激突
「――待って! 待ってください、ストレアル!」
自分の手を引いて歩く騎士に、ミレニアは強く訴えかけた。
振り向いたストレアルの顔には、無邪気とさえ感じるほど朗らかな笑顔が浮かんでいる。
「どうしました、ミトラルダ殿下?」
「あ、あなたは本当にストレアルですか……?」
無礼と思いながらも、おずおずとそう訊ねる。自分の知っているストレアルと目の前の騎士は、あまりにも違い過ぎた。彼はもっと荒々しく……言い方を選ばなければ、粗野だった。
「そうですよ。なぜ?」
「前のあなたはもっと……腕白と言いますか。こんなに礼儀正しくありませんでした……」
「首都で生活するうち、作法や言葉遣いは散々教育を受けました。そのときになって、自分がどれだけ殿下に失礼な態度を取っていたかを知り、恥で二度とご尊顔を拝めないとさえ思うようになりましたが」
ストレアルは、肩をすくめてそう言った。
「ああ、今回のことが、私の恥ずべき過去の負債を返済できる一件になればいいのですが。殿下をこの監獄へと送るという卑劣な陰謀を聞き、いてもたってもいられずにはせ参じた次第でございます」
「私をここに送るよう命じたのは、叔父さま……アソーラム公だと聞きました」
「まさか! 国のことを常に思うあの方が、なぜ大事な姫君をこんな目に遭わせるというのです? あなたを狙ったのはもっと下賤な売国奴どもですよ。といっても、殿下がもうそんなことのことを心配する必要はありません。これからは、私が守って差し上げますからね」
ストレアルはミレニアの手をぐいと引っ張り、また歩き出した。
「……ようやく昔の約束が果たせるというものです。あなたの元を離れる際、私は殿下の騎士になると言ったのを覚えていらっしゃいますか?」
「……はい」
「本当ならば、もっと早くに駆けつけたかったのです。私がずっと傍に控えてさえいれば、殿下にこんな汚らわしい空気を吸わせるようなこともありませんでした。ここはまるで糞溜めです。殿下も、そう思うでしょう?」
そんな口汚い言葉に、ミレニアは意表を突かれた。ちらりと見えたストレアルの顔には、今度、ニヤリといたずらっぽい笑顔が張り付いている。
「……ストレアル、以前のように接してくれませんか? なんだか、別の人に手を引かれているみたいで、落ち着きません」
「お前がそうしろと言うなら、そうするよ」
その言葉とともに、ストレアルがミレニアの手を握る力を強くした。
強引で粗野な態度。
まるで、屋敷から密かにミレニアを連れて抜け出すときに、あの騎士見習いの少年がやっていたような……。
不思議と、それでようやく、ミレニアは昔なじみに手を引かれているという実感を得ることができた。同時に、胸の奥からどっと安堵の感情が溢れるのを感じる。
「ああ、ストレアル……本当にあなたが……」
「遅くなって悪かったな、ミトラルダ。あとのことは全部俺に任せておけ。全部、手配を済ましている」
「手配?」
「この糞溜めを抜け出す手配さ。ピアーズ門の向こうに人を待たせているから、俺の合図ですぐに扉は開く」
それを聞いてミレニアは、わけがわからずにこの世界にやってきた日のことを思い出した。あれからまだ一週間も経っていないと思うと、眩暈がするようだ。
本当に色々なことがあった。
ギデオンとハウルに助けられ、その後はメニオールとゴスペルに匿われ……。
そして、このままこの世界を出ていくわけにはいかないと思った。
「……ストレアル。少し時間をもらえませんか?」
「なぜ?」
「お礼を言わなければいけない人たちがいます。先ほどあなたが対峙していたゴスペルさまもそうですが、この過酷な環境で私の生命を守ってくれていた方々がいるのです」
「そいつらは、お前を利用しようとしていたんだ。お前を元の世界にみすみす帰すような真似はしないだろう。厄介な力を持つ者も多い。俺がさっきのゴスペルとかいうやつと戦っている様子をどれくらい見ていた?」
「見てはいません……ですが、恐ろしいほどの音は聞こえていました。それで、何か悪いことが起きていると察したんです……」
「どこかに隠れていたんだな? あのゴスペルの指示か?」
ミレニアはコクリと頷いた。
「ええ、地下に……ですが、いてもたってもいられなくなりました」
「お前が出てきたおかげで、ゴスペルのやつは命拾いしたってわけだ。だが、あいつにはその辺の弱小国程度なら、滅ぼせてしまうくらいの力がある。そういう意味でも、俺がここに来てよかった」
そう言うストレアルは言葉こそ自信にあふれていたが、どこか浮かない顔をしていた。
「……問題は、あのゴスペルよりも厄介なやつがいるってことだ。どうやら、力でどうにかできる相手じゃないらしい。俺もこれまで、何度か出し抜かれている」
ミレニアはハッと息を呑んだ。
「ミトラルダ、お前はそいつを知っているか? お前がいま言った連中の中に、そいつがいるかもしれない。メニオールという女らしいが」
「ストレアル……あなた、彼女のことを……?」
「ああ、ちょっとした伝手があって聞いた。その様子じゃ、知っているようだな」
ストレアルに言われ、ミレニアは自分が失敗を犯してしまったのではないかと思った。
「か、彼女はあなたと対立するような方ではありません……私がこの世界でとてもお世話になった方ですから……」
「別にこっちから仕掛けて殺すような真似はしない。言っただろ? 俺たちはもうこの世界からおさらばする。だが礼を言いたいとか、そういうのは諦めろ。俺とは立場が違う。会えば、きっと争うはめになるだろう」
そのとき、二人はペッカトリアの都市壁に辿り着いた。そこには、ミレニアが初めてこの街にやってきたときにくぐった門がある。
ストレアルが門番に何か書面を見せ、そこを開門するように要求した。
重々しい音とともに門が開き、二人はペッカトリアの外へと歩を進めた。
目の前には、数日前にも見た森が広がっている。
「そ、そう言えば、ストレアル……ここからピアーズ門に行くまでに、植物の怪物がいたはずですが……」
ミレニアが思い出したのは、ラーゾンのことだった。ギデオンの話では、植物の魔物と混ざったあの怪物はすぐに餓死するという話だったが、それほど時間が経っているわけでもないし、まだ生きて暴れている可能性もある。
しかし、ストレアルは飄々としていた。
「怪物? 昨日俺が来るときには何も出やしなかったがな。まあ、安心しろ。そんな怪物がいたところで、俺の敵ではない」
そのときだった。
「――たいした自信じゃねえか。三流騎士のくせしてよ」
頭上から声が響き、ミレニアはハッと息を呑んだ。
咄嗟に上を見上げると、都市壁の上に、顔に大きな傷がある男が立っていた。
彼――いや、彼女はトンと軽く足場を蹴り、宙をくるくると回転して地面に着地する。
「駄目じゃねえか、リーシア……オレの留守中にいったい、どこに行くって言うんだ?」
立ち上がって振り向いたメニオールは、スカーの顔を大きく歪めていた。
ストレアルが、ミレニアを庇うように一歩前に踏み出す。
「……なるほど? 右足が無事なところを見る限り、どうやら偽者の方らしいな。今度はしっかりと中身を伴っているのか?」
「さっきは悪かったな。ちゃんと相手をしてやれなくてよ」
言いながら、メニオールは芝居がかった様子で拳を鳴らした。
「オレは戦うのが好きじゃねえのさ。だが、今度ばっかりは仕方ねえ……」
「……まさか、私と力比べをしたいとか言い出すわけじゃないだろうな? トカゲのしっぽ切りの真似事をして、さっき逃げ出したやつが?」
「安い挑発をするんじゃねえよ。だからてめえは三流だっていうのさ」
メニオールの言葉を聞き、ストレアル周りに漂う空気が変わった。彼の顔には、見る者を戦慄させるほどおどろおどろしい笑みが張り付いていた。
「……メニオールと言ったな? 私の顔に何度も泥を塗ったのは、貴様が初めてだ……」
「そうかい? ま、騎士サマにとっちゃ、絶好の面目躍如の機会かもな」
メニオールはまた顔を歪めてから、すっと腕を前に差し出して手招きする。
「いいぜ……やりたいなら、とっととかかってこいよ。上には上がいるってことを教えてやる」
ミレニアが制止しようとしたときだった。
ストレアルが、凄まじい勢いでメニオールに向かって突撃を仕掛けた。




