのもとでの競争か」
「そのとおりでございやんす。わたくしめに言わせれば、レダースト商会は動くべきときに手をこまねいていた怠け者でございやんすよ」
「ウィンゼ、あなたは俺たちノスタルジア人の本質をよくわかってる。みな金に弱いんだよ。情けない話だがな」
ギデオンが肩をすくめて言うと、ウィンゼはさっと真剣な表情になった。
「そ、それはまさか……その……いま、要求しておられるので? ギデオンさまは先ほど、自分に鼻薬は効かないとおっしゃられておりやんしたが……」
「ああ、そういう意味じゃない。俺には賄賂なんて渡す必要はないよ。とはいえ、ミスリル鉱石の掘り方くらいは指導して欲しいものだが。本来は、そのためにここに来たんだ」
「ミスリル鉱石の掘り方を? ギデオンさまは、本当に変わっておいででございやんす……」
ウィンゼはそう言ってから、無造作に置かれている大きな四角い風呂釜のようなものに近づいて行く。
「それは何だ?」
「トロッコでございやんす。坑道内ではこれで移動したり、掘り出した鉱石を運んだりするのでございやんす」
「わあ、これがトロッコでありんすか!? 一度見てみたいと思っていたでありんす!」
ロゼオネが瞳を輝かせた。
「一度に小鬼を五匹まで運ぶことができやんす。リルパとギデオンさまは小鬼ではございやせんが、リルパは小さいし、ギデオンさまを小鬼二匹分と考えても、全員乗れやんすよ」
「俺にそこまでの体重はないと思うが……」
「いいから、乗るでありんす! 早く乗るでありんす!」
ロゼオネは我先にと、リルパの手を引いてトロッコに飛び乗る。
「……これ、動くの?」
「なあにを聞いてたでありんす、リルパ! お城を動かすよりも、よほど楽しいに決まっておりんす。トロッコに乗ったと聞けば、城のメイドたちはきっと羨ましがりなんしょう!」
ロゼオネに促されるまま、リルパはおずおずとトロッコに乗る。
次にギデオンが乗り、最後に乗ったウィンゼがトロッコの先頭に陣取る。
「……あ」
「う……」
狭いトロッコの中で、リルパはギデオンのすぐ近くにいた。
リルパはさっと頬を赤らめ、ギデオンは恐怖で青ざめた。
「では、出発しやんす! 少し揺れやんすよ!」
ウィンゼの号令とともに、トロッコが動き出す。
途端にリルパはバランスを崩して、ギデオンの方にもたれかかってきた。
彼女は顔を真っ赤にしたまま、ギデオンの身体にしがみついてくる。
「ま、まだ食事の時間じゃないだろ……?」
「……ばか!」
気まずそうな顔をするリルパの目は、ギデオンの方ではなく、流れていく横の土面風景に向けてられている。
トロッコはどんどんスピードを上げていき、分岐した道をぐねぐねと進んでいく。
後ろの方から、ロゼオネの甲高い声が聞こえた。
「ヒュー! こいつは最高にハイってやつでありんす! わっちの失われた野生が取り戻されていくでありんす!」
「まだまだスピードはあがりやんすよ!」
「旦那さま、さっきも申しあげなんしたように、わっちの生まれは竜の都、イステリセン! 竜車の竜を立派に育て上げる竜師の娘でありんした! じゃじゃ竜を乗りこなすのはお手の物でありんすよ! この先の竜もひっぱたいてやりんしょう!」
「そ、そいつは頼もしい!」
ギデオンは大声で答えたが、生きた心地がしなかった。トロッコのスピードが怖かったわけではない。しがみついてくるリルパの腕に込められる力が、次第に強くなっているように感じたからだ。
トロッコがスピードを落としていき、敷かれたレールの上をゆるゆると動いて止まった。
そこにはぽっかりとした広場がある。
「さあ、着きやんした……ランページ・リキッドが出るのはこの先でございやんす……」
ウィンゼが広場に足を降ろしながら、震え声を出した。
彼が指差す方向には、整然と切り揃えられた石を敷きつめた道がある。
「文明の匂いを感じるのでございやんすよ。何かの遺跡のようなのでございやんす。湖の近くには、あのように石切り師が精巧に切り出したような石が敷かれておりやんす……」
「……文明?」
「我々の理解を超える古代文明があったのでございやんす。囚人さまがこちらの世界にやってこられるあの『神聖なる神殿』も、きっとその名残でございやんすが」
「囚人がやってくる? ……それはピアーズ門のことか?」
「ああ、囚人さまたちが、あの場所をそう呼ばれることも知っておりやんす……」
人知を超える古代文明の存在は、元いた世界でもよく噂されていた。
人の時代の前に、神々の時代が確かにあったという話だ。フォレースが国を挙げて主神ラヴィリントを崇拝するのも、その影響というわけだ。
『ダンジョン』として遥か昔から世界同士が繋がっていたとするなら、どの世界にも神々の痕跡は残っていても不思議ではない。
「では、ここは神聖な場所というわけか」
トロッコから降り、ギデオンは広場をぐるりと見回した。
「ともすれば、そのような場所なのかもしれやせん……」
「精霊が住みついているのかもしれないな。神々の残り香と言われるやつらだが」
「精霊でございやんすか……?」
「そうだ。目に見えない魔法生物をそう呼ぶ。彼らは神聖な場所に住みつくと言うよりも、彼らが住みつく場所を、人間が勝手にありがたがって神聖視してしまう傾向がある」
ギデオンは一人で納得し、石の敷かれた道の先へと進んだ。
そこには、シンと静まりかえった湖がある。想像していたほど広くなく、沼と言ってしまっても差し支えないだろう。水中で揺れる輝藻が光を放ち、湖面がきらきらと美しい輝きをたたえている。
そのとき湖面が不自然に盛り上がり、一粒の巨大な雫が宙へと舞い上がった。
その液体の塊は、空中で右へ左へゆらゆらと揺れてからピタリと止まり――ギデオンの方に猛然と迫ってくる。
「……叩きつける水ね。なるほど、こちらの世界ではそのような言い方をされているわけだ」
一人呟くと、ギデオンは水塊の攻撃を避けるために跳躍した。




