仮面の男
舗装された石造りの道を道なりに進むと、森が途切れ、代わりに石作りの壁が現れた。
壁には半円形の巨大な門がしつらえられていて、丸太を格子状にして作った扉がはめ込まれている。
ここが囚人の街、ペッカトリアの入り口のようだった。
ギデオンは都市壁を見上げてその高さに驚嘆すると、首を左右に動かしてこの壁がどこまで続いているか確認しようと思った。
しかし壁は果てしなく続き、はるか先で森の緑と混じっている。
この壁でぐるりと居住区を囲っているとするなら、どうやらペッカトリアは想像していたよりも遥かに大きな町ということになる。下手をすると、フォレースの首都と同等か、それ以上の巨大都市だ。
「……驚いたな、小鬼というやつらはよほど働き者のようだぞ」
「他にすることがねえんじゃねえか?」
軽口を叩くハウルに、ギデオンは釘を刺した。
「ここはもともと小鬼たちの世界だ。本来なら俺たちの方が異物なんだぞ。敬えとは言わないが、見下すべきじゃない」
「……別に見下してるわけじゃねえよ」
「五十年以上前に書かれた『迷宮探索記』には、農村で牧歌的な暮らしをする小鬼たちの姿が描かれている。それがいまや高度な経済を発達させてるわけだからな。人間よりも、種としてよほど優秀なのかもしれない」
言いながらギデオンが門に近づいたとき、丸太の隙間からこちらを確認した門番と思しき男が、声をかけてきた。
「お前らが今週の新入りだな」
「そうだ」
「使いはどうした? いつもは、誰かが迎えに行く手はずになっているはずだが」
「道中で少しトラブルがあった」
何か言いたそうな顔のハウルを目で制し、ギデオンはそう返した。あの襲撃がボスであるドグマの差し金だったとしても、末端は何も知らないという可能性もある。
「五人負傷者がいる。魔物に襲われたんだ。いまは向こうに寝かせてあるが」
「そうか、災難だったな」
そのときギデオンは、男がミレニアをじっと見つめているのに気づいて苦笑した。
格子に近づき、ひそひそと話しかける。
「……いい女だろ」
「ああ。とびきりの上玉だ」
「性病持ちだ。長生きしたけりゃ、抱こうなんて思わない方がいい」
「……マジか」
落胆したようにそう言ってから、門番はギデオンを見てニヤリと笑った。
「……てめえ、落ち着いてるな。ここは地獄の入り口だってのによ」
「地獄の入り口? ピアーズ門がそうだと思っていたが」
「いや、ここがそうさ」
門番は指をちょんちょんと動かし、下を見るように合図した。それに従って視線を落とすと、彼の両足に金属製の輪が嵌められていることに気づいた。長い鎖が二つの輪を繋いでいる。
「ここでは、囚人はみんな奴隷身分から始まる。能力を示した奴だけが、ボスの許可を得ていい暮らしができるのさ」
「ひどい世界だ」
「這い上がれるチャンスがあるだけマシさ。ここに奴隷として売られてくるやつらには一切の希望はねえ。奴隷身分の囚人と純粋な奴隷じゃ、発言権だって段違いだ」
「純粋な奴隷? そんなやつらがいるのか?」
「そうさ。ここには四種類の人間が住んでる。囚人と、小鬼と、囚人奴隷と、奴隷だ。俺もじきに一級身分の囚人になれる。そういう手はずだ。お前もがんばれよ、兄弟」
浮ついた様子でそう言いながら、その囚人奴隷は後ろに下がり、開門するための綱を力強く引いた。
(奴隷? ということは、この世界に入るのには別に罪を犯す必要はなかったのか。奴隷になってここに売り飛ばされていればよかったな)
奴隷がどこに売りに出されるかは、本来奴隷自身で選べないだろうが、やり方は色々あったはずだ。たとえば奴隷商を脅すとか。
そこまで考えて、そんなことをすれば結局、脅迫罪か財産権の侵害で訴えられていたかもしれないと気づいて苦笑する。物事はやはり上手くいかない。
道を戻り、負傷した囚人たちを担ぎ上げると、ギデオンたちはペッカトリアの門をくぐった。
石畳が敷かれた整然とした街に、小さな人型の生物が歩き回っている。
彼らは額に小さな角を生やしていて、筋張った身体は緑色をしていた。
その身体には、刺青なのかボディペイントなのか判断のつかない赤い模様が描かれている。人間と比べて目が大きく、そこに収まる瞳がぎょろぎょろと動いていた――こいつらが小鬼か。
小鬼たちの中には、開かれた門から現れた新入りにふいと視線を移すものもいたが、さほど珍しい物でもないらしく、すぐに興味を失った顔で自分たちの仕事に戻る。
「門の近くには商館が多い。商会は大体、囚人の誰かが仕切ってる。実際に働いてるのは小鬼たちだがな。特にこの門付近には俺たちの故郷との交易をするやつらが多く集まってる」
「へえ。ってことは、門はここだけじゃないのか?」
「当然さ。ここはこの世界の中心地だぜ。『全ての道は、ペッカトリアに続く』って言われてるくらいだ。利便のために、門は都市壁に全部で十二個備えつけられてる」
そのとき、ギデオンは強烈な視線を感じた。それは殺気と言ってもよかったかもしれない。
とにかく、向けられた者の背筋を凍らせるような、強烈な気配――。
肌が泡立ち、心臓が早鐘を打ち始める。
気配を感じた方向に目をやると、三階建ての大きな石造りの建物の一階にある窓越しに、仮面をつけた男がこちらの方をじっと見つめているのがわかった。
ギデオンは瞬時に、その男がただならぬ力の持ち主であることを悟った。そして次の瞬間には、平和な生活の中で忘れかけていた高揚感、恐怖感を思い出した。
(あいつは何者だ……? まさか、あいつがメニオールの言っていた神の子か……? ドグマなどとは違う、この世界の本当の支配者……)
ギデオンは門番の肩に腕を回して、さりげなく建物の方が見えるように誘導した。
「……なあ、門番さん。あそこの仮面のやついるだろ。なんで俺たちを見てる? あんたの知り合いか?」
「仮面のやつ? ああ、あいつか? ……いや、知らねえな。商館にいるってことは、ノスタルジアの商人かもしれねえが」
「リルパとかいうやつじゃないのか?」
その言葉を聞いた途端、門番の顔がひきつった。彼は焦った様子で辺りを見回してから、声をひそめてギデオンに食って掛かった。
「めったなことを言うんじゃねえ……! どこで知ったか知らねえが、軽々しくその方の名前を口にするな……!」
彼はまだ驚きが冷めやらぬと言った様子で身じろぎし、肩からギデオンの腕を振り払った。それから急によそよそしくなって、道の端に止まっている竜車の一団を指差す。
「……新入りはあれに乗って、まずボスのところに行く決まりだ。とっとと失せろ!」
「驚かせて悪かった。その名前を言うことが、そんなに悪い行為だと思わなかったんだよ。あんたの昇進を心から祈ってる」
鎖を引きずりながら、門の近くに戻っていく囚人奴隷の後姿を見送ってから、ギデオンはまた石造りの商館の方に目をやった。
しかしそこにはすでに、あの仮面の男はいなかった。
ゴブリン登場。ゴブリン大好き。




