フェノムの意志
ソディンに教えられたように道を進み、ギデオンはフェノムのものと思われる屋敷にやってきた。
マスクを取って足枷を外して、一級身分の囚人らしい格好になる。
それから、目の前の扉をノックした。
「……どちらさんなのダナ?」
しばらくして出てきたのは、妙な訛りで話す少女だった。歳は十ほどだろうか。
彼女は扉を少しだけ開き、片目だけが見える状態でこちらをじっと見つめていた。
「やあ、ここはフェノムの屋敷で会っているのかな?」
「そうなのダナ」
「俺はギデオンという。フェノムに面会を頼みたい。ソディンの紹介があってきたんだ」
「ソディンなんてやつは知らないのダナ」
そのとき、扉の奥からバタバタと誰かがやってくる音が聞こえた。
「ちょっと、おばあちゃん! 勝手に出ちゃダメじゃないですか! お客さんですか?」
「変なやつなのダナ。気持ち悪い魂をしているのダナ」
「――代わってください、もう!」
扉が大きく開かれ、今度は端正な顔立ちの少年が現れる。
先ほどの少女は、その少年の身体を盾にするようにして、ギデオンの方にじっと視線を送り続けていた。
「も、申し訳ございません! この人はちょっと礼儀知らずなところがあって……」
そう言うと、少年は顔を蒼白にして何度も頭を下げる。
「いや、構わない。君はここの小間使いか?」
「は、はい……」
「フェノムに用があってきた。これを渡してくれれば彼にも話は通じると思う」
言いながら、ギデオンはソディンから預かった指輪を取り出した。
すると少年はハッと息を呑み、ギデオンの顔をまじまじと見つめた。
「ソディンは無事だ。彼は尊敬すべき巨人だよ」
「……あなたは?」
「ギデオンという」
「ギデオン? では、リルパと結婚したという……?」
どうやら、もうゴブリンたちの噂はここまで広まってしまっているらしい。いちいち否定して回るのが面倒臭くなっていたギデオンは、「そうだ」と短く返した。
「……お待ちください。我が主に話してきます」
少年は焦燥した顔で屋敷の奥に引っ込もうとして――そこにまだ先ほどの少女がいることに気づくと、彼女の腕をむんずと掴んで一緒に連れて行ってしまった。
その場に一人残されたギデオンは、何となくぼんやりといまの少年少女のことを考えていた。
彼らは、顔立ちが良く似ていた。双子か何かだろうか?
それにしては、少年は少女を「おばあちゃん」などと呼んでいたが。
(俺もこのままだと、オラシルに「おじいちゃん」などと呼ばれる日がくるかもしれないな)
呪いに犯された双子の妹と、いまこうしている間にも時間が離れる一方のギデオンは、不意にそんなことを思って苦笑した。
しばらくそこで待っていると、ドアがまたガチャリと開いた。
屋敷の中から現れたのは、一目には歴戦の英雄とはわからないほど若い男。
しかし目の前の男の纏う雰囲気を見て、ギデオンはすぐにこの彼がそうだと確信した。
「やあ、ギデオン。まさか君が訪ねてくるとは思わなかったな」
「あんたがフェノムだな?」
「そうだよ。初めまして、とは言わないけどね」
「……ああ、囚人会議で会ったかな。だが、あのときは周りが新しい顔ばかりで、俺の方はあんたに意識を向ける余裕がなかった」
「入ってくれ。中で話そう」
その男――フェノムはニコリと笑って、先ほどギデオンが小間使いの少年に預けた指輪を掲げて見せた。
玄関を過ぎると、絨毯張りの廊下が続いていた。その側面にいくつも扉がある。
いくつかの扉を過ぎてから、ギデオンは前を歩く男の背中に向かって言葉を投げかけた。
「ドグマのことを、あんたはどう思ってる?」
「どう、とは?」
「俺はここ最近、ペッカトリア経済の異変を色々と探っていた。ドグマが言ってたろ? 物価が上がってるって」
「言っていたね」
「あんたの仕業だった」
ギデオンが言っても、フェノムに特段変わった様子は見られない。
「貨幣に使われるミスリルが、並みの耐用年数を越えても黒化しなくなってる。ペッカトリアに混乱を招いて、あの巨人に打撃を与えたかったのか?」
「貨幣経済の混乱は、結果的に起こってしまっただけのことだよ。ぼくがやりたかったのは、ミスリルの改良さ。それにしても、よくこの短い間にそこまで調べたね」
「ゴブリンたちが協力的だった」
「ゴブリンか」
ちらりと振り返ったフェノムの顔には、やはり笑みが張り付いている。
「なるほど、君は彼らを小鬼と呼ばないと」
「おかしいか?」
「いや」
フェノムは短く返し、廊下の奥にある扉を開いた。
そこには小さな円卓があり、五つほど椅子が置かれていた。ギデオンに手近な椅子を勧めてから、フェノムもその一つに腰をかける。
「……さて、それでは君の最初の問いに答えようか。ドグマに対する感情を言わせてもらえば……好ましく思っていないというのが、正直なところだね」
「あいつに代わって、あんたがここの王になる。そういう考えか?」
「僕自身は、そこまで王という身分に興味がないんだ。それに、世論は君を王にふさわしいと思っているようだけど?」
からかうようなフェノムの言葉を聞き、ギデオンは顔をしかめた。
「誤魔化さないでくれ。俺はあんたと腹を割って話しにきたつもりだ」
「そうかい?」
「俺はソディンの精神を尊敬している。あいつはいいやつだ……そのソディンが、あんたを崇拝しているようだった」
すると、フェノムはソディンの指輪をちらりと一瞥した。
「……彼がこの指輪を君に?」
「そうだ。いまあいつはゴブリンたちに代わって、ドグマからの罰を一身に引き受けている。本当は一緒に来るつもりだったんだが、自分は牢屋から出られないと言ってな」
「ソディンが君に、ぼくのことを話したんだね。君は彼の信頼を勝ち得たわけか」
「多分あいつは、俺もあんたと似たような思想で動いてると思ったんだろう」
「似たような思想?」
「要するに、俺もドグマが嫌いだ」
ギデオンが肩をすくめて言うと、フェノムは薄く笑った。
「その点で、ぼくたちは一致しているかもしれないね。でも。多分向いている方向はまったく違うと思うよ」
「どういうことだ?」
「君を突き動かしているのは、正義感だ。傲慢な巨人に虐げられているゴブリンたちを見て哀れに思い、彼らを専制的な支配から解放してやりたい、と。……違うかい?」
「あんたは違うのか?」
「悪いけど、違う」
そう言って、フェノムは立ち上がる。
彼は窓辺にまで歩き、そこから光の溢れる世界を眺めた。
「……君はいま、ぼくと腹を割って話したいと言ったね?」
「ああ」
「なるほど、やはり噂に聞くとおり、君は曲がったことが嫌いな人間のようだ。あの忌み子がそういう人を選んだというのは随分と皮肉な気がするけど……」
言いながら振り返ったフェノムは、どこか寂しそうな顔をしていた。
「いいよ、君には話そう。ぼくは、極めて利己的な人間なんだよ。結果的に、君と同じような正義感を持った人間であるかのように見えてしまっているというだけで、本質はまったく違うところにある。ぼくは、ただ自分の望みを叶えたいだけなんだ」
「……望みだと?」
「ぼくはこの世界に来て、一人の女性を愛してしまったんだよ。その人を救うために、ずっと戦い続けている。ぼくがやってきたことは、全てそのためにあった」
そして、フェノムは言葉を続けた。
「――ぼくは、フルールを救いたい。この世界から。そして、あの忌まわしい神の子から」




