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悪夢の男

ずっと書きたかった章『騎士動乱』開始です! この章の主役はメニオールになります。

 囚人技師トバルの工房は騒然としていた。


 右腕のリハビリのため、いまだここに寝泊まりしている巨人のヴァロは、先ほど小鬼たちに担ぎ込まれてきたスカーの様子を、じっと見つめていた。


 スカーは右足から血を流し、青ざめた表情でぶつぶつと何かをうわごとのように呟いている。

 そこには、いつものあの恐ろしい男の面影は消え去っていた。逆に言うと、彼をこんな目に遭わせたやつがペッカトリアにいるということだ。


 そのとき工房の扉が開き、病院を管轄する女囚人のシェリーが飛び込んできた。


「――おお、シェリー! よかった!」


 トバルが、険しい表情を少しだけ和らげる。


「ど、どういうこと!? スカーが大怪我したって――」


 シェリーは途中で言葉を止め、作業台の上に横たわるスカーの姿を見てハッと息を呑んだ。


「話はあとじゃ、シェリー! 見ての通り、こやつはひどい傷じゃ! 止血はしたが、すでに血が流れ過ぎとる! お前さんの『治癒面』を被せてくれ!」

「わ、わかったわ……」


 シェリーはスカーに負けず劣らず顔を蒼白にしていたが、自分のやるべきことはわきまえていたようだった。

 彼女が手を一振りすると、中空に白く光り輝く面が現れ、スカーの顔に吸い寄せられるようにして張り付く。


「よし、これで一安心というものじゃ……な、シェリー?」

「ちょ、ちょっと待ってよ! わかってると思うけど……私の『治癒面』は暗示で本人の治癒力を高めるだけだからねえ? ちゃんとした治癒魔法じゃないんだから……」

「スカーほど力のある者なら、並みの治癒魔法などよりそっちの方がよほど効果もあるわい……とはいえ、確かにこういうとき囚人に治癒術師がいないのはちと不便じゃのう……」


 悔しそうに歯ぎしりするトバルに、シェリーはすがりついた。


「も、もしスカーを助けられなかったとしても、私に責任はないわよね? 最善を尽くしているけど、こればっかりは仕方ないわ……」

「いまはそんなことを言っとる場合じゃなかろうが!」

「ちゃんと責任の所在をはっきりしておかないといけないじゃない! スカーがこんな目に遭って、ボスは怒り狂うに決まってるわ!」


 シェリーがヒステリックに叫ぶと、トバルは難儀そうに顔をしかめた。


「あんたはいいわよね、トバル! ボスのお気に入りなんだから! でも、他の囚人のことも考えてよ……ね、ねえ……スカーに何があったの?」

「……わからん。小鬼たちが見つけたときには、すでにこの状態だったらしい。ただワシのところに連れていけと言って、気を失ってしまったんじゃと」

「ああ、何てことなの……いまスカーに・・・・・・倒れられたら・・・・・・困る・・のに……」


 シェリーはおろおろしながら、工房の中を行ったり来たりした。


「まさか、あれ(・・)のことを誰かに感づかれたのかしら……? ひょっとして、すでにボスは全てを知っているんじゃ……」

「あれとは何じゃ?」

「べ、別にいいでしょ! 男と女の間には秘密の一つや二つあるものよ!」


 誤魔化すようにそう言ってから、シェリーは何かを思いついたかのようにハッと息を呑んだ。


「……まさかこれ、ラスティの仕業じゃないでしょうねえ?」


 すると今度は、トバルがさっと顔を青くした。


「あ、あり得るかも。あやつは随分とスカーに苦しめられておった。しかし、ワシはまだラスティに魔法を教えとらんぞ……? 同じ『苦痛の腕』で戦って、本来の持ち主であるスカーに勝てるかのう……」

「もしラスティがスカーをこんな目に遭わせたのなら、あんたのせいでもあるのよ! あんたが焚き付けたんだから!」


 強い詰問口調でトバルに詰め寄りながらも、シェリーの顔にはそうであってほしいと言わんばかりの表情が浮かんでいる。


「ま、まあ落ち着け。いまはスカーの回復を待つしかあるまい……ひょっとすると、事態はそこまで逼迫しておらんのかもしれんし……」


 トバルは目を泳がせて言った。


「どういうこと?」

「スカーが、ワシのところに自分を連れて行けと言ったのは、おそらく義足を作れということじゃろう。しかし、それは随分と悠長な判断だと思わんか? 自分をこんな目に遭わせた相手の追撃がないと信じ込んでおるようじゃ……」

「た、確かに言われてみるとそうねえ……」


 二人は同時にスカーを見つめ、そのままその先にいるヴァロに目をやった。


「あ、あら、お坊ちゃん、いらしたの……?」

「うん」


 と、頷く。

 すると、シェリーはすぐにバツの悪そうな表情になった。


「ああ、いまの会話……ボスには……」

「パパには言わないよ。きっとスカーの兄貴が、何があったか自分で話すだろうから」

「え?」

「それ、シェリーの魔法でしょ? きっと兄貴は治るよ。ほら、これ見て」


 ヴァロは自分の新しい右腕を上に掲げた。


「ぼくも同じくらい血が出てたけど、治ったし。スカーの兄貴があんまり痛いようだったら、兄ちゃんにまた薬をもらえばいいんだから」

「……兄ちゃん?」

「……ギデオンのことじゃ」


 胡乱げな顔をするシェリーに、トバルが短く説明した。


「本当に色々な魔法があるんだね! ぼくも使えるようになりたいなあ……」


 ヴァロが特大の目をキラキラと輝かせたちょうどそのとき、開け放しになっていた工房の入り口から、また別の来訪者がやってきた。


 その男のことを、ヴァロはよく知っていた。


「……フェノム? どうしてここへ?」


 そう訊ねたのはトバルだ。

 工房に現れたのは、囚人たちから一目も二目も置かれる存在――千剣のフェノムだった。


「やあ、トバル。お邪魔するよ」

「悪いが、いまは事態が差し迫っとる。いくらあんたとはいえ、野暮用ならまた今度にしてくれんか」


 トバルは作業台の上に横たわるスカーを指差して言った。


「いや、実はそのスカーに用があってね」

「何じゃと……?」

「正確には、ぼくのお客さんが」


 その言葉とともに、フェノムの影から一人の男が現れる。


 その男の姿を見た瞬間、ヴァロは自分の身体に震えが走るのを感じた。

 息が止まり、心臓が握りつぶされたような衝撃に襲われる……。


 男の冷たい目が、ヴァロのトラウマを刺激する。その目は、いつも悪夢で見る目……。

 顔を見たのは初めてだったが、すでにヴァロはその男のことをよく知っていた。


「か、仮面の男だ……」


 ヴァロがズシリと尻餅をつくと、工房に所狭しと置いてある器械がグラグラ揺れた。いくつかが床に落ちて大きな音を立てたが、いまのヴァロはそんなことに構っている余裕がなかった。


「と、トバル! シェリー! その男をやっつけて!」

「坊ちゃん? どうされましたか?」

「そ、そいつはぼくの右腕をこんな風にしたやつだ!」


 ヴァロは震えながらズリズリと後ずさった。


「……これは何ともご挨拶ですね。そういうやり方が、この世界の礼儀なのですか?」


 男は、じっとヴァロを見つめて口を開いた。


「何か誤解があるようですが、私はこの世界にやってくるのは初めてですよ」


 胸に手を当て、宣誓するように言う。しかし、その言葉はもっぱら近くに立つフェノムへと向けられているようだった。

 それを聞き、フェノムがちらりとヴァロの方を見た。


「……聞いての通りだ、ヴァロ。君の思い違いじゃないかい?」

「思い違いなんかじゃない!」

「いい加減にしなさい。君はいつも、そうやって周りをかき回すのが好きだ。でもいまはそんな悪戯に付き合ってあげられないよ」


 フェノムは、ヴァロの言葉を歯牙にもかけていない様子だった。他の囚人たちと違って、彼はヴァロやソディンのようなドグマの身内を特別扱いするようなことはない。

 そのことで、これまでにもヴァロは何度か機嫌を損ねることがあった。


「よりによって、ぼくの客人を貶めようとするなんて。君はもっとお兄さんのソディンのことを見習って、誰かに親切にするということを覚えなさい。このことはドグマにも報告しておくよ。彼だって、子どもが嘘吐きに育つのは嫌だろうからね」

「う、嘘じゃないってば!」

「気にすることはない、ストレアル。この悪戯っ子にとっては、いつものことだから」


 フェノムはストレアルと呼んだ男の方を向き、苦笑している。

 恐怖と怒りによって込み上げてくるものを我慢できずに、ヴァロはぽろぽろと大粒の涙を流した。


「嘘じゃない……嘘じゃない……」


 二人の来訪者が作業台のスカーに近づいた隙に、ヴァロは震える足でよろよろと立ち上がり、工房を抜け出した。


 もはや、自分の言うことを信じてくれる人はここに一人しかいなかった。



 ――今度そいつがこの監獄に来たら、俺が報いを受けさせてやる。



 彼の言葉を思い出し、ヴァロは身体に走る震えを止めようとした。


「……兄ちゃんならあいつを追い払ってくれる。ぼくを守ってくれる……」


 早く、あの人のいるところへ!


 ……しかしヴァロは、いま望みのギデオンがこの街にいないことを知らなかった。


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