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新しい顔

 辿ってきた血が、地下水道の出入り口の一つの先に続いているのを見て、メニオールは顔をしかめた。


「あの野郎……もう街に出ていやがったか」


 言いながら、自分の上半身を覆っていた無貌種(シェイプシフター)をドロリと溶かす。

 もうスカーのマスクを被っているわけにはいかない。


 やつは囚人として、ペッカトリアに復帰したのだ。


 しかし、あの傷だ。まだ望みはある。

 もはやこの際、スカーをゴスペルに食わせることにこだわる必要はないだろう。余計な口を開く前に、処分することが最優先だ。


 メニオールは、かろうじてスカーの原型をとどめているマスクを見つめ、それに新しいかたちを与えようと力を発した。


 新しい人選はわりとすんなりと決定した。


 この街を自由に歩き回れる囚人であること。

 そして、あまり顔が知れ渡っていないこと。これは、多少の違和感なら誤魔化せるからだ。


 もちろん、本人と偶然出会ってしまう恐れもあったが、この広い街で二人がバッティングする可能性よりは、自分が先にスカーを始末できる可能性の方が高いと思った。


 出来上がったマスクを被り直すと、メニオールは口の中に流形状になった無貌種(シェイプシフター)の細胞を迎え入れた。

 これで声帯を調節し、声を変化させるのである。


「……さて、あいつ・・・はこんな声だったか」


 それから何度か実際に言葉を出して、微調整を繰り返す。

 用意が整ったと感じたメニオールは、地下から日の当たるペッカトリアの街へと足を踏み出した。


 そこからもスカーの血は続いており、しばらくはそれを追うことに集中する。

 しかし、途中でその血を拭きとっている小鬼の集団に遭遇した。


「……おい、お前たち。何をやってる?」


 メニオールが訊くと、小鬼はちらりとこちらの顔を見て、それから足元に視線を移し、すぐに満面の笑みになった。


「これはこれは、囚人さま! 初めてお目にかかりやんす! ひょっとして、最近昇格された囚人さまでございやんすか?」

「そうだ」

「おお、何という幸せ! 後学のために教えていただきたいのでございやんすが、どちらさまでございやんしょう? ギデオンさま……? あるいは、テクトルさまでございやんすか?」


 どうやら、すでに昇格した二人のことは小鬼たちに伝わっているらしい。

 新入りのギデオン。契約術師のテクトル。


「ギデオンだ」


 メニオールは短く答えてから、改めて石畳に落ちた血痕を指差した。


「オレは、お前たちが何をやっているのかと聞いているんだが」

「ああ、これはとんだご無礼を! これでございやんすね? 実は、囚人さまの高貴な血を拭きとっているところでございやんす。そのままにしておくのはあまりに恐れ多いので……」

「へえ、誰の血だ?」


 素知らぬふりをして、メニオールは訊ねた。


「スカーさまでございやんすよ。先ほどあちらの方で――」


 言いながら、その小鬼は道の先を指差す。


「――ほら、あの鍛冶屋の前でございやんす。あそこで倒れているところを発見いたしやんして。何があったのかはわかりやせんが、囚人さまの身体はこの街の宝でございやんす。手厚く保護いたしやんした」

「スカーをどこに連れて行った?」

「トバルさまのところでございやんす。スカーさまご本人が、そこに連れて行けとおっしゃられやんしたので」


 トバルのところか。

 メニオールはひとしきり考えをめぐらせると、顎をさすってニヤリと笑った。この人選は当たりだ、と。


 ギデオンが、あの囚人技師と最近懇意にしていたことを思い出したからだ。この容姿なら、いまからトバルのところに出向いても不自然はない。

 どうやら、まだ運はこちらにあるようだ。


「……よく教えてくれたな。あと最後に一つだけ。スカーはどんな状態だった?」

「これほどの血が流れる大怪我でございやんす。流石の囚人さまといえど、意識がはっきりしておられない状態でございやんした……」


 これ以上つらいことはないと言わんばかりに、悄然とした態度を取る小鬼の肩を叩き、メニオールはその場をあとにした。


 がやがやと騒がしい職人街を抜け、もう少しでトバルの工房の着くというときだった。

 脇の細道から巨大な影が飛び出してきて、メニオールはおやっと思った。


「――ああ、兄ちゃん!」


 周囲にこだまするほどの大声に、思わず身構えてしまう。

 一瞬、魔物かと思ったが、まじまじと見てみると、すぐにその正体がはっきりする。


――ドグマの息子、ヴァロだ。


「よかった! すぐ見つけられて!」


 その巨人の子どもは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「……お前か。驚かせるな」

「助けて! 誰もぼくの言うことを信じてくれないんだ! ぼくは嘘なんて言ってないのに!」

「悪いが、いまはお前を相手にしている暇は――」


 メニオールが言い終わる前に、ヴァロは道にうずくまり、わんわんと泣き出した。


「みんな殺される! きっとスカーの兄貴の怪我だってあいつがやったんだ! それで、とどめを刺そうと思って追ってきたんだ!」

「……何だと?」

「だっておかしいよ! スカーの兄貴はみんなの仲間なのに! あんな怪我をするなんて、絶対外の世界のやつらの仕業に決まってる!」


 ヴァロはメニオールの足にすがりついた。巨人の子どもは、ぶるぶると震えていた。


「あいつはきっとみんなを殺す気なんだ! ここにいるのは、みんな外の世界で悪いことをした人たちだから! パパも殺される! きっとぼくも……」

「落ち着け、ヴァロ」

「兄ちゃん、助けてよお! 兄ちゃんは、ぼくを守ってくれるって言ったよね!」

「落ち着けと言ってるだろうが!」


 ピシャリとどやしつけると、ヴァロが目を丸くする。依然として、その目からは涙がポロポロと零れ落ちていたが……。


「……どういうことだ? スカーがどうとか……わかるように説明しろ」


 ギデオンの声であやしつけるように言うと、生意気この上ないはずのヴァロは、素直に事情を説明した。


 先ほど、トバルの工房に大怪我をしたスカーが運び込まれたこと。

 それからすぐ後に、フェノムと一人の男が来たこと。

 ヴァロはその男の目を見て、すぐにそれが自分の腕を切り落とした『仮面の男』だと悟ったこと……。


「フェノムは信じてくれなかったけど、あの男は絶対あいつだよ。仮面で顔を隠せても、目だけは隠せないから……」

「ほう、目を見ただけでそこまでわかるもんかねえ?」


 皮肉を込めて、メニオールはそう言った。無貌種(シェイプシフター)のマスクでも、瞳だけはどうにもならない。つまり、いまメニオールはギデオンの深緑の瞳だけは真似できていない。にもかかわらず、ヴァロは目の前にいるメニオールをギデオン本人だと思い込んでいるではないか。


 とはいえ、ミレニアの暗殺依頼を出した仮面の男は、いまその仮面を脱ぎ捨て、この監獄世界に舞い戻っているという話だった。

 こいつの話にも、一考の余地はある。


 それにトラウマとして焼きついている男と、ちょっとした尊敬を勝ち取った男では、ヴァロの中での印象も大きく異なることだろう……。

 そんなことを考えていると、ヴァロがおずおずと口を開いた。


「ほ、本当だよ。兄ちゃんはぼくのこと信じてくれるよね……?」

「わかった、信じるよ」


 メニオールが言うと、ヴァロはパッと顔を輝かせた。


「ほんと!?」

「だが、どうしてフェノムがそいつと一緒にいる? 何か言っていたか?」

「フェノムは、自分のお客さんだって言ってた……。スカーの兄貴に用があるって。ひょっとしたら、フェノムも何かあいつに騙されてるのかも……」

「フェノムはまだトバルの工房にいるのか?」

「多分ね……ぼくは怖くなって飛び出してきちゃったんだけど……」


 まずいな、とメニオールは思った。

 あの男のいる場所では、そう簡単にスカーを始末することなどできないだろう。しかし、やりようはいくらでもある。


 フェノムにも弱みはある……。

 そう考えて、メニオールは腰に下げた袋を握りしめた。


 そこにはフェノムの勢力から奪い取った象牙の一つがある。

 最近、この象牙の件についてスカー(・・・)は嗅ぎ回っており、小鬼たちを通してその動きはフェノムにも伝えられている可能性があった。


 このことを利用すれば、フェノムもスカーを消すことに難色を示さないはずだ。


「……ヴァロ、安心しろ。あとはオレに任せておけ」


 メニオールはギデオンの顔で言うと、ニヤリと笑った。


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