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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
囚人都市ペッカトリア
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絶望の序曲

 亡者の放った力任せで大雑把な攻撃をひょいと躱すと、ギデオンはじっとアルビスを見つめた。


 一般的に、死体を操る魔法を開花させたものを、屍術師と呼ぶ。


 屍術師を相手取って戦うのはこれが初めてだったが、噂には随分とやっかいな相手だと聞いていた。

 死体に攻撃をしてもほとんど無意味で、術者本人を攻撃しようにも無数の死体の盾がある。


 その結果、一点突破する攻撃力を備えた者でなければ、屍術師との戦いに勝つためには、相手のマナ切れを待つしかないという。


 死体は次から次へと地中から現れ、ギデオンの方に群がってきた。亡者の強みはひるむことがないことだ。攻撃を加えても、何事もなかったかのように前進を止めない。


 そのとき死体の壁の向こうから、アルビスの声が聞こえてきた。


「わしはな、ギデオン。元いた世界ノスタルジアでは死体置き場(モルグ)で働いておった。汚い死体よりは、綺麗な死体で楽しみたいものじゃからのう。墓地の死体は汚い。腐り、ただれ、汚れきっておる」

「死んでいれば同じだ」

「同じではない。わしら屍術師は、美の探究者なんじゃよ」

「腐っていない綺麗な死体が欲しければ、死体置き場(モルグ)を管轄すればいいだろ。それとも、ペッカトリアにそういう場所はないのか?」


「あるが、わしには手を出せん。じゃが、いまは扱うのがこの汚い死体でよかったと思っておるよ。楽しみ方が変わったんじゃ。ノスタルジアでは、死体『と』楽しんでおった。その一方で、ペッカトリアでは死体『で』楽しむ。生命力に満ち溢れた生物が、汚れた死体に殺されていく様は美しい。ここでは誰の目もはばからず、存分に生き物を殺せるからのう」


「その生き物というのは、まさかゴブリンのことか?」

「囚人奴隷、奴隷、小鬼……それぞれ楽しみ方が違う。じゃが、小鬼はあまり面白くない。従順なまま死んでいくやつが多いからじゃ」

「……お前は死刑だ。俺が責任を持って殺してやる」

「できるか、お主に?」


 アルビスはニヤリと笑い、ますます亡者の攻勢を強めていく。


 体内の蔦植物を活性化させ、天然の縄を張り巡らせて何体かの亡者を拘束したものの、多勢に無勢とはこのことだった。蔦がとらえきれなかった亡者は、腐肉の壁を作ってギデオンのさらなる攻撃を凌ぎ切ると、ついに目的地へとたどり着いた。


 亡者の群れは、ギデオンの身体にしがみつき、ひっかき、噛みついた。腐った肉体が培養した多種多様な毒物が、体内に侵入してくるのをギデオンは感じ取った。


「もう終わりか? それとも、お主の植物は夜では力が出ないかのう?」


 腐肉の壁の隙間からちらりと見えたアルビスの顔には、勝ち誇った表情が浮かんでいる。


「俺に毒は効かないが」

「身動きもとれまい。そのまま亡者に食われて果てることになるわい」

「どういう死に方が好みだ?」

「ではせめて、大声で泣き叫んでくれ。お主のように我慢強そうな人間は、どうせ楽しい死に方をせん」


 それを聞いて、ギデオンはふいに笑ってしまった。


 この老人が、自分の狙いをわかっているのではないかと思ってしまったからだ。それはこの場において、あまりに的確な指摘だった。


「わかった、泣いてやろう。だが、死ぬのはお前だ」

「何……?」

「俺の昔のあだ名を教えてやろうか? 実は俺は、『人間』と呼ばれていなかった」


 ギデオンはパカリと口を大きく開け放ち、その植物(・・・・)の力を解放した。


 ――アアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァ……!!


 途端にこの世のものとは思えない絶叫が響き渡り、夜の静寂を切り裂く。


 世の植物通をして『魂を引っかく』と表現せしめるその凄まじい泣き声は、いまギデオンの喉を通して発せられていた。

 

 屍術師を倒すためには、彼らの操る亡者ではなく術者本人を直接たたくしかない。が、通常の攻撃では死体たちの壁に阻まれて届かない。


 そのためにギデオンが選んだ攻撃方法は、『音』だった。


 耳を塞がれていれば効果は薄れるだろうが、ずっと会話できていたことから防がれることはないと確信していた。


 絶叫がやみ、身体にまとわりついていた亡者の群れが、力を失って剥がれ落ちていく。


 いつもと変わらぬ視界を取り戻したギデオンが見たのは、少し離れた場所でぴくぴくと痙攣しながら横たわる、老いた屍術師の姿だった。


「――俺はな、アルビス。人型をした植物――マンドラゴラと呼ばれていたんだ」


 もっとも、いまやギデオンにとってその人型植物は、力の一端に過ぎないが。


 精神をやられ、しばらく正常な思考力を取り戻せないであろうアルビスに、ギデオンはゆっくりと近づいた。しゃがんで老人の顔を覗き込み、泡を吹いて目を回しているのを確認する。


 この老人は救いようもない人間だが、ギデオンのことを『我慢強そうな人間(・・)』と呼んだことだけは評価してもいいと思っていた。


 師、マテリットの言葉は常に正しい。その師と同じ考えに至ることができたことを、この屍術師は誇っていい。マテリットによれば、ギデオンは人間だからだ。


 手の甲から刀草(グラディオレアフ)を伸ばし、アルビスの首筋をかき切った。


「……と言っても俺はお前に死に方を選ばせてやる気はない。言っただろ? 死ねば同じだ」


 首から血液が流れ出し、屍術師の身体が熱を失っていく。


 そうして、戦いは静かな終わりを迎えた。

 

 術者が絶命したことで、操られていた亡者が土に還っていく。


 ギデオンは立ち上がり、念のため辺りを見渡して、他に巻き込まれた者がいないかをざっと確認した。


 マンドラゴラの咆哮にもってもたらされる発狂は『精神毒』と呼ばれ、適切な処置をすればすぐに身体から抜くことができる。

 

 先ほどメニオールの共同墓石まで案内してくれたゴブリンが、ひょっとしたらどこかで倒れているかもしれないと思い、ギデオンは教会の建物まで急ごうとした――そのときだった。



「……あああああ、あああああ、真似できない音、何の音? 変な音……」



 シンと静まり返った墓地に、どこか気の抜けた感じがする舌っ足らずな声が響き、ギデオンはギョッと目を見張った。


 慌てて声の方を見ると、教会の方から小さな人影が歩いてくるのがわかった。


 次第に影が晴れ、ゆっくりとその姿が露わになる。


 真っ白な髪に、赤い双眸――


 華奢な身体に、光沢のある絹のような衣服を纏っている――


 その姿は、この世のものではないと思えるほど可憐でありながら、どこかこの世界のどんな場所にもふさわしいと錯覚するような、不思議な矛盾を孕んでいた。


 ほとんど、その容貌が人間の幼い少女にしか見えないにもかかわらず、だ。


 彼女はギデオンを見ると、にっこりと微笑んだ。


 一瞬にして、身体中から冷や汗が吹き出してくる。

 その存在は、対峙しただけでギデオンの心に圧倒的な重圧を加えてきた。


 何が起こったのかわからない。自分の両ひざが、ガタガタと震えていた。


「あなたがギデオン?」

「……あ……う……」

「違う? 教会の人たちが、ここに行ったって教えてくれたんだけど……」


 返答になっていない言葉をどう解釈したのか、彼女は困ったように首をひねった。


「――ねえ、嘘はだめだよ。嘘は吐いちゃいけないって教えてもらわなかった? あなたがギデオンでしょ?」


 ギデオンは、生唾を飲み込んでから、ゆっくりと首を縦に振った。


「そっかあ。そうだよね。探してたんだよ、ギデオン」

「お、俺……を……?」

「ラーゾンにひどいことをした。それに、大地をめちゃくちゃにしたでしょ。大地はわたしの身体だから、すぐにわかるんだから」


 それから彼女は、地に足がついているのか疑わしいほど軽やかに歩いてギデオンの横を通り過ぎると、いましがた絶命したばかりのアルビスの死体に近づいた。


「アルビスおじいちゃん、死んでるじゃん。これもあなたがやったの、ギデオン?」


 そう言って振り向いた彼女の赤い目には、明確な怒りが宿っている。


 絶対的な恐怖に押しつぶされ、自分の魂がすり減っていく感覚……。

 その後の光景に、ギデオンはさらに息を呑むことになった。


 顏、腕、腹、足――露出した少女の陶器のように滑らかな皮膚の上に、赤い模様が浮かび上がってくる。

 

 その姿はまるで、この世界に暮らすゴブリンたちのようであり、それすなわち彼らが信仰する(リル)の似姿だった。


「お、お前は……?」


 やっとの思いでそう訊ねるまでもなく、ギデオンはすでに彼女の正体を悟っていた。


 門番の囚人奴隷が、その名前を軽々しく呼ぶなと怯えていたことを思い出す。


 ドグマの息子が、その名前を口にして震えていたことを思い出す。


 そしてスカーが、絶対にその存在に手を出してはいけないと言っていたことを思い出す。


 かすれきった声で問いかけたギデオンに、少女は薄く微笑んで答えた。



「――わたしは、リルパ」


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