動く居城
フルールの居城へと戻ってきたギデオンは、メイド長のペリドラに連れられ、長い廊下を歩いていた。
街から持ち帰った問題をいつ言い出せばいいものかと思い悩んでいたが、ついに意を決して切り出す。
「……そう言えば、ペリドラ。俺は明日から少し、ここを空けることになると思う」
「なぜでありんしょう? リルパには、旦那さまが必要でありんすが?」
「ペッカトリアのためだ。北の都市ノズフェッカへと行き、そこにある問題を解決しなければならない」
「ああ、そういうことでありんしたか。では、城ごと行けばいいのでありんす。我々もおともいたしなんしょう」
「……は?」
「これは動く居城でありんすよ? 旦那さまはノズフェッカへと行く用事がある。そして、旦那さまはリルパと離れてはならない。となれば、城を動かすより他ありんせん」
ペリドラの言葉は、ギデオンを大いに慌てさせた。
「そ、そんな大事にしたくないんだ。俺のためにそんな労力を使う必要はない。一人で行けば済む問題だ……」
「いいえ。リルパの旦那さまのためとあれば、この城のすべての力を解き放つ所存でありんす。そもそも、城を動かすのはそこまでの労苦ではありんせんが」
ペリドラは、ジロリとギデオンを見つめた。
「……それとも、旦那さまはこの城にいるのが嫌と言いなんすか?」
「そ、そんなことはない! 今日だって日が落ちるまでには帰ってきたじゃないか……」
「おお、それを聞いて安心しなんした……これ、誰か!」
ペリドラが呼びかけると、廊下の向こうから若い女ゴブリンが走ってくる。
「なんでありんしょう、ペリドラ!」
「この城を動かしなんせ。旦那さまたってのご希望でありんす」
「え、旅行でありんすか! まさか新婚旅行!?」
若いゴブリンは目を輝かせた。
「何を馬鹿なことを。お仕事に向かわれるだけのことでありんす。目的地はノズフェッカ」
「おお、ノズフェッカ……!」
そのメイドは、そわそわと浮き足立った様子になる。
「温泉街でありんすね! 旦那さま! わっちらは、毎日の労働でくたくたになっておりんす! メイド一同、慰安旅行に感謝しなんす!」
「だから旅行ではないと言っておりんす!」
「――温泉でありんす! 温泉でありんす!」
若いメイドが叫びながら行ってしまうと、ペリドラは誤魔化すようにニッコリと笑ってギデオンに向き直った。
「……最近の若い者はすぐに遊ぶことばかり考えなんす。小鬼の本質は、勤労にこそあると教えておりんすのに。これも生活に余裕ができ、娯楽があふれてしまったせいでありんす」
「……ノズフェッカにはどれくらいでつく?」
ギデオンは訊ねた。
「特に支障がなければ半日ほどで着きなんす。いまから向かえば、明日の朝お目覚めのころにはもうノズフェッカでありんしょう。この城は竜車などより、よほど速いスピードが……」
そう言ったところで、ペリドラはハッと何かに気づいたようだった。
「これ、誰か!」
彼女が叫ぶと、また別の若いゴブリンが現れる。
「なんでありんしょう、ペリドラ!」
「いまこの城を動かす指示を出しなんしたが、くれぐれもそれで遊ばないようにと伝えなんす。ああ、操舵師はフレドゥに任せなんしょう。何かあれば、全ての責任を取らせて罰を与えると伝えなんし? 誰にも舵を渡さず、最後まで仕事を全うするようにと」
「かしこまりんす!」
メイドは深々と頭を下げて、場を後にする。
「――お城で遊んではいけない! お城で遊んではいけない!」
「……さあ、これで大丈夫でありんしょう。リルパが首を長くして、旦那さまをお待ちでありんすよ」
ギデオンは絶望的な気分になり、視線を落とした。理由をつけて遠出すれば、その間だけでもリルパから逃れられると思っていたのに……。
「リルパ、旦那さまをお連れしなんしたよ」
ペリドラは廊下の奥へ歩を進めると、そこにある扉をノックした。
返事はない。
「……ここがリルパの部屋か?」
「そうでありんす。ちょっとずつフルールさまの部屋から距離を離しているのでありんすよ。いつまで経っても親離れできないのは困りんすから」
それを聞いて振り返ると、視線の先にフルールが眠る部屋がある。
「……これで離した方なのか?」
「そうでありんす。おお、今度は旦那さまのお部屋の近くにリルパの部屋を移すように提案しなんすか? そうすれば、リルパの母親離れもさらに進むかもしれなんす……」
「い、いや、それは大丈夫だ……彼女はまだ子どもだ。まだまだ母親に甘えたいざかりだろうから……」
「子ども? いいえ、リルパはしっかりとしたレディーでありんす」
ペリドラはたしなめるような声を出す。
それからドアノブをひねって、目の前にある部屋に入っていった。
彼女のあとから部屋に入ったギデオンは、そこで頬を赤らめるリルパを見て眉を寄せた。
彼女はいま、初めて会ってからずっとしていたような粗野な格好ではない。
華奢な身体に純白のナイトドレスを纏い、真っ白な髪には大きな造花の飾りを付けている。
「ああ、リルパ! とても綺麗でありんすよ! 旦那さまも言葉を失っておいでのご様子!」
ペリドラが言うと、リルパはビクリと身体を震わせ、おずおずした様子でギデオンの方をちらりと一瞥した。
同時にペリドラがさっと顔を上げ、凄みを利かせた目で何か言うように圧力をかけてくる。
「あ、その……とても綺麗だ、リルパ……」
「ほら、旦那さまもこう言いなんす!」
「ペリドラ。こっちに来て……」
リルパはベッドまで歩いてそこに腰を下ろすと、自分の隣をポンポンと叩いた。
ペリドラはその言葉に従う。
しかし、リルパが自分の耳に何かを囁こうとした途端、彼女はやんわりと首を横に振った。
「旦那さまと話したいことがあれば、ご自分で話しなんせ」
「え?」
「今日の朝も、旦那さまにきちんと挨拶できなんした。もうこれからは、人づてにお気持ちを伝えるのではなく、ご自分で話しなんせ」
するとリルパはますます赤くなって、おろおろし始めた。
「どうしてそんな意地悪言うの? そんなことできない……」
「できないと思い込んでいては、できるものもできなさんす。わっちに言えるのは、リルパにできないことなどないということでありんす」
「でも……」
「わっちが見ておりんす。怖いことなど何もありんせん」
あやしつけるような言葉を聞き、またリルパはちらりとギデオンの方を見た。
「な、何を話したらいいのかわからないもん……」
「いま、この城はノズフェッカに向かうことになりんした。旦那さまのお仕事ということで。そうでありんしたね、旦那さま?」
ペリドラがこれ見よがしにそう話を振ってきて、ギデオンは嘆息した。
「……そうだ。ミスリル鉱山について、少し見てみたくなった。ドグマから造幣所の管理を任されたからな」
しばらく沈黙があった。ペリドラが強く頷き、リルパは意を決した顔で震え声を出す。
「……おじちゃんに?」
「おじちゃん?」
「お、おじちゃんでしょ? ねえペリドラ、わたし、変なこと言った……?」
「旦那さま。リルパはドグマさまのことをそう呼ばれなんす」
必死な様子ですがりつくリルパに、ペリドラは助け船を出した。
どうにもやりづらい。まさか、あのドグマを「おじちゃん」呼ばわりとは……。
気を取り直し、ギデオンは話を続けた。
「ペッカトリア貨幣にはいま、問題が生じているようだ。俺はその原因を突き止めなければならない。それがドグマの依頼というなら――」
と、そこまで言って、ギデオンは気づくことがあった。
(待てよ。もはや、ドグマに取り入る必要などないんじゃないか……?)
そうだ、なぜ気づかなかった。
ドグマがこの世界でボス面をしていられるのは、カルボファントの象牙を独占し、それでリルパに言うことを聞かせられるからだ。
今日話に聞いた千剣のフェノムなる男が、囚人最強を謳われながらもドグマに従っているのは、すべてリルパの力を恐れるがゆえだろう。
ドグマの権力の全ては、リルパの力に依存している。
ならばドグマではなく、やつの権力の源たるリルパ自体を押さえれば、全ての問題は解決するではないか。いま当のリルパはギデオンを愛する人などと呼び、その過程はどうあれ、とにかくこちらに好意を抱いているのは間違いないらしい……。
もともとこの監獄世界にきたときに、ギデオンは生命を捨てる気でいた。妹のために象牙を手に入れることさえできれば、自分はどうなってもいいと。
胸中に興奮が渦巻いていた。
ギデオンは、途端に目の前が明るくなった気がしていた。




