大地の魔女
「……あんたは強かった、フェノム。俺はあんたを止められなかった」
強さとは、力をもって為したことの大きさだ。そしてフェノムの為したことの大きさは、計り知れない。
ギデオンでは決して思いつかない方法で、リルパが身に纏う意膜を剥がし、彼女の生命を脅かすところまで計画を実行したのだから。
依然として、リルパは生死不明……あの、リルパがだ。
ギデオンは、フェノムが最後に手渡してきたペンダントを、ぎゅっと握り締めた。
「……俺はいつも、誰かに助けてもらってばかりだ。今回は、あんたにな。ありがとう、フェノム。これで俺は、オラシルを救うことができる」
だがその前に、救わなければならない少女がいる。
ギデオンは立ち上がり、城の大穴の遥か向こうに舞い上がる土煙を見つめた。
あの場所にリルパはいる。ただ、土煙の魔法が吹き荒れる場所を迷わずに進むことができるのは、許可を受けた者だけだ。
いまから魔導書を持つドグマを探す時間はない。しかし、そんな方法よりも遥かに手っ取り早く、この城にはその魔法の術者本人がいる。
ギデオンはついに大地の魔女と会うときがきたと感じ、城の階段を上っていった。
城はいたる箇所が戦いの影響で破壊されている。彼女の部屋のある三階に行くまでには、蔦を生やして乗り越えなければならないところもあった。
その部屋の扉を開き、ベッドに腰掛ける女性を見た瞬間、ギデオンはリルパがそこにいるのかと思った。
やややつれているが、それでもほとんど彼女の生き写しのよう。
真っ白な髪と、赤い瞳。そして、整った目鼻立ち。
――彼女が魔女フルールか。ペリドラが愛し、フェノムが愛した女性……。
「……驚いた。まさか、『世界種』のお出ましとは」
顔を上げた彼女は、開口一番にそう言った。
世界種?
ギデオンが聞き慣れない言葉に戸惑っていると、フルールはすっと目を細めて続ける。
「……ひょっとして、お前がギデオンか?」
「そうだ」
「なるほど、リルパが見初めたのは世界種だったわけか。まあ、ある意味では納得の結果だが。そうでないと、あの子とはとても釣り合いが取れないからな」
「あんたがフルールだな」
「ああ。リルパの母親……つまり、お前にとっては義理の母親ってことになるかな」
「俺は別に、リルパを嫁にもらったわけじゃない――というか、いまはそんなくだらん話をしているときじゃないぞ。リルパの危機だ」
「知ってるよ。さっき、西の大地でとんでもない力が解放された。あそこにリルパがいるんだろ?」
フルールは弱々しく立ち上がって窓の方に歩くと、そこから西の大地に吹き荒れる土煙を眺めた。
「知っているなら話は早い。俺はリルパを助けるために、いまからあそこに行く。あの場所に足を踏み入れる許可をくれ」
「お前の役目は、あそこまで私を連れて行くことだ。見ろ、寝たきりの生活で、身体を動かすこともままならない。ちょうど人の手が欲しいと思っていたところだったんだ」
フルールが悪戯っぽく笑うのを見て、ギデオンはイライラした。
「……悠長なことを言うな。俺が一人で行けば済む話だ」
「お前が行ったところで、リルパに食われて終わりさ。ほら、あれを見ろ」
食われ……?
穏やかでない言葉に戸惑いながらも、ギデオンはフルールの指差す先を見つめた。
土煙が舞う大地。
その上空に、光が瞬いている。目を凝らすと、それは見覚えのあるかたちをしていた。
「あれは……『前夜繭』の紋様……?」
確かにそれは、前夜繭に篭るリルパの身体から発せられていたのと同じ紋様。
己の身体に取り込んだ血を争わせ、リルパはそこからさらなる力を得る。その過程が、前夜繭という現象だ。
「いつかは知らんが、あいつはそれを引き起こすに相応しい血を口にしたんだろう。だが、あまりにも時期が早すぎる。聞いたところじゃ、あいつが前回の前夜繭から出てきたのは昨日だったという話じゃないか」
「そ、そうだが……」
「だとしたら、緊急の事態というわけだ。さっきの強い刺激を受けて、身体を再構築しなければならない状況に陥ったんだろう。いまのあいつは不安定な状態で、下手をすればいままでの自分を完全に忘れてしまう恐れだってある。我を失った腹ペコのリルパにとって、お前はちょうどいい餌ってわけだ」
「……死んではいないんだな?」
「うん?」
「どういう状態であれ、彼女は死んではいないんだな?」
訴えるようにそう言うギデオンを見て、フルールはニヤリと笑った。
「私の娘が心配か?」
「彼女はこの世界にとって何よりも大切な存在だ。俺にとって大切というわけじゃない」
「素直じゃないやつだな、お前は! 私の娘は、私に似て美人だろ? 男が十人いれば、十人とも振り向くはずだ!」
「だから、いまはそういう話をしている場合じゃない」
苛立つギデオンに、フルールがすっと手を伸ばす。
「……だったら私を早くあの場まで連れて行け、婿殿。お前に話しておかないといけないこともある。行くまでに、全部話してやろう」
ギデオンは差し出された手をしばらく見つめてから、おずおずと口を開いた。
「……俺にはこの手を握る資格がない。俺はあんたの仲間を……フェノムを殺した」
「……そうか。あいつは笑って死んでいっただろう?」
「……なぜわかる?」
「あいつは、ずっと強敵を求めていたからな。自分を遥かに上回る相手と、戦うために生きていたんだ。初めてあいつに会ったとき、あいつはその役目を私に求めた」
それでギデオンは、フェノムがフルールと戦うためにこの監獄世界に入ってきたことを思い出した。
「私はもちろん、断ったよ。なぜなら私は、自分よりも遥かに力を持ったやつらを知っていたからだ。だからフェノムには、もっと強いやつと戦うべきだって、そう伝えたよ。あるいは、待ってくれと」
「待ってくれ?」
「私がその力を手に入れるまで、待ってくれと。私は世界種を探し、世界種の力を得るためにダンジョンに潜っていた」
「さっきからあんたが言っている世界種とは何だ?」
「俗に、神や創造主と呼ばれるやつらのことさ。マナの座を身につけていると言えばわかりやすいかな? いまの、お前のように」
言いながら、フルールはギデオンの腕にそっと触れる。
そこにある光景を見て、ギデオンはぎょっとしてしまった。
自分の腕に、赤い紋様が描かれている。まるで、リルパのそれのような……。
「何だこれは……?」
「これこそ、世界種だけが身につけられる力だ。お前の身体には、いまマナの座が開いている」
「マナの座? どうして……」
「ひょっとして、お前は自分がどれだけの力を持っているか知らないのか?」
フルールは胡乱げな様子だった。
「俺の身体に、こんな紋様が浮かんだことはない。まるっきり初めてだ……」
「お前がリルパに影響を与えたように、お前もリルパから影響を受けているのかもしれないな。だが、その要因は常にお前の中にあった。後天的には、その力はどうしても身につけられない……私がそうであったように」
そう言って、フルールは自嘲気味に笑う。
「あんたが何を言っているのか、さっぱりわからない」
「そのことも含めて全部話してやるさ。さあ、早く私を娘のところに連れて行ってくれ。言うことを聞かないと、フェノムに代わって私がお前をひっぱたいてやる」
フルールはまた手を差し出す。
ギデオンは今度、それをしっかりと握った。
「……なあ、ギデオン。フェノムは強かったか?」
そのとき、フルールが目を伏せて言った。
「……ああ。いままで戦った誰よりも」
「そうか。よかったよ……フェノムを打ち負かしたのが、お前のようなやつで」
「フェノムから、あんた宛ての伝言を預かってる」
「何だ?」
「愛していたと」
目を丸くして固まったフルールは、しばらくしてから、そこにじわりと涙を溜めた。
「あいつは馬鹿だな……」
ギデオンは踵を返し、フルールの手を引いて歩き出した。それで、彼女の泣き顔から目を逸らすことができたからだ。




