謀略のメニオール
工房の別室で、メニオールは囚人技師トバルと対面していた。部屋には、むせ返りそうになるほど、べったりと油の匂いがこびりついている。
「……して用向きは何じゃ、スカー?」
トバルは警戒心もあらわに、そう聞いてくる。
彼がメニオールの演じる『スカー』を敵視している理由は知っていた。スカーが下僕同然にこき使っているラスティを、常日頃から解放したいと息巻いているからだ。
「クグラニってやつの商会のことだ」
メニオールはそう切り出し、トバルの反応をじっと見つめた。
「クグラニ? ああ、土中漁業を営んでおる、あの小鬼のことか」
「そうさ。ちょっと土中魚に興味があってな。オレたちの世界にはいない魔物だ」
「不思議な力を持っておるやつらじゃろう。それに頭もいい」
トバルはいまだに警戒した様子だったが、それは単に話している相手がスカーだからであって、別に話の内容が土中魚のことだからというわけではなさそうだった。
土中魚を使った象牙の密輸……それにトバルが関わっているのなら、ここまですらすらと言葉は出てこないだろう。
(やはり、このジイさんは白か……?)
メニオールがそんなことを考えていると、トバルは部屋の壁にかかっているロープのようなものを指差した。
「ほれ、あれなんかまさに土中漁業に使う物じゃぞ。クグラニから相談を受けたとき、あやつがワシのところに持ってきおったものじゃ」
「ありゃ何だい? ただのロープのように見えるが……」
「革ひもじゃよ。使っとる革は土中魚のもの。その魚同様、大地に沈みこむ性質を持っとるから、あれをもっと太く頑丈に結わえた縄で編み込んだ網を作って、漁をするんじゃ。網は大地に投げると地中に沈み込んでいき、そこで泳ぐ土中魚を捕えることができる」
「へえ、土中魚が土中魚を捕まえる道具になるのか」
メニオールは感心して頬を撫でた。
「そういうことになるな」
「クグラニは、どうしてあの革ひもを持ってきた? 何の相談だったんだ?」
「ワシの作った録音器を改造して欲しいということじゃった」
「録音器? なんだそれは?」
「音を記録する器械のことじゃ。土中魚は地中を伝わる特殊な音をだし、それでお互いに意思の疎通を行う。求愛したり、群れて狩りをしたり、救援を求めたり……」
トバルは話に熱中して目を輝かせていた。もう話している相手が、彼の警戒するスカーであることなど、とうに忘れてしまっているようだった。
「その音を記録し、地中に流してダミーの土中魚を作り出す。そうやって寄ってきた他の土中魚たちを、網で一網打尽にするというわけじゃ」
「なるほど。その器械を使えば、好きなところに土中魚を呼び寄せられるわけだ」
それすなわち、腹の中の荷物を、任意の場所に運ぶことができるということ。
密輸には、うってつけだ。
「そうじゃとも。ワシはクグラニの考えを聞いて、小鬼は何と頭がいいのかと感心したよ。ワシの作った器械に、そういう使い方があると教えてくれたんじゃからな」
「それで、土中魚用の録音器を作ったのか?」
「もちろん、作ったとも」
「それは、どの程度大きい? つまり……手軽に持ち運びとかはできるか?」
トバルは口の端を歪め、ウーンと唸り声を出す。
「それなりには大きいぞ。持ち運びもできんことはないが……」
「運べば目立つ?」
「そりゃ、そうじゃろう。じゃが、基本的には都市の外で使う物じゃからな。大きくたってええんじゃ」
それはトバル自身の技術不足に対する言い訳のように聞こえた。
「いや、いまにもっと小型化してやる……せっかくあやつらが、ワシの魔法器械に意味を与えてくれたんじゃからな……」
「ありがとよ、ジイさん。面白い話を聞かせてもらったぜ」
メニオールは礼を言った。
「あと、興味ついでに現場を見てえから、クグラニの商会に少しばかりちょっかいをだしてもいいかい? もちろん、邪魔をしたいわけじゃねえ。色々と話をしたり、漁を見学してみたいだけさ」
「それは構わんが」
「借りができたな。流石はボスと付き合いの長い古株だぜ」
「おだてたところで――」
と、何気ない様子で手を振ったトバルが、ぴたりと止まった。そして、さっと顔を上げメニオールを見つめてくる。
「どうした?」
「助け合い……さっきそう言ったな、スカー?」
「言ったかな?」
「とぼけるな! ギデオンが証人じゃ!」
トバルは仏頂面で詰め寄ってくる。
「そしてたったいまワシに借りができたとも言った! ならワシの頼みも、お前さんは聞くべきじゃ! そうは思わんか?」
「オレにできることならいいぜ。トバル、何をそんなにカッカしてやがるんだ?」
「――ラスティを寄越せ!」
凄みを利かせたいのか、老小人は近くにある器械に飛び乗って身長のかさ増しをしていた。
「寄越せって言われても、あいつは囚人奴隷じゃねえ。一級身分の奴隷だぜ? オレたちと同等の身分じゃねえか」
「とぼけるなよ! お前さんがあやつを脅しつけて、家来にしとるのを知っとるんじゃ!」
「あいつがそう望むからさ。オレの力が欲しいってな」
メニオールは、親指で自分の胸を指して言った。
正確にはラスティが欲しがったのはメニオールの力ではなく、いま地下牢に閉じ込められているスカーの力だが。
「ではラスティ自身が望めば、お前さんはあやつを解放するか?」
「解放するも何も、ここで囚人は自由だろ?」
「ワシは、貴様のそういう態度が気に入らんのじゃ! 決められた選択肢を選ばざるを得ない自由は、自由などではなかろうが!」
「オレはあんたと争う気はねえ。ペッカトリア発展の一因になった囚人だ。尊敬してんのさ」
「……ふん、どうだかな!」
トバルはジロッと睨んでから、踏み台にしていた器械から降りた。
「ラスティをぶちのめしてやる。つまりは、お前さんの力をぶちのめすという意味じゃ」
「へえ、面白い。ぜひやって見せてくれ」
挑発ではなく、本心からそう思った。
スカーから聞き出した彼の力は、確かに厄介なものだ。
『苦痛の腕』。
それにこの老人がどう立ち向かおうというのか、純粋に興味を覚えた。
「ラスティに勝てれば、あいつは好きにすればいいさ」
「な、何じゃと……?」
「オレからのプレゼントだ。気に入らねえかな?」
メニオールは顔を歪め、スカーの顔に笑みを作った。
別にスカーがラスティをどう扱っていたかは、メニオールには興味も関係もない。ラスティはただの小心者で、利用価値がそれほどあるわけでもないからだ。また、彼が別の力を身につけ、それで反抗的な態度を取るようになっても、負けるような気はしていない。
「いつ、あいつに挑むんだい、トバル?」
「……今日にでもやってやる。できんと思っとるじゃろうが? 見とれよ、ワシには秘策があるんじゃ……」
「ギデオンだな?」
するとトバルがわかりやすく目を見開き、メニオールは笑いを必死にかみ殺す羽目になった。
やはりこの老人は嘘が吐けない性質だ。謀り事には向かない。
「あいつに力を借りる気だろ。あいつの植物から作ったハッパか何かで、オレの苦痛の力を和らげようってわけだ」
「そ、そんなわけがあるか! お前さんは早とちりをしとるみたいじゃのう!」
明らかに狼狽したトバルの態度は、言外でそうだと自白しているようなものだった。
そのとき、メニオールの頭に閃きが訪れた。
(ギデオンがトバルに同行する。そいつはいい……)
たったいま閃いたばかりのアイデアの狙いは二つあった。
一つは、拷問で聞き出したスカーの力が、本当にその言葉どおりのものであるかを確かめられるということ。ラスティにスカーの力を使わせれば、これ以上ない答え合わせになる。
もう一つは、ギデオンにメニオールの本当の力を誤認させられるということ。
これから彼らが挑みかかるのはスカーの力であって、メニオールの力ではないのだ。ギデオンはまだこちらに不信感を抱いているが、万が一、今後ギデオンと争うような事態が生じたとき、彼の中にできた思い込みは、虚を突く絶好の隙になる。
「……手術はどれくらいかかる?」
メニオールは、誤魔化すように口笛を吹くトバルに訊ねた。
「え!? あ、手術!? 大体一、二時間くらいはかかるかのう!」
「十分だ」
メニオールは顔を歪めた。
それは、これからここに彼女を連れてくるのに十分な時間だった。
魔法をかたち作るマナを見通す少女。
――ミレニアを、ギデオンに同行させる。




