カルボファントの象牙
部屋に入ってからギデオンがまず目についたのは、特大のベッドに寝転がる巨大な人間だった。
身長は、おそらく三メートル以上はあるだろう。巨人種特有の発達したたくましい上半身と、それに比べてあまりにも小さい下半身が特徴的だった。
部屋の中にいる巨人は、その一人だけではない。
これまた特大サイズの椅子に腰かけ、じっとこちらを見ている巨人が一人。
部屋の壁にもたれかかり、片手に無骨な棍棒を持っている巨人がもう一人。
一番貫録のあるのはベッドに寝転がっている巨人で、顔中に毛を生やした彼の粗野な容貌は、確かに王よりは『ボス』と呼ばれるのにふさわしいように感じられた。
「――あんたがドグマか?」
「そうだ。よく来たな、ギデオン」
ベッドの巨人は、鬚をもごもごと動かして答えた。口が見えないので表情がわかりづらいものの、目が笑っている。
「何だかひでえ目に遭ったみたいだな。心配してたんだぜ」
「よく言う。ラーゾンは、あんたの指示で俺たちを殺しに来たってしゃべったぞ」
ギデオンがカマをかけると、ドグマは豪快に笑い出した。
「ハッハッハ! みんなが俺の名前を使いやがる! それが免罪符になると思ってやがるんだ! 『これはドグマの命令だ』……そう言えば許されるってな。なぜかわかるか?」
「いや」
「俺がここの王だからだ」
そう言ってドグマはベッドの上で上体を起こすと、大きく手を広げてみせた。
「俺は常に正しい! だから、みんな俺を利用する。だがもっと正確に言うと、俺の言葉こそが常に正しいんだ。わかるか?」
「ラーゾンの言っていたことはデタラメだと?」
「そうだ。他ならぬ俺がそう言ってんだからな」
こいつはとんだ独裁者だ。
ドグマはここで、黒を平気で白に変えられる。そういう権力を持っている。
あの襲撃に関して真偽のほどはわからなかったが、こういうやつならきっと、ちょっとした気まぐれで殺しを部下に命令しても不思議ではない。命令する理由が、「命令したいから」なんてくだらないものであった可能性さえある。
ギデオンは、半ば呆れながら目の前の巨人を見つめた。
「まあ、別にそれはいいさ。俺はこうして生きてる」
「大した力を使うそうじゃねえか、え? 植物だったか?」
「なよなよした力だ。女みたい」
そのとき部屋の隅から、棍棒を持つ別の巨人が見下すような声を上げた。どこか調子の外れた、甲高い声だった。
「あの図体ばかりデカい馬鹿はなんだ? お前の家畜か?」
「――てめえ!」
「やめろ、ヴァロ! ……すまねえな、こいつは俺の息子だ。力が有り余ってて、すぐに暴れたがる困ったやつなんだよ。いま十歳になるが、二歳のとき母親を殺した。俺のお気に入りの囲いだったんだが」
ドグマは鬚を揺らして笑った。
「十歳? いま一番しつけが大事な時期じゃないか。あんたができないってんなら、俺が代わりにしつけてやってもいいが」
「そうかい? おいヴァロ、よかったな! こっちの兄さんが遊んでくれるってよ!」
その言葉を聞き、幼い巨人がのっそりとギデオンの方へと近づいてくる。よく見ると、確かに彼の赤々とした頬は、健康的な子どものそれだ。
「チビが! てめえなんか一発でペチャンコだぞ!」
「語彙は足らんが、自信があるのはいいことだ。俺はお前くらいのとき、すでに劣等感の塊だった」
「……れっとうかん?」
「いまからお前が俺に抱くようになる感情だ」
ヴァロは唸りとともに棍棒を振り上げ、思い切りギデオンに叩きつけた。
ギデオンはその一撃を肩で受け止めた。耳元で金属的な衝撃音が響き渡る。
間を置かず棍棒に手を回すと、ぽかんと呆気に取られた様子の若い巨人からそれをひったくるようにして奪い取り、返しの動作で思い切り頭を殴りつけた。
ヴァロはよろよろと後ずさり、目を回して後ろに倒れ込む。ズンと大きな音が響き渡ったあと、部屋にはしばらく沈黙があった。
「……なるほど。確かに只者じゃねえらしい」
「説明が必要か?」
「……え?」
「明らかに説明が必要だろう、いまのは」
ギデオンは棍棒を床に投げ捨ててから、両手を広げ、部屋をゆっくりと歩きだした。
「……いまのはアダメフィストという世界一硬い木を使った身体硬化だ。その木は通常の金属で出来た斧では切り倒せないことから、昔から『斧泣かせ』という異名で木こりたちから恐れられた。これ以外にもアダメフィストには様々な逸話があって、最古のものになると神話上にも登場することが、その筋の学者によって確認されている」
「……そ、そうか」
「それによると、とある邪神に献上する神殿を作るため、ゴルゴンが睨みつけて石化させた木が使われたという話だ。その木こそ、アダメフィストというわけだな。これは実際に――」
「もういい、もういい!」
怒鳴ってギデオンの演説を遮ってから、ドグマは気まずそうな様子で、コホンと一つ咳払いした。
「……タマの太え野郎だ。気に入ったぜ」
「俺たちを殺そうとしたことを後悔しただろ?」
「だから俺の命令じゃねえって言ってるだろうが。……なあ、お前ももっと利口になれ。せっかくそれだけの力があるんだ。ここでなら、望むものは何でも手に入る」
その言葉を聞いて、ギデオンは途端に色めきだった。
(望むものが何でも! まさかこんなに早く機会が訪れるとは!)
「……へえ、何でも、ね。なるほど、欲しいものが何でも……」
「そうさ。わかってるぜ。お前は国が憎かったんだろ、ギデオン?」
「――はあ?」
「罪状を読んだぜ。国家転覆をはかったってな。俺だって気持ちはわかる。上にいてふんぞり返ったやつらが羨ましくて仕方がなかった。でもここでなら、貴族の暮らしができるぜ。小鬼や奴隷をこき使って、やりたいようにできる生活だ。最高だろ?」
ちょっと待て。何だか話がずれてきている。
「ここで守るべき法律はたった一つだ。『ボスである俺に逆らうな』。それ以外は、何をしたってかまわねえ。最初からこんな待遇がもらえるなんて、お前はラッキーなやつだ!」
「そうか? じゃあ、さっそく欲しいものがあるんだが。用意してくれよ、ボス」
ギデオンが逸れた話を戻すためにそう言うと、ドグマはまた豪快な笑い声を発する。
「そうそう! そうやって自分の欲望に忠実に生きてりゃあいい! で、何が欲しいんだ?」
「カルボファントの象牙というやつだ。この監獄の中にしかないと聞いたが」
刹那、空気がピシリと凍りつく。部屋にもう一人いた巨人が、椅子からずり落ちて尻もちをついた。ズシンと大きな音がなり、地面がぐらりと揺れたように感じた。
「何か問題でもあるのか? 俺はそいつを、あらゆる呪いを払いのけるアイテムだと聞いた。なんなら、カルボファントっていう魔物が生息する場所を教えてくれるだけでいい。俺が直接採りに行く」
しかしすでに寛大さを押し売りするかのようなドグマの態度はなりを潜め、彼はギデオンを探るような目でねめつけていた。
「……悪いが、ギデオン。そのアイテムだけは駄目だ。カルボファントの生息場所も教えられねえ」
「なぜだ?」
「あれは全部俺のものだからだ。言ったよな? 俺にだけは逆らうなってよ。カルボファントの象牙だけは、絶対に――誰にも――渡さねえ……」
ドグマは念を押すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「どこにあるのかも教えてくれないのか?」
「どこ? どこだと? それくらいなら教えてやってもいいが、お前らには絶対に手が出せない場所だ」
ドグマは目だけでニヤリと笑うと、自分の野太い右腕を何もない横の空間に伸ばした。
すると驚いたことに、突然、彼の腕がひじの先から消え去ったではないか!
「びっくりしただろ? 俺は自分だけの亜空間を持ってる。俺の魔法が、こういう力だ。存在しえぬ宝箱! 昔から俺は最高の運び屋にして、最高の宝物番だったのさ!」
「その中に、カルボファントの象牙があるってことか?」
「そういうことだ」
「よこせ」
言うが早いか、ギデオンはドグマに掴みかかった。
「俺に何かあれば、この魔法は消えてなくなるぞ! 中の象牙ごとだ!」
するとそのとき、先ほど尻もちをついた巨人が猛然と飛び掛かってきて、虚を突かれたギデオンは彼の突進をもろに受けることになった。
突進は壁に到達するまで止まらず、部屋の壁と巨人の体躯との板挟みになったギデオンは、思わず苦悶の声を上げた。
「……お前もあいつの子どもか? 随分と親孝行なやつだ……」
「や、やめてくれ。象牙がなくなったらペッカトリアは終わりなんだ……」
「……何?」
「お、親父を殺そうとすれば、何があってもお前を殺す……! 俺だけじゃねえ、みんながお前を殺す……! 後生だよ、象牙だけは勘弁してくれ……」
ほとんど脅しになっていない脅しを口にしながら、巨人は震えていた。
「……頼むよ。あれは全部、神の子への捧げものなんだ……」
次回、物語のキーとなるキャラクターが初登場します。




