狂気の男
地下牢の鉄格子越しに、スカーは最愛のメニオールをうっとりと眺めていた。
彼女がここにいる間は『苦痛の腕』による壁堀りは中断せざるを得ないが、それでもこの美しい顔を見るだけで救われる気持ちだった。
この顔を苦痛に歪ませたい……余裕ある笑みを浮かべる彼女の泣き叫ぶ顔を想像するのが、スカーの毎日の楽しみだった。
「……てめえのことを疑っていたぜ、スカー。力のことで、アタシに嘘を吐いてるんじゃねえかってな」
青い目のハーフエルフは、椅子に座って悠然と足を組んでいる。
「俺があんたに嘘を吐くわけねえ」
「へえ、そうかい?」
「惚れてんだ。何度も言わせねえでくれ」
「嗜虐趣味から被虐趣味に宗旨替えってわけか?」
メニオールはふんっと鼻を鳴らす。
「……今日ラスティにてめえの力を使わせた。四本の魔法の腕だ。しっかり確認させてもらったよ」
それを聞いて、スカーは瞬時に頭を回転させた。
「なるほど、あんたはシャルムートを使ったんだ。そうだろ?」
「シャルムート?」
「囚人さ。マナを見とおすことができるんだ。俺の力に初めて気づいたのもそいつだった」
すると、メニオールは眉を寄せる。
「……何だと? そいつは瞳術師か?」
「瞳術師? 何だい、それは……」
メニオールがわけのわからない言葉を発し、スカーは困惑した。
「ひょっとして俺は見当違いのことを言ってるかい? 俺はてっきり、あんたがあいつに頼んだものだと思ったんだが……」
「いや、そもそもシャルムートなんて囚人はペッカトリアにはいねえ。何をわけのわからねえことを言ってやがる」
「ああ、そうか。あんたはここが短いから知らないかもしれねえな。俺と同じくらいの時期にこの監獄世界へ入ってきたやつさ。あいつはいま、ノズフェッカを治めてたはずだ」
「……ノズフェッカ? 北の都市か」
「そうさ。ペッカトリアにいるのが怖くなっちまって、ボスに頼んで北に飛ばしてもらったんだよ」
「怖くなった? ドグマにそんな要求ができるってことは、そいつは一級身分の囚人だろ? 囚人奴隷とかじゃなく」
スカーは頷いた。メニオールの疑問はもっともだ。
「囚人さ、もちろん」
「じゃあこの街で何を怖がったんだ? リルパか?」
「それは、俺にもわからねえ。ある日突然、腕を無くしたんだ。で、『竜に襲われた』って言い出してよ。気が狂ったのかと思ったぜ」
「竜?」
「言ったろ? あいつは本来見えないものが見えちまうんだ。ほら、あんたにこいつが見えるかい?」
言いながらスカーは『苦痛の腕』をそっと伸ばし、メニオールの顔の奥に触れた。
――途端に、激痛が自分の顔に跳ね返ってくる。原理はわからないが、メニオールは苦痛を跳ね返す力を持っている。
「ああ、いてええ! あんたのせいだぜ、メニオール! ハッハ! 俺をもっと痛めつけてくれ!」
「この変態野郎が……」
早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとして大きな息を吐いてから、スカーはもう一度大声で笑った。
「アッハッハ! あんたはどうして俺を殺さない? 殺しておいた方がいいと思うぜ!」
「……そのことについては安心しろ。殺すべきときがきたら、きっちり殺してやる」
そう言って冷然と笑うメニオールは、ますますスカーを興奮させた。
「あんたは俺の女神だ、メニオール。俺はようやくわかったんだ。俺は痛みでしか人と会話できねえ。人を傷つけ、傷つけられて、ようやくわかり合えるのさ。あんたが、それを教えてくれた」
「てめえとわかり合える日がくるとは思わねえよ」
「いや、必ずくるさ。その日まではずっと言い続けるよ。俺はあんたを愛してる」
「勝手にしな。応えてやれる日は一生こないが」
メニオールが立ち上がったのを見て、スカーは大きく狼狽えた。もう終わりなのか? また明日まで、この女神を待ちながら穴を掘り続ける退屈な作業に戻るってのか?
「おい待てよ、メニオール! 話の続きは?」
「そのシャルムートなんてやつのことはどうでもいい。どうせこの街には関係のないやつだ」
「あ、あいつを――シャルムートを使ったんじゃないなら、どうやって俺の魔法を見抜いたんだい? さっきあんたが言ってた瞳術師ってやつがこの街に来たのか?」
「さあな」
メニオールは背を向けた。
スカーは必死になって頭を回転させ、彼女の気を引ける言葉を探した。頭を使うのは得意だ。もともと自分は、巨人のドグマに知略を買われていたのだから……。
「――あんたがこの前連れてきた女だろ?」
スカーがそう言うと、メニオールの足がピタリと止まる。
「左目が金色に光ってたやつだ。随分と器量のいい女だったなあ……」
振り返った青い目に静かな怒りが宿っているのを見て、スカーは興奮を覚えた。
「……あいつに薄汚ない感情を向けるんじゃねえ」
「まさか、嫉妬してんのかい? 俺はあんなガキ好みじゃねえよ。俺が愛してるのはあんただけさ……」
すると、メニオールの表情から、すっと激情の色が消える。
しかし、それがただ隠蔽されただけだとスカーにははっきりわかっていた。彼女は冷静さを装っている。逆に言えば、冷静さを失ったからこそ、装う必要がある……。
「……あいつは関係ない。てめえの力がわかったのは、ラスティが馬鹿をやっただけさ」
「馬鹿をやった? そいつは許せねえ事態だ! ラスティは俺の家来だからな。つまりは、いまはあんたの家来ってことさ。好きにこきつかってくれ」
足輪を引きずりながら這って進むと、スカーはそこにある鉄格子を両手で握った。
メニオールはそんな哀れな囚人に、冷たい目を向けてくる。
「……じゃあ、アタシがあいつの生き死にを決めてもいいってことか?」
「俺を殺さないあんたが、ラスティは殺そうってかい?」
嫉妬心が沸き上がり、どうしようもなくイライラした。
「いや、アタシはラスティには新しい人生を与えてやろうと思ってる。てめえのようなクズの魔法じゃなく、もっと生産的な魔法を使いこなせるようになった方があいつのためだろ?」
「ああ、そういうことか。あいつに別の魔法をコピーさせて、利用しようってわけだ」
「まあ、そんなとこだ」
「それなら構いやしねえよ。あんたには俺がいる。『苦痛の腕』を使いたくなったら、俺を頼ればいい」
スカーはそれを本心で言っていたが、メニオールは煩わしそうに見下してくるだけだった。
「勘違いするなよ。アタシが甘い女だと思ってるだろ? ずっと生かしていてもらえると? だが残念ながら、てめえを殺す算段はもうついてるんだぜ」
「そうかい?」
「てめえは食われて死ぬ。だが、食う方が嫌がってるのさ。そいつを説得してるところだ」
「どうせなら、あんたに食われたいな。そうやって、一つになるんだ。あんたは俺そっくりの皮を被って、俺を演じてる。でも中身はあんたのままだ。あんたの中身まで、俺になってくれたら最高なんだが」
「狂ってるぜ、てめえ……」
「狂ってる? いや、俺は冷静だよ。冷静で、大真面目に最高の気分だ。世界がこんなに輝いていたなんて知らなかった。確かに、いま自由がないことには怒りを感じる。でもその感情さえ生を実感させてくれるのさ。これは喜びに続くための試練で、こんな苦労なんていままで生きてきた俺の満たされない人生に比べれば、何てことはない。俺は愛を知ったんだから」
「ペラペラとしゃべってる暇があったら、てめえの神に祈ることだな。アタシの説得が終われば、てめえは終わりだ」
「じゃあ、あんたに祈るよ。俺の女神はあんただ、メニオール……」
スカーはうっとりとメニオールを眺めると、顔を歪めて笑った。
「……俺を殺すなら殺してくれ。そうじゃないと、いまに俺があんたを殺すことになるぜ」
次回より新章「ノズフェッカと水の竜」編がスタートします! ギデオンの考え方に、大きな影響を与える出来事が起こります。
たくさんのブックマークや感想、評価ポイントをいただき、日々の更新の励みになっております! 本当にありがとうございます!




