リルパと魔女フルール
ギデオンが通されたのは、落ち着かなくなるほどだだっ広い部屋だった。壁に大きなアーチ窓が三つもあり、そこから夜空を眺めることができた。
天蓋付きのベッドに、特殊な意匠をこらした種々の家具類。一番驚いたのは天井に備え付けられた魔法器械の照明で、部屋には真昼のような明かりが広がっている。
「……まるで王や貴族の部屋だな」
「リルパのアンタイオですから、それなりの暮らしをしていただかなくては困りんす」
「さっきから気になってるんだが、そのアンタイオというのは何だ?」
ギデオンは、老メイド長のペリドラに問いかけた。
「『愛する人』という小鬼の言葉でありんす」
それを聞いて、ふんと鼻を鳴らす。
「……『愛する人』ね。『最愛の人』が、確かフレイヤだったな? なるほど、色々言い方があるものだ」
好きな食べ物。大好きな食べ物。そういう違いだろうか。
「フレイヤとは少し意味合いが違っておりんす。フレイヤには『感謝』や『敬愛』という意味合いも含まれなんすので。自分を産み落としてくれたものに対する愛称として、自然とそういう意味が付け加わっていったと言った方がいいかもしれなさんすが」
「なるほど」
簡単に相槌を打ってから、ギデオンはペリドラの言葉にあった違和感に気づいた。
「……ちょっと待て。自分を産み落としてくれた者?」
「ええ。フレイヤは、ノスタルジアの方々が言う『母』に相当する言葉でもありんすね」
ますます混乱してしまう。
「え……ど、どういうことだ? リルパの最愛の人はフルールじゃないのか?」
「そうでありんすが? リルパは、フルールさまが産んだ子どもでありんす」
ギデオンは、衝撃で頭が真っ白になった。眩暈を覚え、立っているのにこんなに気力が必要になる瞬間があるということを初めて知った。
「リルパは神の子だろ…?」
「もちろん。リルがフルールさまに産ませた子どもでありんす」
ペリドラは誇らしそうな顔をしていた。
「わっちは、フルールさまと同じ時代を生きられた自分を誇りに思いなんす。それはすなわち、リルがご自分の子どもをお作りになる決心をされた時代ということでありんすから」
「リルが……あなた方ゴブリンの崇拝する神が、現れたということか?」
「いいえ。お会いしたのはフルールさまだけでありんす。四層世界の最深部……マナが瘴気と化すほど濃くなった地……そこを進むことができたのは、フルールさまだけでありんした。フルールさまは、そこでリルの子を授かったのでありんす」
「待て待て待て! リルパはフルールの血を飲むんだろう!」
「飲みなんすよ。生まれてから、ずっと飲みなんす。子が母の乳で育つように、リルパはフルールさまの血で育ちなんした」
ずっとギデオンは、リルパに囚われた魔女フルールが、抗えない力によってリルパに血を提供しているものだと思っていた。しかし話を聞く限りでは、どうもそういうわけではないらしい……。
「子どもは乳離れするもの。しかしリルパは生まれも性質も特殊ですから、なかなかこれまでそういう機会の訪れがなさんした。結果として、ずっとフルールさまにべったりでありんす。そんなリルパに必要だったのは、フルールさまの血と同等かそれ以上の美味しさを持つ血に巡り合う機会でありんした」
「……おい、ちょっと待て」
話が段々と見えてきて、ギデオンは眉間を押さえて待ったをかけた。
しかし、ペリドラは目を輝かせるばかりだ。
「リルパの愛は味覚に紐付いておりんす。母の味によって親愛を知りなんした。次に知るのはきっと……情愛でありんす」
「待てと言ってるだろ! 勝手に話を進めるな!」
「旦那さま」
しかしペリドラはピシャリと言い放つ。
「わっちらは、ついにリルパと結ばれるべき殿方をこの城に迎えることができなんした。使用人代表として、心よりお喜びを申し上げなんす」
「……俺の意志は無視か? 俺はリルパになど興味はない。あるとすれば、あいつを殺してやりたいと言う敵意だけだ」
「それは結構なこと。存分にやってみなんし」
否定の言葉が返ってこず、ギデオンは驚いた。
「な、何だと?」
「リルパを知るには、それが一番と思いなんす。実のところ、リルパの方もまだ自分の気持ちに気づいておりんせん。あの子もまたこれからあなたを知り、いま言葉にできない感情の正体を知っていくのでありんすね。だからお二人は、ちょうどいい相手同士だと思いなんす」
そう言って、ペリドラは朗らかに笑った。
自分の主に敵意を向けられても一向に怒る様子がないとは、とんだ使用人がいたものだ。いや、あるいは主に対する絶対的な信頼の現れか……。
「俺にはやるべきことがある。色々とな」
「ご自由に? ただ、リルパが求めたことには従いなんし。ああ、大丈夫。腕白で我儘そうに見えて、相手を思いやる心を持った優しい子でありんす」
「ペッカトリアでは、リルパは囚人たちから恐れられている。情けなくなる話だが……俺自身も怖い。あんたはなぜそこまでリルパを信じられる?」
「リルの子であり、フルールさまの子でありんす。彼女の意に沿わず殺されることは、むしろ光栄なこと。そう思って、ずっとわっちがリルパを叱ってきなんした。育ててきなんした」
ペリドラは肩をすくめた。
「……僭越ながら、リルパはわっちの子も同然でありんす。自分の子を信じることのできない親など、おりんせん」
「さっきのやりとりを見る限り、そういうわけでもなさそうだが」
「厳しく言い聞かせるときは、もちろん言い聞かせるべきでありんす。愛する人を餌などと……まったく、思い出しただけで腹が立ちなんす!」
そのとき部屋にノックの音が響き、若い女の小鬼が入ってきた。
「あ、あの、ペリドラ……」
「おや、どうかしなんしたか?」
「お風呂のお湯が出なさんす。昼にリルパが暴れなんしたとき、はずみで給湯器が壊れなんしたみたいで……」
「では、技師さまを――」
「――おい、リルパが暴れたとはどういうことだ?」
流石に聞き逃せず、ギデオンは訊ねた。
するとペリドラは、バツが悪そうに口をすぼめる。
「……たまぁに、本当にたまぁに……年に一度くらい、そういうことがありんす。気にすることではありんせん」
「お前たち、実は全然上手くいってないんじゃないのか。信頼関係とか本当にあるのか」
「もちろん、それは大丈夫でありんす。リルパは、わっちが育てなんした」
「あの、お湯は……」
「だから、技師のトバルさまのところへ使いを出しなんす。すぐ来ていただくようにと」
ペリドラは話が変わったのがこれ幸いと、威厳ある態度でメイドに指示を出した。
一方、話をはぐらかされて釈然としないまま、ギデオンはそう言えばと、その技師の名前を聞いたことがあるのを思い出していた。
朝の囚人会議で、巨人のドグマの息子ヴァロの義手を作るよう命じられていた囚人だ。チッチッチという特徴的な笑い声のせいで、よく覚えている。あの場にいたということは、彼も一級身分の囚人なのだろう。
「俺のためだったら別にそんなに急ぐ必要はない。もう日も落ちているし、あのトバルってやつも困るだろうから」
「なんと寛大な! 流石はリルパのアンタイオでありんす。これ、旦那さまがこう言っておりんす。今日はいいから、朝一番に使いを出しなんせ」
「わ、わかりんした。旦那さま、寛大なご配慮ありがとうございなんす」
ペリドラが言うと、若いメイドは頭を下げて退室した。
「なあ、ペリドラ。そんなことより、リルパが暴れたことについて……」
「旦那さま」
ペリドラはニッコリと微笑んだ。
「恋い焦がれる乙女がしたこと。可愛いと笑って許すのも殿方の度量でありんす。ところで、お食事はお済でありんすか?」
「え? いや……」
先ほど教会で、トフィッグに用意してもらったものをさあ食べようというところで、そのリルパに邪魔されたのだが。
「ではお食事をお持ちいたしなんす、寛大な旦那さま」
そう言って頭を勢いよく下げると、老メイド長はいそいそと退室した。
ギデオンはだだっ広い部屋に一人取り残され、困り果ててしまった。
衝撃的な事実を知り、いまだに物事が腑に落ちていない感覚がある。
まさか、リルパがフルールの産んだ子だったとは。
リルパという少女をどう捉えるべきなのか、いまだに測りかねている。
ゴブリンたちが彼女を崇拝に近い目で見ることは、もうわかっている。そこには古くからの信仰がからんでいるからだ。
そしてフルールというかつての為政者も、いまだにゴブリンたちから尊敬される存在であるらしい。
信仰の対象たるリルと、尊敬の対象であるフルールの子ども。
ゴブリンたちが、リルパを贔屓目に見るのは当然と言えば当然だ。ある意味、盲目的とさえ言える目で……。
そうなってくると、やはり信用すべきはゴブリンたちの目ではなく、囚人たちがリルパを見る目ではないだろうか。
ゴブリンたちには悪いが、ギデオンは彼らのようにリルパを信用することなど、とてもできなかった。
(そんなやつが、俺を『愛する人』だと……?)
ギデオンは眉をひそめた。
厄介だった。
極めて厄介な事態になりつつあった。
次回より、新章「囚人技師の憂鬱」編が始まります!
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