おもちゃ箱
ギデオンは、石化してなんとも運びづらいハウルを胸に抱いたまま、教会に向かっていた。
ヤヌシスの歓楽街から離れ、しばらくスカーを探して方々を歩き回っていると、彼の使いだというゴブリンから教会に来るようにという指示を受けたのだ。
ハウルの情報を事前に調べていたときにも思ったが、スカーはゴブリンたちを上手く使いこなしているようだった。それが恐怖による支配であることは明らかだったが……。
教会の入り口が見えたとき、そこからシェリーが出てくるのを見て、ギデオンは思わず眉をひそめた。
というのも、いまギデオンはハウルの身体という動かぬ証拠を持ち歩いているからだ。
あの女は、ハウルに対していい感情を持っていない。ひょっとしたら、何かと理由をつけて彼を渡すように要求してくるかもしれない。
石化していることをいいことに、これは彼によく似た石像だと言い張ってしまおうか……?
そんなことを考えていると、こちらに気づいた様子のシェリーが話しかけてきた。
「ギデオンじゃない! こんなところで偶然ねえ」
「……やあ、シェリー」
「坊やをもう見つけ出したのね! すごいわ!」
嬉々として言うシェリーがあまりハウルに執着心を抱いていないように見え、ギデオンは意表を突かれた。
「ああ、でも可哀想に。石化してるじゃない? ヤヌシスの仕業ね?」
「よくわかったな。そうだ」
「ここでは情報が早いのよ。でも、あなたが無事でよかったわ。あの女と戦ったのよね?」
「ちょっと話しただけだ。あいつはわりと、話のわかるやつだった」
「そうかしら……? ああ、でもあなたが言うならきっとそうなんでしょうねえ」
「ドグマが言っていたように、ハウルの身柄は俺が預かる。確か、あんたもそれでよかったはずだよな、シェリー?」
シェリーが何か馬鹿なことを言い出す前に、機先を制するようにそう言うと、彼女はそんなことは何でもないとばかりに肩をすくめた。
「もちろん。私に、ボスに逆らう意思はないわ。これっぽっちもね」
「そいつはよかった。それじゃあな」
「ギデオン! その子が元に戻ったときの約束を忘れないでね。一緒に仲直りの席を設けるのよ。楽しみにしてるわあ」
それはあくまでシェリーの一方的な要求であって、ギデオンはそんな約束をした覚えはなかったが、この場をあえて荒らす必要もないと思って、適当に「ああ」と返事をした。
シェリーと別れたあと、ギデオンは教会に足を踏み入れた。
ここで待っている男は、いまのシェリーほど生易しい相手ではないとわかっているので、つい気を張ってしまう。
「――よお、ギデオン、来たか」
スカーは一人ではなかった。彼の横には黒髪の女がいて、マスクで顔の大部分を隠している。
しかし、露わになった部分を見るだけで、ギデオンには彼女が誰なのか理解することができた。
「――ミレニア!?」
「会わせてやるって言ったろ? でも、その名前は禁止だぜ。こいつのいまの名前は、リーシアだ」
言いながらスカーがミレニアの髪を指ですくと、彼女は顔を真っ赤にした。
「おい、汚い手で彼女に触るな。言っただろ? 俺は彼女と相互扶助の契約を結んでる」
「へえ、騎士さま気取りってわけかい?」
スカーはミレニアのマスクを外す。
彼女の美しい顔が露わになった。傷ついている様子もなく、ひとまずギデオンはほっと安堵の息を吐いた。
「ミレニア……よかった」
「ギデオン、心配をかけたみたいでごめんなさい……」
「いや、君が無事ならそれでいい。あと、ほらハウルも」
ギデオンは、石化したハウルをその場で自立させた。
「いまはこんな状態だが、すぐに元に戻せる。安心してくれ」
「そいつはよかった。誰のおかげかな?」
スカーが恩着せがましくそう言って、ギデオンは奥歯を強く噛みしめた。
「……もちろん、俺の師のおかげだ。あの方が、石化症の魔法薬を作り出すことのできる偉大な魔術師だからだ……」
「ギデオン、そんなに肩ひじを張るな。オレと組むって約束しただろ?」
「それについては、考え直しているところだ」
「聞いたかい、リーシア! 笑えよ! 自分でした約束も守れねえ男が、誰かを守る約束をしているそうだぜ!」
馴れ馴れしくミレニアの肩に手を回すスカーを、ギデオンは歯がゆい思いで睨みつけた。
「貴様……」
「おお、怖い、怖い。ゴルゴンの瞳さえ効かねえ目だ……そんな目で睨まれると、変な病気にでもなっちまいそうだ」
スカーは、すっと目を細めた。
「けどよ、そんな態度でいいのか? ……お前の欲しがってるものを、オレは用意してやれそうだぜ、ギデオン」
「な、何?」
「象牙さ。欲しいんだろ?」
一瞬、言葉を失う。
ギデオンは、ゆっくりとした時間の中に閉じ込められた妹のオラシルを思い出した。
その象牙さえあれば、妹は助かるのだ。それが手に入りさえすれば、いま自分がここでこうして苦労している全てが報われる……。
「話を聞く気になったか?」
「……悪かった。全てお前のおかげだ。礼を言う、スカー」
「まあ、オレも素直なやつは嫌いじゃねえ。ここに座れよ」
それからスカーはミレニアを遠くにやり、ギデオンの隣の信徒席に腰を下ろした。
「……ミレニアはお前をあまり怖がっていないみたいだ。何をした?」
スカーのペースで物事が進むのが気に入らず、ギデオンは苦し紛れにそんなことを訊ねた。
「あいつは根性の据わったやつだ。オレも手を焼いてる」
「奴隷なんだから、いくらでも言うことを聞かせられるだろ?」
「そういうのはもう飽きたのさ。ここの暮らしが長くなれば、お前もそのうちわかる」
「ならいいが、彼女は丁重に扱え……いや、丁重に扱ってくれ。頼む」
「なぜ? たった半日一緒にいただけで、惚れちまったか?」
ギデオンは視線を落とした。
「……俺は彼女やハウルに責任を感じている。あと、死んでしまった他の新入りにも。ドグマの話じゃ、みんなが死んだのは俺のせいだ」
「そんなことを気にしてたのか? 人間なんてものは、遅かれ早かれ死ぬ。どこで死ぬかはそいつ自身の問題だ」
「だが……」
「自惚れるなって言ってるんだぜ。てめえ一人の生命に、そこまでする価値があるのかって話さ。頭のおかしいやつらが、頭のおかしい理屈と事情で人を殺そうとした。その全てを一人でしょい込もうとするのは、傲慢ってもんだ」
スカーは自分の胸を親指で指した。
「……気取る前に、てめえはまずオレを憎むのが筋じゃねえか? オレはその殺しに加担したんだぜ」
「だから俺はお前のことが嫌いなんだ」
「素直でいい。それでこそ、腹を割って話せるってもんだ」
それから、スカーは本題を切り出した。
「実はオレはいま困ってる。お前にやってもらいたいことがあるのさ」
「何だ?」
「ボスの『おもちゃ箱』を開きてえ」
「おもちゃ箱?」
「ボスの魔法が作り出す亜空間のことさ。そこに隠されたあるアイテムが欲しいんだよ。お前と同じようにな」
そう言えば、カルボファントの象牙もそこにしまわれているという話だった。そこは、決して他の者が手出しできない、ドグマだけの宝物庫……。
「開く方法があるのか?」
「ボスに開く意思がなければ無理だ。まあ、この『開く』って言い方もあくまで便宜上で、正しく言い換えると、そのアイテムを亜空間から出す意思を、ボスに持ってもらう必要があるってことだ」
「お前はどんなアイテムを必要としてる?」
すると、スカーは大きく息を吐いた。その言葉を口にすること自体が、実に困難なことであると言わんばかりの様子で。
「……フルールの魔導書だ。オレはそいつが欲しい」




