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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
甦った名前
179/219

見出された敵

 身体に解放感と力が満ちている。


 ハウルは空に浮かぶ満月から、ゆっくりと視線を下ろした。

 周りには、泥にまみれた廃墟然とした建物がある。


(ここはどこだ? あのゴルゴンの屋敷か……?)


 確か、あの女の凍りつくような視線を見てから、それっきりだったはず……。


 自分の身体に目をやると、青白く光り輝く毛に覆われている。

 知らぬうちに、狼へと変貌していた――しかも、最大の力を発揮できる満月の夜に。


 そのときハウルは鋭敏になった嗅覚に、ミレニアの強い匂いが飛び込んでくるのを感じた。

 すぐ近くだ。それも、ほんのすぐそこから……。


 匂いはそれだけではなかった。ミレニアの匂いに混じって、以前にハウルが敗北したスカーという男の匂いも近くに漂っている。

 ハウルはわけがわからないなりにミレニアの窮地を悟ると、そばにある壁を思い切り殴りつけて破壊した。


「――ハウル!」


 視界が開けた先でいきなりそう叫んだのは、泥にまみれたミレニアだった。

 その光景を見て、ハウルは自分の青い血で汚れた彼女の姿を思い出し、また怖気づく……。


 ハウルが何とかその場に踏み留まることができたのは、怪物へと変貌した彼を見つめるミレニアの顔が、恐怖ではなくほっと安堵の表情だったからだ。

 ハウルは平静を装うと、おずおずとミレニアに話しかけた。


「……ミレニア? お前、どうしてそんなに泥だらけなんだ?」

「おい、ハウル! オレだ、わかるか!?」

「ああ?」


 よくよく見ると、ミレニアのそばに泥だらけの男がいる。


 ギデオンだ――いや、ギデオンの格好をしていたが、ハウルはその男に大きな違和感を覚えた。

 ギデオンとはまるで違う匂い……それこそ、いま鼻孔をくすぐっていたスカーの匂いが、目の前のギデオンから漂ってくる。


「てめえ、ギデオンか? 妙な匂いがするぜ」

「話はあとだ! お前、意識ははっきりしてるか!?」

「意識? いや、わけがわからねえ。これはいったいどういう状況なんだ?」

「ちっ、面倒事が増えただけか……」


 ギデオンがそう言ったとき、彼の周りの泥がもぞもぞと動き、巨大な手のかたちを象っていく。


 ハウルが呆気に取られているうちに、ギデオンはその手の中にすっぽりと収まってしまった。

 巨大な手にみしみしと握り締められながら、ギデオンは必死の形相で叫んだ。


「ミレニア! オレに構わず逃げろ! ここは危険だ!」

「め、メニオール!」

「……ミトラルダ。メニオールの言う通り、どこへでも行くがいい。お前がいると、彼女は本気で戦えない。それは私の本意でもないからな」


 低い声が響いた。


 見ると、廃墟の暗がりに、また別の男が立っているのがわかった。

 左腕がなく、肩から細い糸のようなものが垂れ下がっている。


 男はハウルの方をちらりと一瞥して口を開いた。


「あなたもですよ。見たところ、人語を話すキメラですか? あるいは、あのゴスペルという無貌種(シェイプシフター)? どちらにせよ、私の標的ではない。この場から去りなさい」

「俺はキメラじゃねえ……」


 呻くように言ってから、ハウルは男を睨みつけた。


「どうでもいいことです。ここに残っていても、死ぬだけだと忠告しているだけですよ」

「死ぬ? ひょっとして、この妙な手はてめえの仕業か?」


 ハウルはギデオンに近づき、彼を捕える巨大な手に向けて爆破の力を放った。


 ボンッ! というすさまじい衝撃音。

 満月が、ハウルの力をさらに野蛮なものへと変えていた。


 巨大な手の表面にピシピシとひび割れが走り、亀裂が大きなひずみに変わった隙に、ハウルはその手からギデオンの身体を強引に引っこ抜いた。


「ふん! これでよし、と」


 すると、ギデオンはハウルの顔をしげしげと見つめてくる。


「……おい、ハウル……お前……?」

「勘違いするんじゃねえぜ。てめえにはいくつか借りがあったってのを思い出しただけさ」


 そう言ってから、ハウルは何だか背中がむず痒くなって、ギデオンから視線を逸らした。


 匂いだけはどうにもわからないものの、ここにいるやつは確かにギデオンの格好をしているのだ。匂いは色々と誤魔化すことができても、見た目だけはどうにもならないはず――だからこいつは、やっぱりギデオンで間違いない……。


 ハウルがそんなことを考えていると、ギデオンが訴えかけるような声を出した。


「……ハウル。どうやら、お前は正気のようだな? そんななりだが、人間的な思考ができているようだ」

「正気も何も、満月の夜こそ俺の真価を発揮できるときさ。このとき以上に正常な俺なんて、存在しねえよ」

「よし。そしたら、ミレニアを連れて逃げろ」

「はあ?」

「あいつは危険だ。オレが相手するうちに、早く行け」

「馬鹿じゃねえか? てめえ、いまやられちまいそうになってたろ」


 ハウルは鋭い爪の生えた指を、自分の頭の横でクルクルと回した。


「逃げるのはてめえさ、ギデオン。よくわからねえけど、あいつはお前らに喧嘩をふっかけて来てやがるんだろ? だったら、俺がぶっ飛ばしてやるよ」

「……無理だ。あいつの力は化け物じみてる」


 それを聞いて、ハウルは肩をすくめた。

 ――そして瞬時に姿勢を下げ、力強く大地を蹴る。


 一瞬で距離を詰め、ギデオンが「化け物じみてる」と表現した男を殴り飛ばす。

 男は遥か遠くまで吹き飛んで行き、受け身も取れずに堅い石畳へと叩きつけられた。


 彼と細い糸のようなもので繋がっていた巨大な左腕が、遅れて落下する。

 一連の様子を見届けてから、ハウルはゆっくりとギデオンたちの方を振り返った。


「……俺の力だってそうさ。あんなやつには負けねえ。何せ、今日は満月だからな」

「おい、馬鹿! 油断をするな――」


 ギデオンの言葉が終わらないうちに、周りの泥がぼこぼこと沸き立ち、ハウルの身体にまとわりついてくる。


「へえ?」

「……しつけのなっていない犬ですね。飼い主は誰です?」


 会心の打撃を叩き込んだにもかかわらず、男は平然と起き上がって戻ってくる。


「……俺は犬じゃねえ。狼だ」

「これは失礼をしました。とはいえ、その二種類の生き物の間にある違いが、私にはよくわかりませんが」

「――なら、教えてやるよ。勉強料は高くつくけどな」


 ハウルは男をギロリと睨みつけながら、身体に思い切り力を込めた。

 刹那、まとわりついていた泥が弾け飛ぶ。


「……なるほど、凄まじい力ですね。私のいまの握力で拘束できないとは」


 感心したように言う男から、ハウルはすっとギデオンに視線を移した。


「……ギデオン、さっきの言葉を丸ごと返すぜ。ミレニアを連れて逃げろ」

「な、何だと?」

「あの男からじゃねえぜ。俺から・・・逃げるんだよ。俺はこれから、派手に暴れるからな――」


 言いが早いか、ハウルは夜空に向かって雄たけびを上げた。


 自分の身体の輪郭を越え、力がはみ出す感覚――。

 とても自制できない力が大気に溢れ出し、そこら中で爆発が起きる。


「……ほう、面白い。あなたも私を随分と楽しませてくれそうですね」

「被虐趣味でもあるのか? てめえは何もできずにサンドバックになるだけだぜ!」


 ハウルは身体中の毛を青白く輝かせながら、混乱の中見出した敵へと突進していった。


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