小鬼たちの王
フェノムの名前に辿り着いてから、メニオールはずっと妙な焦りに心中を支配されていた。
昨日の夜遅くから始まった土中魚漁の途中でクグラニたちに別れを告げ、ペッカトリアにとんぼ返りする決断を下した。陰謀の渦中にある都市から、いま離れていてはいけないと思ったからだ。
そうしてメニオールは竜車の轍を逆走し、今朝にはペッカトリアの地を踏んでいた。
「あ、あれ、兄貴……今日はどうしたんだい?」
すぐにドグマの宮殿へ行くと、庭にいたソディンが声をかけてきた。
その巨人はいま、並みの人間では振り回せないほど巨大な鉄球を振り回している。
彼はペッカトリアを治めるドグマの息子として、鍛練を欠かさないように日々気を使っているらしいが、その周りに対する臆病さとも取れる律義さが、逆に彼の評価を下げているように感じた。
つまりは、常にこういう示威的なポーズを取っていなければならないほど、ソディンは温厚で甘い性格をしているのだ。
「ユナグナは何か吐いたか?」
メニオールは、スカーの顔で、答えのわかり切った質問を訊ねた。
「いや、それが……」
「やり方が生ぬいんじゃねえか?」
急におどおどし始めるソディンの脇を抜け、メニオールは地下牢へと足を向けた。
ここに投獄されている哀れな小鬼に、改めて話を聞く必要がある。
「……しばらくぶりだな。元気にしてたか、ユナグナ?」
メニオールは牢番を地下から追い出すと、三日前にも会った小鬼に近づいて声をひそめた。
ユナグナは随分と憔悴している様子だった。ここ数日の拷問が苛烈を極めたのだろうか。
「そろそろ、ここから逃げたくなったろ?」
「……あの巨人に小鬼の自由を売ったか?」
ユナグナはメニオールの質問を無視し、かすれ声でそう問いかけてくる。
小鬼の自由とはつまり、以前メニオールが話して聞かせた契約術のことだろう。小鬼たちの行動を縛る強制的な命令を、新しい契約術師を通して結ぼうとするアイデアだった。
「いや、まださ。ひょっとして、そのことで余計な心労を与えちまったかな」
メニオールがとぼけると、ユナグナは瞳に怒りの炎をともした。
「……貴様……!」
「オレの方でも色々と進展があってな」
メニオールは巾着袋からカルボファントの象牙を取り出し、小鬼によく見えるように近づけた。
「そ、それは……」
「お前が盗み出した三つのうちの一つだ。お前たちはこいつを、土中魚を使って都市の外へと運び出そうとした。そうだろ?」
ユナグナの顔が真っ青になる。
「ま、まさか……同志は失敗したのか……?」
「失敗? ……まあ、失敗と言えば失敗かもな」
三つのうち、一つはこうして意図せぬ場所に辿り着いたのだから。
「お前たちは、象牙を安全な場所に隠そうとしたんだ。とある囚人の懐の中にな。そいつが、お前たちの手引きをしていたってわけだ……」
メニオールはユナグナの顔に自分の顔を近づけ、一層声をひそめた。
「オレはずっと、お前たちを導くやつがいるんじゃないかって思ってたのさ。お前たちはドグマを捨て、新しい主人を見つけ出したってな」
「あ、あの方はどうなった……? 処刑されたのか……?」
言いながらユナグナは肩をがっくりと落とし、絶望を露わにした。
「フェノムのことか?」
「……他に誰がいる?」
ユナグナの回答は、メニオールの一連の推理が正しいという裏付けをしていた。
やはり裏で手を引いていたのはフェノム。だが、依然としてその目的がわからない。
「あいつは生きている。いまのところ、やつの秘密を知っているのはオレだけだ」
メニオールが言うと、ユナグナは大きく息を吐き出した。
「……よかった。あの方が倒れれば全てが終わりだ」
「フェノムはなぜお前たちと手を組んでいた? お前たちは、あいつをここの王にでもするつもりか?」
「他に相応しいものがいるか? あの巨人は小鬼を苦しめるだけではないか。しかし同志フェノムは小鬼を解放すると言ってくださった。フルールさまが治めていた良き時代を取り戻してくださると」
「それを信じたのか?」
「フェノムは、かつてフルールさまと行動をともにしていた。崇高な精神を持っている。あの方こそ、ここの王に相応しい」
「ドグマもフルールの荷物持ちとして一緒に行動していたという話じゃねえか。いや、オレは上げ足取りをしたいんじゃねえぜ。どうしてわざわざ、小鬼の上に他の人間を置かなきゃならねえのかって話さ」
メニオールが言うと、ユナグナはおずおずと視線を上げた。
「……どういう意味だ?」
「小鬼の世界なら、小鬼が治めるのが筋じゃねえのか。なんでわざわざ他の世界から来た人間を担ぎ上げて、そいつを王として奉ろうとする? 小鬼の自由が大事と言うのなら、全てのノスタルジア人からの脱却こそがあるべき姿だろ?」
「……王は必要なのだ。貴様は常に闘争の中にあった小鬼の歴史を知らない」
「それなら、小鬼が王になればいい。お前たちは自分の世界を持っているのに、その世界のかじ取りを他の者に任せようとする。オレからすれば理解不能だ」
「貴様に理解される必要はない」
「ああ、理解したくもねえ。きっとフェノムも同じだろうぜ。いや、むしろ馬鹿にしてやがるかもな。扱いやすい間抜けなやつらだと」
すると、ユナグナはすっと目を逸らした。
「き、貴様の狙いはわかっているぞ……そうやって、俺がフェノムへ向ける忠誠心を削ごうというのだ……」
「てめえは前言ったじゃねえか。ノスタルジア人は、いつも自分たち小鬼を騙そうとする。でも、自分は騙されねえってな」
「そ、そうだ。だから俺は貴様には騙されない……」
「フェノムもそうだぜ。あいつもノスタルジアから来た。てめえはいま、都合の悪いことだけ目を瞑って見ないふりをしているだけじゃねえのか」
ますます追い詰められた顔をして視線を落とすユナグナを、メニオールはしばらくの間睥睨していた。
「……ここでじっと拷問に耐えていれば、フェノムがお前を助けてくれるのか?」
「……いや、オレはもう計画から切り離されてしかるべきだ。殺すなら殺せ……」
「いいだろう。殺してやる」
メニオールはユナグナの首に手をかけ、彼の顔をぐいと持ち上げた。
ユナグナは、怯えた目でメニオールを見つめていた。
「……だが、やり方はオレが決める。フェノムの目的が何かはっきりさせるために、精々お前を利用させてもらうぜ。お前の死体を作ってな」
「な、何だと……?」
「あいつが本当に小鬼のためを思って行動していると思うか? 違うね。あいつはどこまでも利己的な人間だ」
「……貴様も同じだ」
「そうさ。だからわかるのさ」
メニオールはスカーの顔を歪めながら、ユナグナから手を離した。
「……てめえはこれから死ぬ。久しぶりにシャバの空気を吸わせてやるぜ、ユナグナ」
すでにメニオールは、ここに来た目的を果たしていた。
自分の考えに対する裏付けを取ること。
陰謀の主が、フェノムだという確信を得られた。
あとは、自分がどう立ち回るべきかを判断するだけだ。
ドグマとフェノムの争い。
この隙を突けば、ドグマの『おもちゃ箱』の中から、フルールの魔導書を手に入れることができるかもしれない。
「……てめえをここから出す。脱獄させてやるよ」
「脱獄……? 俺は殺すんだろ……?」
「そうさ。死んだ小鬼がそのあとに外に出ようが、構いやしねえだろ? そこから先はてめえが考えな。小鬼のために、てめえが何をするべきか」




