真贋の関所
ドグマの宮殿にある大広間の入り口に、スカーはラスティとともに立っていた。
目の前には、二十人ほどの囚人たちがたむろしている。
「さて、それじゃ、この羊皮紙に自分の名前を書いてから、部屋に入ってくれ。名前は自分の第一言語で書くんだ」
「何のために?」
スカーにそう訊ねてくるのは、ハーロッドという囚人だった。
「この中に偽物がいねえか確認するためさ。この羊皮紙は、契約術の媒体だ。簡単に説明すると、『この用紙に名前を書いた者だけが、大広間に出入りできる』って魔法が込められてる。伝言のときに伝えただろ? いまペッカトリアには、厄介なやつが紛れ込んでる。身分証明は大事だ」
「じゃあ、いまの状態じゃ大広間に入れないってわけか?」
「なんならやってみろ、ハーロッド。そっちの方が話は早いだろう」
ハーロッドは肩をすくめ、入り口を通ろうとする――が、そこで透明な壁に阻まれ、ぎょっと目を剥いた。
「マジかよ……驚いたな」
「次は、名前を書いてやってみろ」
ハーロッドはスカーの言葉に従い、羊皮紙に自分の名前を書いてから、また入り口に向かって歩いて行く。
今度は、何の障害もなく通りぬけることができた。
ハーロッドは振り向き、ニヤリと笑った。
「……なるほど、こいつは面白い」
「お前は本物だな、ハーロッド。いまお前は、お前の姿かたちを借りた偽物じゃねえって自分で証明したわけさ」
彼にならって、他の囚人たちも名前を書いて大広間に入っていく。
そんな光景を見守りながら、スカーはラスティに小声で話しかけた。
「なるほど、これが『名前の力』ってやつか……」
「そうさ、兄貴。自分で自分の名前を書くって言うのが重要なんだ」
「いまみたいな魔法を使って、メニオールが二層世界へ行くのを防ぐことはできるか?」
「できるにはできる。不便にはなるだろうけど……」
「できるなら、それでいい。俺は便利か不便かをてめえに聞いたか?」
「い、いや……」
ラスティが震え上がるのを見て、スカーは顔を歪めた。
「……どうすれば不便でなくなる?」
「え?」
「てめえの心配は、メニオールと一緒に他のやつも二層世界への交通が制限されるってことだろ? いまのこの大広間みてえにな。メニオールだけの行動を制限することはできねえのか?」
スカーはいまからメニオールを相手取ろうとしている愛ある戦いに、他の人間が絡むのを煩わしく思っていた。これはできることなら、二人きりの戦いであるべきなのだ。
しかし、ラスティは弱々しく首を横に振る。
「だから、それにはどうしても本人の意思が必要になるんだよ……」
「メニオールの行動を制限するためには、メニオールに自分で名前を書かせないといけないってことか?」
「そうだよ。もしくは、他の制限を設けるか。契約術は、お手軽にどんなルールでも作れるほど万能じゃないんだ。強いルールを作るためには、相応の条件が必要になってくる。誰かを縛るルールを作るためには、本人の意思証明になる名前が必要になる」
「こういう魔法ならどうだ? 『どこどこへと入るためには、この用紙に書かれた者を殺さなければならない』……とか」
「行為を制限される者が、名前を書いた人間と一致してないじゃないか。そういう場合、よほど強い人間の名前が必要になると思う」
「俺ならどうだ?」
「何だって?」
ラスティは驚いたらしく、スカーの方をまじまじと見つめた。
「俺がその用紙に名前を書く。つまり俺を殺さなければ、メニオールは二層へと行けない……そういう契約なら、結ぶことはできるか?」
「兄貴が、その契約のために命を賭けるってことか……?」
「そうさ。俺がしたいのは、メニオールとの殺し合いだからな」
「いや、でも、メニオールの名前を魔法に刻むには、やっぱりメニオールの署名が必要になると思う……」
「じゃあ、エルフの血を引く女とか、そんな風にぼかしてもいい。もっと対象を絞る必要があるなら、金髪とか、青い目とか、もっと限定的にしてくれていい。俺はメニオールを縛るルールを作ることができればそれでいいんだ」
「そ、それならいけるかも……でも、兄貴が命を賭けるなんて……」
「お前だって、惚れた女のためにさっき身体を張ったじゃねえか」
スカーが言うと、ラスティはバツが悪そうな顔になる。
「それとこれとは話が違うじゃないか……」
「いや、同じさ。愛は人間をおかしくさせちまうんだ。作用の仕方に違いがあるだけで、愛の持つ強さだけは変わらねえ」
「兄貴をそこまで本気にさせるなんて、そのメニオールってのはよほどいい女なんだろうな」
「なんなら、その契約にお前も名前を書くか?」
「い、いや、遠慮しとくよ……」
ラスティはひきつった笑いを浮かべながら後ずさる。
「冗談だよ。彼女とやり合うのは俺一人だ。俺は嫉妬深いからな」
そのとき、一人の女が羊皮紙に名前を書く順番になった。
彼女は顔をスカーの方に向け、胡乱げな声を出す。
「……ちょっといいデスか、スカーさん?」
「なんだい、ヤヌシス」
その女――ヤヌシスは、相変わらず両目を隠したまま、頬に指を当てて小首を傾げた。
「これは、本名を書く必要があるのデスか?」
「もちろんそうさ」
「困りましたね」
「……何が困る?」
スカーは咄嗟に身構えた。名前を書けないのなら、この女が偽者ということになるのではないか、と思ったからだ。
「わたしには二つ名前があるのデス……デスが、本当の名前の方は忘れてしまって……」
「何だと?」
「デスから、ワタシはこれまでボスに二層への入層許可を貰おうとしなかったでしょう? 土煙の魔法を、ワタシは通り抜けることができません……」
スカーは列の最後尾に並ぶドグマに目をやった。
「……ボス。ヤヌシスの言っていることは本当かい?」
「え? ああ、確かに、ヤヌシスには土煙の魔法を抜ける許可を出してなかったはずだ……」
「ワタシにとって、その名前はどうでもいいものだったのデス。デスが、ワタシを示す最初の記号であることには変わりはない……ああ、本当に困りました」
「ひとまず、ヤヌシスと書いてみろ」
スカーはペンを渡し、ヤヌシスを促した。
ヤヌシスは少し迷ったようだったが、そこに中央言語で『ヤヌシス』と書き、入り口を通り抜けようとする。
「あ、いたっ……」
しかし案の定、彼女は透明な壁に顔をぶつけたらしく、うずくまって額を押さえた。
「どうする、兄貴?」
「……捕まえろ。偽物が化けてるかもしれねえ」
「そんな、待ってください! ワタシは本物デスよ! 本物のヤヌシス……とは言えないかもしれませんが、この監獄世界に入ってきてからのワタシに、違いはありません!」
必死に弁解しながら、ヤヌシスは廊下の先に手を伸ばした。
そこで、ボン! と空気が爆発する。
「ほら、その偽者は人の力まで真似できるのデスか!? ワタシは本物デス!」
「……なるほど、確かに魔法はそれらしく見えるな」
「そうでしょう!?」
「……だが、信用できねえ。仮にお前の言っていることが本当だったとしても、いまはペッカトリアのために辛抱しろ。なあに、偽物を排除するまでの我慢さ」
スカーは、そばに控えた小鬼に向かって手を軽く上げて合図をした。
「この女を捕まえろ」
「待ってください! 囚人会議で、議題に挙げなければならないことがあるのデス! ソラのことデスよ!」
「……何だと?」
「ソラが帰ってきたのデス……これはペッカトリアにとって、極めて重要なことでは?」
「あとで聞く。こいつを地下牢に入れろ」
ヤヌシスは悔しそうに歯噛みしながらも、抵抗することはなかった。
そんな女の態度を見て、スカーは彼女が自身の口で語るとおり、偽者ではないのかもしれないと思った。ここで逃げ出せば、完全にペッカトリアを敵に回すことになる。まっとうな考え方をする者ならそれだけは避けたいだろうし、この女はきちんとその判断ができている、と。
小鬼に連行される女の背中をちらりと一瞥してから、スカーは次の囚人を促した。
「……次はお前だ。はやくしろ」




