死忘花
「死忘花という植物がある」
ギデオンがそう言うと、トバルは眉をひそめた。
「何とも、物騒な名前の花じゃ」
「死を忘れる花という意味だ。もちろん、物騒な意味合いでも使われていたが。特に戦争で」
いまではその植物を戦争で使うことは、非人間的ということで禁止している国が多い。
死忘花の花弁には、生物の痛みを喪失させる特殊な魔力がある。この花弁をすり潰して作った薬は、要は麻酔薬の一種だが、他の感覚をそのままにした状態で痛覚だけを奪うところに大きな特徴がある。
恐怖と戦うために、兵士が覚せい剤を使うことはそれほど珍しいことではないが、それと同様、昔からよくこの薬も戦場の兵士たちの間で使用されていた。もっと言うと、上から支給されることもあったらしい。
「痛みを無くした兵士たちは、恐怖を失って進軍する。しかし、痛覚というのは本来生物に備わった防衛本能だ。痛いから、降伏する。痛いから、身を隠す。そういった行動が取れなくなった兵士たちは、自分たちが死んだことにも気づかないまま死んでいった」
「なるほど、じゃから死忘花か」
ギデオンは頷いた。
「とはいえ、それは戦場における話。使い方さえ間違えなければ、こんなに便利な植物はない。俺も常用しているくらいだ」
「……常用じゃと?」
「俺は植物使いだ。体内にその花を取り込んでいて、何か強烈な痛みを受けたとき、反射的にその力が発動するようにしている。痛みは判断を鈍らせるからな」
「いや……いまそういうのが危険という話じゃなかったか……?」
「俺の場合、『痛みが生じている』という感覚はあるんだ。死忘花の力が発動していると、わかるわけだから。痛くはないが、痛覚が刺激されているとは感じる。自分の身に何が起きているか正確に判断できさえすれば、痛みなんてない方がいいに決まってるだろ。他の人間には、それができないというだけだ」
トバルは目をぱちくりと瞬かせた。
「人間ね。……そんなことができるお前さんは、本当に人間か?」
「人間だ。俺の師の考えではな。そしてそれは、常に正しい」
すると、トバルはチッチッチと笑った。
「面白いやつじゃ、お前さんは!」
ギデオンはむっとした。
「あんたよりマシだ」
「褒めとるんじゃよ。して、その物騒な花から作れる薬を用意できるのか?」
「お安い御用だ……ただ、あくまでその薬は俺が投薬しないといけない。ボスの子どもの義手をくっつけるとき、俺もその場にいさせてくれ」
実際のところそんな必要はなかったが、この城から抜け出す方法としてギデオンが咄嗟に思いついたのがそれだった。
「それは構わんとも。だが、あとその薬を別にもう一つ用意することはできるか?」
「できるが、誰に使う?」
「ワシじゃよ」
そう言って、トバルはニヤリと笑った。
「なぜ? 器械の身体は痛むのか?」
「違う、違う! ぶちのめしてやらんといかん若造がいる――が、そいつが厄介な力を使う。苦痛の力じゃ」
「苦痛の力?」
「どうやっとるのかわからんが、とてつもない激痛を与えてくる魔法じゃ。ほれ、昨日お前さんが囚人会議中に象牙の話をしたときに、怒った若造がおったじゃろう? あやつがワシの目星でな。名をラスティと言う」
「へえ、あいつがそんな厄介な魔法を使うのか」
「実際は、あやつの魔法じゃないんじゃがな。人の魔法をコピーできる魔法なんじゃ。もともとその苦痛の力は、スカーの魔法じゃよ」
「――スカーの?」
ギデオンはハッと息を呑んだ。
思わぬところで、あの謀略に長けた男の名前が出てきた。
これは、底を見せない不気味なスカーの力を知るいい機会かもしれない……。
「……ラスティはスカーの魔法をコピーして使うんだな?」
「そうじゃ」
「なんであんたはラスティを打ち負かしたい?」
すると、トバルはバツの悪そうな顔をした。
「……誰にも言うなよ? あやつはワシが一番最初に取った弟子に似とる。強い者にびくびくして、自分の才能に気づかず、結果としてずっと自信がないままでおる。ワシが魔法を教えてやりたい」
「あんたの魔法をコピーさせたいってことか?」
「そうとも。ワシの魔法は金属に命令を書き込むだけの単純な力じゃが、その組み合わせによっていくらでも強力なものを作り出せる、可能性を秘めた力じゃ。じゃが、ワシにはもうその組み合わせを色々と試す時間が残っとらん」
トバルは顔の皺を引っ張った。
「……ワシは老いた。この力を継ぐ後任がいれば、心残りがなくなるんじゃが」
「あんたはまだまだ元気そうだが」
「もちろん。あと百年は生きる。言い換えると、百年しかない!」
冗談っぽく言って、またチッチッチと笑う。
「あんたがラスティと戦うのを支援するよ」
ギデオンが言うと、トバルは顔をパッと輝かせた。
「本当か!?」
「あんたは面白いやつだ」
「お前さんよりマシだろうが!」
「褒めてるんだ。よし、やるならすぐの方がいい。城のメンテナンスをしているという話だったが、それが終わったら、あんたからペリドラにそう言ってくれ。ボスの子どもの手術と、あとはちょっとした野暮用のために、俺の力が必要だと」
それを聞き、トバルは片眉を器用にくいっと上げた。
「ペリドラ? なぜじゃ?」
「とにかくあんたから頼んでくれ。俺をペッカトリアに連れていく必要があると」
「……まさかギデオン、あやつに何か目をつけられたのか?」
トバルは困ったように、顎をさする。
「……何かまずいのか?」
「まずいことはないが……やりにくい相手ではある。小鬼の中でも特別じゃからな」
「それは何となくわかる」
ギデオンは強く頷いた。彼女は人に有無を言わせない雰囲気を持っている。あのリルパに意見できるというだけで、どれだけ肝の据わった女性なのかわかろうというものだが……。
「フルールのお気に入りじゃった。ワシがこの監獄に入ってきたころには、すでにあの偉大な魔女の右腕として働いていた。単純な腕力勝負なら、ボスよりも遥かに上じゃ」
「……え、ドグマは巨人だろ?」
「だから何じゃ? 小鬼は巨人よりも力が弱いとでも?」
トバルの目は真剣で、冗談を言っているようにはとても見えなかった。
「ワシもフルールの冒険に同行したことがある。そのとき下層世界で、誰よりも魔物を打ち倒したのがペリドラじゃ。まさに鬼神の如き働きじゃったよ」
「……彼女はそんなにとんでもない力の持ち主なのか?」
「……可能なら、争わんにこしたことはない」
思わず声をひそめたギデオンに、トバルが倣ったとき――。
「何をしておりんす? 囚人さまともあろう方がお二人もいて、そんなにひそひそと。何か相談事があるなら、もっと堂々としなんし」
聞き覚えのある老ゴブリンの声が響き、ギデオンは飛び上がりそうになった。
噂をすれば影とはまさにこのこと。
廊下の先に、当のペリドラが立っていた。




