ギデオンの迷い
おぼろげながら、リルパの攻略法が見えてきた気がする。
まだまだ、まともに戦える方法を確立するところまではいかないが、それでも何のとっかかりもない状態で、震えるしかなかったときに比べれば、大変な進歩だ。
そのときギデオンは、あのノズフェッカの夜、リルパを排除する絶好の機会を見送ったことを思い出し、形容できない感情になった。
『意膜』によって弾き返されるかどうかに関係なく、彼女への攻撃を止めたこと、むしろ彼女を介抱する方向に舵を切ったことに、強い苛立ちがあった。
しかし、いま改めてリルパを攻略するきっかけを得て心に沸く感情は、戸惑い以外の何物でもない……。
(俺は何を考えている……? なぜ、リルパを打ち倒すことに抵抗がある……?)
いや、その自問は偽善だ。
答えは分かっている……。
リルパが無垢だからだ。
彼女自身には、何の罪もないからだ。
妹を助けたいという自分の都合のため、ギデオンは罪なきリルパの排除を目指そうとしている。
(これは正しいのか……? 俺が先生に教えてもらった正義に、則しているのか……?)
何を犠牲にしてでもオラシルを救うと誓った。
だが、そのために罪なきものまで傷つけていいのだろうか。
ギデオンは強烈に師と話したくなった。
明日がこの監獄に入って、七日目。
つまり師が面会に来てくれる日だということが、自分の中にある甘えを刺激したのかもしれない。行動の指針となるべき人の考えを聞き、この心の葛藤を晴らしたい……。
「ギデオンさん?」
ヤヌシスの声が、ギデオンの意識を現実へと引き戻した。
「……何だ?」
「先ほどから、外が随分と騒がしいようデス」
ヤヌシスは一室に入ると、窓のカーテンを引いて外を見た。
そして、ハッと息を呑む。
「……これは何事デス?」
「ゴブリンたちか?」
「え、ええ。大量の小鬼が、屋敷を取り囲んでいます」
ギデオンはヤヌシスの言葉に引き寄せられるようにして窓に近づき、ギデオンは外に目をやった。
二階から見下ろす光景は、圧巻を通り越して壮絶――。
大量のゴブリンの群衆が屋敷の塀の周りに、押し寄せている。
「まさか、小鬼たちが蜂起したのデスか? あの従順で下等な生き物が……」
「ゴブリンは下等ではない」
ギデオンは短く言ってから、横のヤヌシスを睨みつけた。
「……あと、彼らは蜂起したわけでもない。実を言うと、これは俺のせいだ」
「ギデオンさんのせい? どういうことデス?」
「彼らの中には、大きな誤解があるようだ。あらぬ風評を信じてしまった結果、俺を何か価値ある存在だと思い込んでしまっている」
「では、これはギデオンさんのおっかけということデスか?」
ヤヌシスは呆気に取られつつも、どこか訳知り顔だった。
「小鬼は妙な物事に熱中することがありますからね。トバルのガーゴイルとか、何がいいのかわからないものに夢中になったり……」
「ヤヌシス、ちょっと行って彼らに注意してきてくれないか。まず、俺はここにいないこと。そして、早く自分たちの本来やるべき業務に戻ること」
「はあ、それは構いませんが」
ヤヌシスが出て行ったあと、ギデオンは落ち着かない気持ちで部屋をうろうろと歩き回っていた。
このままでは、このあと行く予定になっているドグマの宮殿に向かうことができない。あそこで待っているソディンに、何か伝言をしておいた方がいいかもしれない。
あるいは、これから街を歩く際は、自分がギデオンという人間であることを、まるっきり隠してしまうか。
フードを被って足輪でもつければ、誰もそれが一級身分の囚人だとは思わないだろう。
とにかく、やるべきことがある間は、自由に動けないことほど厄介なものはない。
(……そう言う意味じゃ、メニオールは便利だな。いくらでも姿を変えられるんだから)
ギデオンがそんなことを考えていたとき、眼下の庭にヤヌシスが現れた。
彼女は門の鉄格子越しに、身振りを駆使してゴブリンたちへと何かを伝えている。
しかし次第にイライラとしてきたのか、子どものように地団太を踏んで、身体全体を使って怒りを露わにした。
(あいつは妙に子どもっぽいところがある。まあ、だからこそ周りに子どもを置いて安心しているんだろうが)
大人になり切れていない女――ギデオンは、ヤヌシスのことをそう評価していた。
異常者の一言で片づけてしまえばそれまでだが、多少なりとも気になることはある。
きっかけは、先ほど土人形が放った言葉。
二つの魂を持っているというのはどういうことだろうか?
ヤヌシス自身はそれを否定していたが……。
ギデオンはそっと部屋を抜け出し、先ほどまでいたヤヌシスの自室へと向かった。
部屋に入ると、あの甘い百日草の匂いが鼻を突く。
改めて辺りを見回してみると、やはりどこか少女趣味な部屋だった。寝具はピンク色で、いくつもぬいぐるみが置いてある。
とはいえ、そんなことはどうでもいい。
机に近づき、引き出しの中を無遠慮に漁っていると、大量の手紙の束が出てきて、ギデオンはおやっと思った。
差し出し人が判事の何某と書かれた手紙の一つを開封し、目を通してみる。
そこには、手紙にしては短く、こう書かれていた。
『あなたが大変な後悔をし、罪を悔いる気持ちは深く理解できます。しかし、何度もお伝えしているように、押収品を監獄内に持ち込むことは許されません』
また別の判事からの手紙には、こうだ。
『あなたは金銭であらゆる物事をどうにかできるという価値観をお持ちのようですが、この世には金銭以上に大事なものがある、という考えを持つ人間がいるのです。私は立身のために不正に加担する行為を何よりも嫌います』
他にもいくつか目を通して見たが、内容はほとんど同じだった。
ヤヌシスはフォレースの判事に何かを要求し、それを断られている?
どうやら、収監の際に接収された物品を返してほしいという訴えのようだが……。
「何をしているのデス……?」
そのとき背後からヤヌシスの冷たい声が聞こえ、ギデオンはドキリとして振り返った。
「ああ、えっと……これは……」
「女性の秘密を詮索デスか? ギデオンさん、ワタシがあなたよりも非力なことを理由に好き放題するのでは、あなたが嫌いだというボスと同じデスよ」
「助けになってやれるかと思って。お前には、何か悩み事があるようだったから」
「開き直りは見苦しいデスね」
ヤヌシスは怒りか羞恥のせいかはわからないが、顔を真っ赤にしていた。
「……あなたがやっているのは、いらぬお節介というものデスよ」
そう言うと、ヤヌシスはツカツカと歩み寄り、ギデオンが手に持ったままだった手紙をひったくった。
「取り戻したいものがあるのか? 俺には、外の世界に大きな伝手がある。明日そのお方にお会いするから、必要なら口添えしてみるが」
すると、ヤヌシスがさっと顔色を変えた。しかし……。
「……デスから、お節介はやめてください」
「そうか? まあ、また考え直して、必要だと思ったら言ってくれ」
ヤヌシスはそれから何も言わずに、力なく首を振った。




