ギデオン観察
ノズフェッカは山の斜面に作られた都市で、街中が坂や階段だらけだった。山に面した海には港が開かれ、いくつも帆船が浮かんでいる。
街には石と土の混じった建物が多くあり、煙突からもくもくと煙が上がっていた。
リルパはロゼオネに手を引かれて急こう配の階段を登りながら、先を歩くギデオンの背中をじっと見つめていた。
ドグマに教えてもらったように、ギデオンに命令を出さなければならないと思ったが、これがなかなか難しかった。
たとえば、彼が自分の前を歩くのにも、いちいち「わたしの前を歩きなさい」とか言って命令しないといけないのだろうか?
そもそも、先ほどギデオンはこちらが命令を出していないのに、「リルパの命令で行動している」と言ってリルパを混乱させた。
(ひょっとして、もうギデオンはわたしの考えがわかるようになってるの? わたしがして欲しいことを察して動いてるとか……)
ずっと命令されて動いていた人間は、いずれそういう風になるという。自分の頭ではなく、命令者の頭で考えるようになると。
これまで命令らしき命令を出した覚えはなかったが、ギデオンは特別その順応能力が優れているのかもしれない。
いまだって、リルパはギデオンに前を歩いていて欲しいと思っていた。後ろ姿なら、堂々と盗み見ることができるからだ。
「……ねえ、ロゼオネ」
リルパは、隣を歩くメイドの手をきゅっと握って語りかけた。試したいことがあった。
「どうしなんした、リルパ?」
「この街で何か変なことが起こってるの?」
「先ほどの小鬼の話だと、そのようでありんすねえ」
「ギデオンに、それを助けてあげるように言って。ゴブリンたちは困ってるんでしょ?」
「かしこまりんす」
ロゼオネは大真面目な顔で頷いてから、声を張り上げた。
「――旦那さま!」
前を歩くギデオンが振り返る。
「何だ?」
「リルパが言っておりんす。この街で起こっていることを解決するようにと」
「……? 最初からそのつもりだが?」
怪訝そうな目を向けられ、リルパはロゼオネの身体を盾にして隠れた。
しばらくすると、またギデオンは前を向いて前方を歩くゴブリンたちについて行こうとする。
「……ねえ、ロゼオネ。ギデオンはもうわたしの考えがわかってるのかもしれない……」
「はあ?」
「だって、ギデオンはいま、『最初からそのつもりだ』って言ったでしょ。わたしがして欲しいことをわかってたんだよ」
「おお、何とそういうことでありんしたか! 以心伝心とはまさにこのことでありんす!」
騒ぎ立てる若い女ゴブリンの大きい口を、リルパは必死になって押さえこんだ。
「お、大声でそんなこと言っちゃダメ! ギデオンに聞こえちゃうでしょ!」
「別に聞こえてもいいのでは? お気持ちが通じ合った二人の仲なら、もはや隠し事など無意味でありんしょう」
「それはそうかもしれないけど……」
リルパは顔が熱くなるのを感じた。
気持ちが通じ合うという表現は、妙に照れ臭さを感じさせた。
「羨ましいでありんすねえ。わっちらはずっと城勤めでありんすから、恋愛などなかなかできなさんす」
「恋愛って?」
「いまリルパが旦那さまとしていることでありんす。殿方と一緒にどこかへ出かけたり、思いを伝え合ったりするのでありんす」
言いながらロゼオネは繋いでいる手を上げ、リルパによく見えるようにする。
「こういうのも、本来は殿方とするものでありんすよ? せっかくの機会なので、旦那さまに手を引いてもらえばいいと思いなんすが」
「だって……恥ずかしいし」
「その恥ずかしいという思いも、恋愛につきものでありんす。特に、リルパくらいの素人になると」
ロゼオネは得意そうな顔になる。
彼女から醸し出されるその玄人感に、リルパは圧倒された。
「だったら教えて! ギデオンのことは気になるけど、フレイヤみたいに、その人のことを考えてたらずっと幸せって感じじゃない。ギデオンのことを考えてるとつらいときもあるんだよ。一緒にいたいけど、一緒にいたくないときもあって……」
「わかりんす。恋愛感情には幸福感だけがあるわけではなさんす。愛憎は言わばコインの裏表の関係にあり、深く結びついているのでありんす。激情、憎悪、嫉妬……それに、その人を独占したいと思ったりもしなんすねえ」
「……そうだね」
リルパはそれで昨日のギデオンの態度を思い出し、むっとした。
しかしロゼオネは、そんなリルパにすら余裕ある眼差しを向ける。
「――わかりんす。わっちには全てわかりんすとも」
「ロゼオネはペリドラみたいにきつく言わないんだね? ペリドラは、わたしが人づてにギデオンに言葉を伝えるのもだめって言うし」
「ふっふ、わっちはペリドラとは違いなんす。ペリドラはもはや年輪を重ねた大木で、恋愛をしていた幼木の少女時代など遥か遠い昔でありんす。でもわっちは現役なので、リルパの気持ちがよくわかりんす!」
「じゃあ、わたしはいまどうしたらいいかわかる?」
「まずは何より、身を守る服を身につけることでありんすね。寒いところで何も身につけずにいれば寒いのは当然でありんす。いまのリルパは、旦那さまのことをあまり知らなさんすから。そんな状態で、旦那さまとお話しできないのは仕方のないことでありんす」
「もっとギデオンのことを知る必要があるってこと?」
「そう。あの方がどのような考え方を持っていて、どのようなものに関心を示すのか。別に、直接話さなくとも、普段の行いを見ているだけでそういうことは自然とわかるものでありんす。だからリルパが今日一日、旦那さまと一緒に過ごしたいと言ったのは、すばらしい判断でありんす」
「ロゼオネはわたしがギデオンを知るのを手伝ってくれる?」
「もちろん。そのために、わっちはいまこの場におりんす」
自信満々な若いメイドの態度は、大いにリルパを勇気づけた。
そのとき登っていた石の階段が終わり、切り揃えられたかのように平らな地面が現れる。
そこには赤レンガ造りの荘厳な屋敷が建っていた。その建物は背後にある山の斜面と隔たりがなく、山と一体化しているように見えた。
「ここがシャルムートさまのお屋敷でございやんす」
案内役のゴブリンが振り返って口にした言葉に、ギデオンは軽く手を上げて応えた。
「ありがとう。時間を使わせて悪かった」
すると、ゴブリンの方は呆気に取られたような顔をする。
「れ、礼を言われるようなことではございやせんよ。囚人さまに尽くすのが小鬼の幸福でございやんすから……」
そんな二人のやりとりを見て、ロゼオネはひそひそと囁いた。
「……旦那さまはやはり、少し変わっておいででありんすねえ」
「どうして?」
「囚人さまは普通、小鬼をあんな風に扱ったりしなさんす。リルパも、自分の手足にいちいち礼を言うことはなさんしょう?」
「ゴブリンは誰かの手足じゃないでしょ?」
「たとえでありんす。囚人さまにとって、小鬼は本来そういうものでありんすよ」
そう言うロゼオネは、困ったように口をすぼめていた。
「……どうにもあれでは、小鬼を人として扱っているように見えなんす」




