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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
囚人技師の憂鬱
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ペッカトリア貨幣

 ドグマの息子の手術は、驚くほど順調に推移していた。死忘花から作った薬で痛みが消え去ったヴァロは、手術中、夢中になってギデオンに話しかけてきた。


「魔法ってすごいね。ぼくも魔法を使えるようになるかな?」

「お前の親父が使えるんだから、可能性はあるな」

「どうやったら使えるようになる? 兄ちゃんはどうやって魔法を覚えたの?」

「双子の妹がいて、そいつが先に魔法を覚えた。双子だから俺にだってできると思い込んでいるうちに、できるようになっていた」

「じゃあ、思い込むのが大事ってこと?」


「俺の場合は特殊なんだよ。双子だから、同じ才能があったってだけだ。ただ、明らかに彼女の方が優れていた。植物を使う魔法って一口に言っても、力は植物ごとに細分化されている。彼女はいっぺんにそれらを使えるようになったが、俺は一つ一つ習得していく必要があった。俺には植物たちの声が聞こえないんだ」


「植物の声?」

「俺に訊ねられても困る。妹にしか聞こえないんだから」

「驚いたなあ。兄ちゃんよりも、その妹の方が強いの?」

「強いかどうかはわからない。だが、力を持っていることは確かだ」


 そう言って、ギデオンは手術台に横になるヴァロの頭を撫でた。手術台というより、そこは作業台といった感じだったが……。


「才能があれば、お前にもそのうち魔法が使えるようになる。だが、それを自分のためだけに使うやつは決して強くなれない。俺には尊敬する先生がいるが、その人のように自分の力を多くの人のために使おうとする人こそが、本当に強い存在なんだ」

「坊っちゃん。ちょっと指を動かしてみてくだせえ」


 そのとき、トバルが横たわる巨体の向こうからひょこりと顔出し、そう言った。

 ヴァロは、素直に言うことを聞く。義手の指が、ぴくぴくと動いた。


「――動いた!」

「上等、上等! あとは慣れとリハビリですじゃ!」

「ありがとう、トバル!」


 頬をパッと赤くして、ヴァロは喜びの声を上げた。それからすぐ、彼なりに神妙な顔つきになる。


「……兄ちゃんもトバルも、魔法を人のために使ってるんだね……」

「お前の強力な力だって、他の人から見れば十分魔法みたいなものなんだぞ」

「え?」

「視野を広げてみろ。ゴブリンたちが持ち上げられないような岩を、お前は運べたりできるだろ? 目に見えない不思議な力こそが魔法だが、この世にある力はそれだけじゃない」

「そっか……そうだね」


 ヴァロはしゅんとした顔をしていた。何か思うところがあったのかもしれない。


 それから、トバルがヴァロを別室に連れて行った。安静にして一日様子を見るということらしく、ヴァロは今日この工房に泊まるという話だった。


「……手術は終わったか?」


 そのとき、声が響いた。


 振り返ると、視線の先にスカーが立っている。彼は部屋の入口から、手術台近くにいるギデオンの方をじっと見つめていた。


「なんだ、スカー? 帰ったんじゃないのか?」

「いや、お前に今日一日、こいつを貸してやろうと思ってよ」


 その言葉とともに、スカーの横にミレニアが現れる。彼女は相変わらず、顔の半分以上が隠れるマスクをつけていた。


「……ミレニア!」

「お前もわかんねえやつだな、こいつはリーシアだって言ってるだろ?」


 スカーはわざとらしく周りを見回し、声をひそめた。


「……囚人たちの間じゃ、こいつは死んだことになってる。気をつけて扱えよ?」

「……なんで急に彼女を連れてきた?」

「お前が、こいつに気があるみたいだったからさ」


 それを聞いて、ギデオンは途端にまごついた。フルールの城でトバルに言われたことを思い出してしまったからだ。

 何人の女と恋仲になったことがある? ――と。


 ミレニアは美しいと思っていたが、もちろんそこに恋愛感情が絡んでいたわけではない。しかしあんな話をされてしまったあとだと、どうにも意識してしまう……。


「俺が彼女を気にしていたように見えたとすれば、それは迷惑をかけてしまった負い目からだ。変な感情があるわけじゃない……」

「冗談だよ、本気にするな! どうにもお前はサボり癖があるみてえだから、こいつにお目付け役をさせようと思ったのさ」

「お目付け役?」

「今日、ちゃんと造幣所へ行って情報を集めてこい。遊んでる暇はねえんだぜ」


 スカーはやれやれとばかりに肩をすくめた。


「オレはお前と対等でいてやりたいんだよ、ギデオン」

「……何だと?」

「こいつをオレがいまにも殺すんじゃねえかって、お前はずっとびくびくしてるじゃねえか。気になって仕事が捗らない様子だから、今日一日くらいはその重圧から解放してやるって話さ」


 ギデオンは、それでようやく理解した。『お目付け役』というのはつまるところ方便で、スカーの狙いは、こちらに人質を再認識させようというところにある。

 自分の想定どおりに動かない相手に、もう一度釘を刺している……。


 カッとなったギデオンは、スカーの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「……なら一日と言わず、永久に彼女を解放しろ!」

「……手を離せ、ギデオン。今日こいつを連れてきたのが、オレにできる最大の誠意だ」

「俺はラスティとは違うぞ、スカー。彼女を餌にすれば、俺を思いどおりにできると思っているんだろ? 従順な下僕が欲しいなら、他をあたれ!」

「おいおい、オレはお前の力に一目置いてるんだぜ。だが、お前の性格に関してはちょっと微妙なところだ……ガキだからな!」


 言いながら、スカーが懐から何かを取り出したのを見て、咄嗟にギデオンは後ろへ跳び退いた。

 スカーは二本の指で、何か黒い石のようなものを挟んでいる。


「……どうした? 情報だ」


 ギデオンは、冷や汗をぬぐった。


「いや……」

「オレはお前と違って働き者なんだぜ? 朝に自分の商会へ行って、昨日の話について色々と調べてきた。ペッカトリア貨幣に起こっている異変のことだ」


 よくよく見ると、スカーが持つそれはコイン状をしている。

 金貨でもなく、銀貨でもないようだ。真っ黒な貨幣……。


「こいつは悪貨だ。要するに、粗悪品の貨幣さ。どうも聞いたところによると、商会ではこいつの取引量が減ってるって話だった」

「……どういう意味だ?」

「わからねえ――が、悪貨のやりとりが減ってるってことは、つまりは取引でみんな良貨を使いたがるってことだろ?」


 それはなぜ、と聞こうと思って踏み留まる。スカー自身にもわからないであろうことが、目に見えて明らかだったからだ。そこで、別の質問をぶつけてみる。


「良貨と悪貨の違いは何だ?」

「良貨は白銀色をしている。ペッカトリア貨幣は、ミスリルっていう特殊な銀でできてるらしい。時期がくると、そいつが悪貨に変わるんだ。硬度は変わらないまま……ほら、こういう真っ黒な色になる」


 スカーはコインを指ではじき、ギデオンの方に飛ばしてきた。

 キャッチして眺めてみると、確かにその黒い貨幣には金属的な硬さがある。


「良貨には使用期限がある。大体、三年くらいのもんらしい。それを過ぎると悪貨に変わっちまう」

「ミスリル銀の性質ってことだな? 貨幣はその金属で出来ているわけだから」


「そういうことになるだろうな。色が違うだけで、良貨も悪貨もミスリルはミスリルだ。だが、貨幣価値なんてものは誰かが決めてるわけじゃねえから、銀色から黒色に変わっただけで信用が落ちたりもする。悪貨って言い方も、誰かが決めたわけじゃねえ。もともとは同じ貨幣として使われていたはずだが、何となく黒い貨幣は嫌って意識が小鬼たちの中に生じて、それから価値が下がったって話だ」


「信用なんてのは水ものだからな」


 するとスカーは片眉を上げ、ギデオンを興味深そうな目で眺めた。


「ま、そのとおりだ。なぜミスリルがこうして黒く変質しちまうのかってのは、まだわからねえ。商会のやつらが知らなかったからだ。その金属を扱ってる造幣所のやつらなら、もちろん知ってるだろうが」

「あたってみる」

「頭は冷えたか?」


 スカーがそう言い、ギデオンは奥歯をぐっと噛んで、強い感情を抑え込んだ。


「……悪かった」

「信用なんてのは水ものなんだろ? ギデオン、オレを失望させるな」


 言いながら、スカーは隣にいるミレニアの背中を押した。

 すると彼女は、おずおずといった様子で、ギデオンの方に歩いてくる。


「やるべきことが終わったら、そいつを教会に連れてこい。オレがいなけりゃ、教会主のトフィッグに預ければいい。じゃ、精々デートを楽しめよ」


 スカーは踵を返し、苦々しい思いをかみ殺すギデオンと、落ち着かない様子のミレニアを置いて、工房を去っていった。


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