ペッカトリアの契約
集まっていた全員の囚人の本人証明が終わってから、スカーは大広間に足を踏み入れた。
「……手間を取らせて悪かったな。だが、これで安心して話ができるってもんだ。最初にだが、ボスの件だ」
スカーがドグマに視線を送ると、みながそれにならった。
すると、ドグマは居心地が悪そうに身じろぎする。
「ボスはフルールから預かった例の魔導書を奪われちまった」
「……何だって? 誰に?」
示し合わせたようにそう反応したのは、弟分のメガロだった。先ほど、前もって打ち合わせておいたのだ。
スカーは顔を歪めると、メガロに答えるようにして、全員に言い放った。
「とある女にさ。メニオールというハーフエルフで、自在に姿を変えることができる。俺がさっき面倒くさいことをお前らにやらせたのも、彼女が紛れ込まないようにするためだったのさ」
「奴隷か? それとも、囚人奴隷?」
「囚人奴隷だ。ここには、罪を犯して入ってきた。でもそれは大した問題じゃねえ。俺たちだってそうだ」
「ちげえねえ」
そう言うと、メガロは周りを見渡して笑った。周りの数人が、それに追従して笑う。
「彼女から、魔導書を取り戻さなきゃならねえ。なぜかはわかるよな? 二層からはカルボファントを仕入れてる。その供給線を持ってるやつが、この世界の支配者だからだ。象牙はリルパを手なずけるために必要だからな。これまでは魔導書の通行許可を利用して、その役割をボスが担ってた」
それで、また囚人たちの目がドグマに向く。
「それじゃあ、あの巨人はもう役立たずってことかい?」
「慌てんなよ、メガロ!」
スカーは笑い出しそうになるのをこらえながら、手下を諌めるふりをした。
「てめえの悪い癖だ! 俺の考えじゃ、まだボスはボスさ。なぜなら、まだボスは自分の亜空間の中に象牙をたんまりため込んでる。逆に、メニオールが象牙を手に入れるまでにはまだ時間がかかるだろう。それまでに魔導書を取り返せばいいんだ」
「そ、そのとおりさ。俺はいままで、あんたらのために便宜を取り測ってきた。これからだってそうするつもりだ……」
ドグマはおろおろとそう言ったが、みながその巨人に向ける視線には、すでに侮蔑の色が混ざっている。
「ちょっといいか?」
そのとき、大広間の隅で囚人の一人が手を挙げた。
名前はエンブレン。
スカーと同じく大量殺人の罪で投獄されており、その罪状の大きさから、囚人たちから一目置かれる男だった。
「なんでお前が仕切ってる、スカー? ボスがいまの地位のままなら、お前がでしゃばってるのはおかしいだろ?」
「俺はメニオールのことを報告してるだけだ。彼女の存在は、ペッカトリアの非常事態さ。それとも、俺以上にメニオールのことを知ってるやつがいるってのか?」
「メニオールってやつのことは知らんが、お前がその女の前で失態を演じたことは知ってるよ。俺だけじゃなくて、ここにいるみんながな」
すると、エンブレンの一派に属するやつらが失笑をもらす。
「彼女に目を付けられたのが俺じゃなくてめえだったら、きっといまこうやって立ってることだってできなかったはずさ」
「それ、立ってるのか?」
エンブレンはスカーの身体を支える杖を指差した。今度は、どっと笑いが起きる。
「なあ、エンブレン……ガキじゃねえんだ。そういう悪ふざけをやってる場合じゃねえってわかるだろ?」
「悪かったよ。お前が妙な気を起こしてるんじゃねえかって思ってさ」
「……妙な気?」
「ここのボス面をしたがってるんじゃねえかってよ」
エンブレンはそう言ってニヤリと笑う。
「とんでもない。俺はメニオールを捕まえたいだけさ。ペッカトリアのためにな」
「だといいがな」
エンブレンに釘を刺され、スカーは内心で、ちっと舌打ちした。
やはりドグマのやり方は賢かった。象牙を独占し、リルパを使って睨みを利かせていたからこそ、囚人たちは大人しくしていたのだ。
何の対応策も取らなければ、これからはこのエンブレンのように、自分の力に自信を持つ者たちが、利己的な態度を取り始める時代がやってくる。
――何の対応策も取らなければ、だが。
スカーは気を取り直し、大声を張り上げた。
「俺たちが争うのは敵の利益にしか繋がらねえ! まずは足並みを揃えて、ペッカトリアの危機を排除しなきゃな! そこで、契約術で一つルールを決めようじゃねえか! 自分たちが一目で本物だとわかる約束事をな!」
「たとえば?」
「俺たち同士は、魔法による攻撃を仕掛けられないってのはどうだ? 疑わしいやつには攻撃を仕掛けてみて、攻撃ができなかったらそいつは本物ってことになる。お互いの身の安全にもつながるし、いい案だと思うが」
「そりゃあ、いい! やりたくても、仲間割れができなくなるってわけだ!」
と、メガロが叫んだのを見て、エンブレンはさっと気色ばんだ。
「……スカー、正気か? 自分の立場も捨てるってのか?」
「おいおい……俺の立場ってのは何だい?」
「お前の苦痛の力を恐れてるからこそ、そこの腰抜けはお前の太鼓持ちをしてるんだろうが?」
エンブレンはメガロを指差し、怪訝そうに言う。
「俺はペッカトリアのためを思って提案してるんだぜ? 誰かが誰かに対して恐怖を抱いたままじゃ、一致団結なんてできやしねえ。違うかい?」
「お前、何を考えてやがる……?」
「確かにこのアイデアはエンブレンの言う通り、これまで力の差を理由に誰かの上で偉そうにふんぞり返ってたやつらにとっては、都合が悪いかもな。でも、そういうやつらの下で苦汁を舐めてたやつらにとっちゃ、ありがたい話だろ? もう暴力はなしだ」
「……馬鹿らしい! そんな話に乗れるか! 俺は抜けるぜ!」
「待てよ、エンブレン!」
スカーは大声を出した。それはエンブレンに向けてというよりも、周りの囚人たちに聞かせてやる意味合いの方が強かったが。
「俺たちはこれまでだって、お互いに直接的な揉め事はご法度だったじゃねえか? なのに、いまさらきちんとしたルールを作ることに、何の問題があるってんだ?」
「それは……」
「てめえはまるで、日頃から自分の魔法で他の囚人に悪さをしてるみてえじゃねえか。てめえはいつも、自分に従順な仲間とばかりつるんでやがるが、まさかそいつらを力でどうにかしてるわけじゃねえんだろ?」
スカーはそこで、他の囚人にちらりと目をやった。
それは、先ほどスカーを笑ったエンブレンの手下の一人だった。
「……なあ、ギィル。お前はエンブレンとよく一緒にいるが、あいつを人間的に尊敬してるんだよな?」
「も、もちろんさ」
「だったらお互いに不干渉のルールがあっても、その尊敬は薄れねえよな? エンブレンはもうお前に魔法で攻撃を仕掛けられなくなる――が、いままでだってそうだったわけだしよ」
一言一句を、噛み砕くようにして言う。どんな馬鹿にでも、理解できるように。
それを聞いたギィルの瞳に、さっと安堵の光が宿ったのを、スカーは見逃さなかった。
「……俺たちはみんな一級身分の囚人で、誰かが誰かの上にいるとかおかしな話だぜ。みんな、そう思うだろ?」
囚人たちがざわついた。彼らの間にも、当然力関係はある。ここにも外の社会と同じく、少数の強者が多くの弱者を従えるという搾取の構図が出来上がっている。そして、その力関係がなくなるというのは、虐げられる立場の大多数にとっては有利な提案なのだった。
「……スカー、お前が何を言ってるのかわかってるのか? お前もいまの有利な立場を失うってことだぜ……」
エンブレンが眼光鋭く言ったが、スカーはそれをまともに取り合わなかった。
「その議論はさっきすんだ。これ以上は、時間の無駄だ」
「な、何だと?」
「てめえは勝手だ、エンブレン。ペッカトリアの利益じゃなく、自分の利益しか考えねえ。もし俺がメニオールと成り代わっていなかったら、テクトルが昇格した囚人会議で、このことを提案していたはずだぜ。囚人は、ここで自由であるべきだ。そうだろ、みんな?」
そう言って周りを見回すと、つい先ほどまでエンブレンの派閥にいた者も、期待に目を輝かせているのがわかった。
「……だが、俺はエンブレンの懸念もわかる。いくら事態が差し迫っているとはいえ、あまりにも急なアイデアだからな。だから、最初は試行期間を設けよう」
「試行期間?」
「メニオールを捕まえるまでの間に限定して、相互不可侵の契約を結ぶ。それが有用なものだったら継続して、不便だったら破棄すりゃいい。どうだ?」
「……いいよ、俺は文句ねえ」
一人がそう言ったのを皮切りに、みなから賛同の声が上がる。
エンブレンを始め、これまで上の立場であぐらをかいていた者たちは決まりの悪そうな顔をしていたが、この大人数の手前、反対意見を言えずにいるようだった。
「今日は俺たちにとって記念すべき日だ。これで、俺たちの間にあらゆる争いがなくなる。ラスティ、契約術を用意してくれ」
「わかったよ、兄貴!」
ラスティまで目を輝かせている。
彼が用意した用意した羊皮紙に、スカーは一番初めに名前を書いた。
それからスカーは、他の囚人たちが、そこに名前を書き記していくさまをじっと監視していた。
手には、先ほど大広間の入出許可の際、囚人たちに名前を書かせた羊皮紙。
あの入出許可には、この本命の契約に際して、誰かが嘘の名前を書かないかチェックする役割もあったのだ。
最後のエンブレンが書き終わってから、スカーは羊皮紙を広げ、みなに掲げて見せた。
「これで契約は成立……ペッカトリアは一つさ! 俺たちはこれから、新たなるペッカトリアの構成員として生きることになる。で、この契約書だが……」
スカーはそれを丸め、ドグマを手招きした。
「――ボス、こいつをボスの亜空間にしまっておいてくれ。それが一番いいアイデアだ」
「あ、ああ……」
ドグマは、怯えきった目でスカーを見つめてくる。
「そんな顔しねえでくれよ。別に俺は悪さをしようってんじゃねえぜ。これはボスの特権さ。ボスが自分に有利なタイミングで契約を破り捨てられるってことだからな。俺はあんたに、ずっとここのボスでいてもらいたいんだよ」
「……わかった。ありがてえ、スカー」
ほっと安堵の表情を浮かべる馬鹿な巨人を見て、スカーは思わず顔を歪めた。
(本当に能無しのデクノボーさ、てめえは……せいぜいあとは、リルパや城の連中の怒りを受けるスケープゴートとして働いてくれ)
事前準備は済み、いよいよ囚人会議の本題はここから。
新たなるペッカトリアが、邪悪な意志とともに産声を上げようとしていた。




