上を下へ
いきなり背後から襲ってきた熱風に、ハウルは背中の毛がちりちりと焦げ付くのを感じた。
凄まじい轟音に顔をしかめ、それが鳴りやむまでの間、両足に力を込めて立ち尽くす。
「……なんだ、いまのは?」
炎の波の衝撃が終わってからきょろきょろと辺りを見渡すと、風景が一変しているのがわかった。
そばに立つ都市壁に大穴が空き、その向こうに広がる森が燃えている。
対峙していたはずの男の姿は、綺麗さっぱりと消え去っていた。
どうやらいまの炎の波の直撃を受け、蒸発してしまったらしい。
満月の夜に変貌した自分の毛並を焦がすくらいだから、よほどの熱波だったのだろう。
殴っても引き裂いても平然と起き上がってきたため、別の攻撃方法を試そうと考えていたところだったのだが……。
ハウルがそんなことを考えている矢先、地面がぼこぼこと盛り上がり、ゆっくりと泥が人間の身体をかたち作っていく。
「あれ、無事か?」
「……いまのはなんです? あなたの仕業ですか?」
男は立ち上がり、首をポキリと鳴らしてから、興味深そうにハウルを見つめた。
「知らねえよ。俺だって驚いたんだ。おかげで、背中の毛がちょっと焦げちまった」
「あなたでないとしたら……ゴスペルでしょうかね? そういえば、いまの技には覚えがあります。メニオールの逃走を助けるために、こちらに向けて放ったと考えるべきですか」
「ゴスペルとかメニオールとか、さっきからてめえは何を言ってやがるんだ?」
「先ほど男のふりをしてあなたと話していたのがメニオールですよ」
「男のふり?」
「ええ、彼女は色々な人間の顔を纏うことができるのです」
それを聞いて、ハウルはますます困惑することになった。
まさか、ギデオンからギデオンではない人間の匂いがしていたのは、そういう事情があったからなのか。
「ゴスペルというのはまあ……そのメニオールの協力者、というところですか」
「やっぱり、話を聞いてもいまいちよくわからねえな」
どうしてそのメニオールというやつがギデオンのふりをする必要があった?
どうしてそいつからスカーの匂いがする?
まったくもって、わからないことばかり……しかし、そのメニオールがミレニアを守ろうとしていたことだけは、流石のハウルにも理解できた。
いまだにミレニアの匂いは嗅ぎ取れるし、この男をぶちのめしてから二人に合流し、詳しく話を聞けばいいだろう。
「メニオールもゴスペルも、私の心を沸き立たせた強者ですよ。私の騎士としての本分を、忘れさせてくれたほどに」
自分のことを騎士と表現した男は、そばに落ちていた剣を拾い、悠然と構えた。
「もちろん、あなたもね……ハウルと言いましたか?」
「ああ」
「すばらしい強さですよ。いまの熱線の一撃を受けて、平然としているとはね」
「そう言うてめえは不死身か?」
言いながら、ハウルは騎士に向かって爆破の力を放った。
首筋から泥が飛び散り、男はふらつきながら後退したものの、倒れるまでとはいかない。
もげそうになっている頭部をまっすぐに直すと、首の傷が修復されていく。
「不死身……実質的には、そうなるかもしれませんね。マナが枯渇すればわかりませんが、私にはマナ切れの概念がありませんので」
「奇遇だな。俺もさ!」
満月の光を浴びていると、際限のない活力が沸き上がってくるのを感じる。
「……ふっふ、では邪魔は入りましたが、続きといきましょうか」
「すぐにてめえの殺し方を見つけてやる!」
ハウルは雄たけびとともに騎士に飛び掛かり、強烈な打撃を叩き込んだ。
吹き飛んで行く身体を猛追し、思い切り蹴り上げる。
男は身体をくの字に曲げて遥か上空へと吹き飛んで行ったが、依然としてその目の輝きは失われていない。
刹那、ハウルは自分の周りから膨大な量の土が空に舞い上がっていくのを見て、ぎょっとした。
土は騎士が上段に構えた剣の先に集まっていき、夜空に巨大な『土の塔』が出来上がる――!
「な、なんだそりゃあ……!?」
「上を下にとはまさにこのこと! もはや地面はあなたの足の下にのみあるわけではありませんよ!」
落下しながら、騎士は土の塔を振り下ろした。
熱風で蹂躙された街に、さらなる傷が刻み込まれる。
大地が揺れ、周りで小鬼たちの悲鳴が上がった。
ハウルは男の繰り出す一撃をもろに食らって土にまみれたが、すぐにその中から這い出して敵の姿を探した。
「――あなたのタフさには驚きますよ!」
声がしたのは背後。
咄嗟に身じろぎしながら振り返ろうとしたが、敵の攻撃の方が速かった。
するどい突きを受け、ハウルは背中にちくりと痒みのような感覚を得た。
「驚きましたね……剣の方がやられてしまうとは」
刃の先が欠けた剣を、騎士がしげしげと眺めている。
「そんななまくらじゃ無理だよ……って言っても、いまの俺の身体に傷をつけられる武器なんて存在しねえだろうが」
「なるほど、ホロウルンの力を失ったのは大きな痛手のようです。とはいえ――」
騎士はニヤリと笑いながら、低く構える。
「――私はとても楽しいですよ、ハウル。私もそろそろこの身体に慣れてきました。これから、どんどんと新しい戦い方を身につけていけそうです。そのための練習台として、あなたはまさにうってつけというもの」
……男がそう言ったそのときだった。
月の光が何かに遮られたのか、辺りがさっと暗くなる。
ハウルがハッと上空を見ると、巨大な木の影が月を覆い隠していた。
「……え、なんだあのでかい木は? ここは街の中だろ?」
木はさらにそのシルエットを大きくしながら近づいてくる。
木が動いている……?
何が起こっているのかわからず、ポカンと呆気に取られているうちに、その巨木はほんのすぐ近くまでやってきていた。
根元は、おそらく一本向こうの道とかそんな辺りだ。木の接近とともに、周囲には様々な花の放つ香りが混じった強烈な悪臭が漂っている。
「動く木の魔物……? 次から次へと、この街はいったい全体どうなってやがる……?」
「これは何事です……? 何ですか、あれは」
「……俺に聞くんじゃねえよ」
目を凝らしてよく見ると、その木は見たことのないほどおぞましい姿をしていた。
幹から雑多な種類の植物が生えている。それは一本で多様な植物が群生する「森」のような、植物のキメラというべき姿……。
枝の先に様々なかたちの葉が生い茂り、その奥から長い蔦が伸びている。
食虫植物の捕虫器がぶら下がっているかと思えば、その横にまったく別種の巨大な花弁が誇らしげに咲き誇っていたりもする。
――と、そのとき突然、ウネウネと動いていた蔦のいくつかがこちらに目がけて襲い掛かってきた。
ハウルはさっと躱したものの、すぐそばにいた騎士は蔓に足を絡め取られたようだった。
「どうやら、こちらに敵意を持っているようですね――」
言い終わる前に、彼の身体が夜空へと舞い上がる。
蔦に宙づりにされた状態で、騎士は巨大な木の幹に引き寄せられていった。
ハウルは驚愕して目を見張った。
男が引き寄せられた場所には、先客がいる。
――人間だ。
何人かの人間が、蔓に絡め取られた状態でぐったりしている。
「……こいつはお前たち囚人のために、俺が新しく用意した監獄だ」
声が響く。
聞き知った声だった。
そうして、ゆっくりと森の根元が姿を現す。
その男は、森を背負って歩いていた――いや、実際には彼の身体から伸びた細い枝が、絡まり合って、その上部に雑多な植物群をつくっているだけなのだが……。
「……え、ギデオン?」
ハウルは、その男を見て目を丸くした。
刹那、全身を貫く強烈な悪寒を感じ、震えが止まらなくなる。
ギデオンの身体には赤い紋様が浮かび上がっており、その目は怒りに燃えていた。
彼はぼろぼろになった街を見渡すと、改めてハウルを睨みつけた。
「……派手に暴れたようだな。ここからは俺が相手をしてやるぞ、ペッカトリア」




