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独りが好きな回復職  作者: 昼熊
本編

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86/145

人の心

 メイド長は鞭をしならせ慣れた手捌きで連撃を叩き込むが、その全てをイミャルの髪が弾き返す。


「おや、夜な夜な秘密クラブで鍛え上げた私の鞭を凌ぐとは」


「え、夜中たまに屋敷を抜け出すことがあると思っていたら……メイド長、あんた何やってんだ」


「趣味と実益を兼ねたバイトですね。あ、元から鞭の腕は鍛えていたのですが、ちょっとした切っ掛けがありまして、スカウトされたのですよ。おほほほほほほ」


 口元に左手を添えた状態で高笑いを続けながら振るわれる鞭は、神眼を使わなければ捉えられない速度にまで上がっている。

 周囲でチラチラ様子を窺っている聖騎士たちは、あまりに速すぎて目視できず、鞭がしなり風を切り裂く音が何とか聞こえるだけだった。


「ま、まあ、業務さえ終われば私的な時間は好きに使っていいんだが。詳しい話は後で聞かせてもらうぞ『聖滅弾』」


 鞭の連撃の間を縫うように無数の光の弾が発射される。

 イミャルは一瞬だけ光の弾に視線を移すと、鞭を弾く髪はそのままに、地面へと伸びていた髪が宙へと浮かび上がる。

 その髪は髪の毛を百本近く束ねているので、それなりの太さがあり黒い蛇のようにも見える。髪がまるで生きているかのように蛇行し、次々と光の弾へ喰らいついていく。

 闇と光が衝突するが光の弾は瞬時に掻き消され、貫いた髪は勢いを落すことなく、本来の獲物であるファイリたちへと襲い掛かる。


「やっぱ、聖滅弾じゃどうにもならねえな! 『聖域』」


 周囲に発生した光の壁が相手の攻撃を遮断する。無効化された髪はイミャルの元に戻るのではなく、束ねられた状態を開放し通常の一本ずつの髪の毛へと戻ると、聖域を覆い始める。


「うお、何だ。聖域を囲ってどうするつもりだ」


「あらまあ。髪の毛に包まれてしまいましたわ」


 髪の毛に取り囲まれ視界を奪われた状態のファイリの耳に、みしりっ、という聖域の軋む音が届く。


「おいおい、髪の毛で握り潰すつもりか」


「これは困りましたね。聖域内から外へ攻撃は不可能ですし、聖域を解除してしまうと一気に圧縮されてしまいます」


「ふっ、舐めるなよ。以前の俺ならまだしも、永遠の迷宮で、永遠の迷宮で鍛え……永遠の迷宮の訓練……うがああああああっ!」


 何かとてつもなく嫌なことを思い出したらしく、地面に両膝を突き、頭を抱え絶叫を上げている。それでも、聖域を維持しているのはそれこそ訓練の成果なのだろうか。

 メイド長は取り乱しているファイリを落ち着かせようと、肩にそっと手を添える。


「教皇様、お気を確かに! 勇気を出して誘惑したのに無視されたどころか、痴女を見るような目で蔑まれたのを思い出したのですかっ!」


「やめろ! 忘れかけていた傷を抉るな!」


 メイド長にそそのかされて、ライトを誘い失敗した過去を心の奥底に封印していたのだが、今の会話によりその記憶が再び浮上してきた。


「そっちじゃねえよ! 永遠の迷宮での訓練という名の地獄をちょっと思い出しただけだ。以前の俺なら聖域を破壊されていたかもしれないが、今の聖域は耐久力が段違いだからな。この程度の攻撃なら何時間でも耐えて見せるぜ」


「それは頼もしいお言葉なのですが。どうやら、あの方の目的は別にあるようです」


 澄ました顔で直立姿勢のメイド長が、その状態のままファイリの視界を横に滑っていく。足元が大きく揺れ、地面が斜めに向いたのを理解すると同時に体が浮遊感に包まれる。


「あいつ、聖域ごと持ち上げやがった!」


 聖域は術者を中心とした六面体の光る壁に囲まれる魔法であるが、地上に出ている部分は六面体の半分だけで、残りは地面に埋まっている。

 地面に突き刺さっている状態の聖域を動かすのは容易ではなく、魔法の攻撃も聖域に触れた途端に打ち消されていくので聖域ごと持ち上げられるというのは、初めての経験だった。


「教皇様。外部からの攻撃に強いのは知っていますが。もし、このまま空高く飛ばされ、地面に叩きつけられたらどうなるのでしょうか」


「そりゃ、鉄の箱に卵入れて高いところから落としたらどうなるか、って聞いているのと同じだ」


 外の様子が全く見えないので、正確な状況は掴めないのだが、聖域の壁に体が押し付けられる様な感覚から考えて、イミャルを支点に宙をぐるぐると振り回されているようだとファイリは推測する。


「くそっ、どうするべきか。いっそのこと解除するか? いや、速攻で潰されるだけだ。となると、考えている時間はねえ。一か八かやってみるか」


 ファイリは神眼で周囲を見渡すが、髪を覆う闇の魔力が邪魔をして神眼をもってしても、外の様子を見ることができない。魔力が視えるという能力が今は足を引っ張っている。

 見えないものは仕方ないと瞬時に頭を切り替え、聖域を右手から放つ魔力で制御し、左手は別の魔法を発動させる為に魔力を集中する。

 ファイリの考えは、聖域を解除すると同時に全方位に向けて聖滅弾を放ち、髪を押し返すという力押しの策だった。


「メイド長、タイミングを合わせて周囲に攻撃してくれ。上手く解放された後は、どうにか自力で着地してくれ」


「その大胆さを恋愛に生かせれば、ライト様も今頃は」


「うるさい! じゃあ、いくぞ! 三、二」


 残り一秒のところでファイリは突然秒読みを止める。髪の毛で防がれていた視界が突如開けたからだ。

 黒一面だった光景から、無数の光が入り込んでくる。夜中とはいえ精鋭部隊の隊員が所持している魔道具の光が集まると、暗闇から解放された目には明るすぎるぐらいだ。


「放り投げられたのかっ? 解除するぞ!」


 足元にはギリギリ触れるかどうかの位置に精鋭部隊の兜が見える。咄嗟に地上からの距離を計算し、二メートルから三メートル未満だと判断すると、吹き飛ばされた勢いがあるとはいえ何とかなると見切っていた。

 ファイリは地面に着地すると同時に、衝撃を殺すように受け身を取り地面を転がっていく。そのまま、勢いがなくなるまで転がり続け、動きが止まると同時に素早く立ち上がる。


「敵は、状況はっ」


 自分が飛んできた方向に目を向けると、そこには白銀の鎧と少し鈍い色の鎧を着た男の背中が二つあった。


「教皇様、申し訳ありません。命令に背き割り込んでしまいました」


「罰は後でいかようにも!」


 サンクロス、シェイコムの両名は振り返ることなく謝罪の言葉を口にし、身長と変わらぬ大きさの盾を構え、今も継続してイミャルを牽制している。


「いや、礼を言う。ありがとう、助かった。そのまま前衛での守りを頼めるか?」


「はっ、承知しました!『聖壁』」


「喜んで!『聖壁』」


 光り輝く巨大な壁が並んで二枚現れ、イミャルからファイリを遮断する。


「コロス、コロス、コロス、コロス、コロス」


 緩急のない声で物騒な単語を繰り返し、逆立った髪が聖壁を貫こうと一斉に突き出される。鋭く尖った髪の先端が聖壁に触れると、じゅっ、と物が焦げたような音がして闇を纏った髪が溶けている。

 しかし、そんなことは気にもせずに、束ねられた髪が幾つも聖壁にぶつかっていく。


「くうううっ、これはっ」


「サンクロス教官、大丈夫でありますか!」


 シェイコムが張っている聖壁は揺るぎなく全ての攻撃を防いでいるのだが、サンクロスの聖壁は髪の毛に何本か貫かれ、少しだけ飛び出した髪が、ファイリへ届かぬ手を伸ばすかのように蠢いている。


「そのまま、もう少し維持してくださいませ」


 ファイリの少し後方まで転がっていたメイド長が、仰向け状態からすくっと立ち上がると、右手の白い手袋を外し聖壁に飛び込んでいく。そして、聖壁に触れ闇属性が削られ、剥き出しになったイミャルの髪に、右手でそっと触れる。


「髪が荒れ放題ですわ。それに……多くの男に騙され遊ばれ挙句の果てに……悪魔に魂を売りたくもなりますよね」


 愛おしそうに髪を撫で優しく囁く声に反応したかのように、髪が一度大きく跳ねると暴れ出しメイド長の手から離れる。

 聖壁を貫いていた髪が逃げるようにイミャルの元へ戻っていく。


「おい、メイド長、早く手を見せろ!」


 右手を抑えうずくまっているメイド長に駆け寄ると、ファイリは右腕を掴み引き寄せる。その手のひらは無残に切り裂かれ、あらゆる場所から血が噴き出している。


「馬鹿野郎! 無理しやがって。すぐに治してやる!『治癒』」


 光に包まれた右手は見る見るうちに傷口が塞がっていき、数秒後には跡すらない綺麗な手がそこにあった。


「ありがとうございます。何とか敵の意識と能力に触れることができました」


特別な贈り物スペシャルギフト、神触を使うためとはいえ無茶しすぎだ」


 傷一つなくなった手の動きを確かめるように、ゆっくりと開いて閉じてを繰り返しギュッと拳を握りしめる。


「そうおっしゃられましても、直接この手で体の一部に触れなければいけませんので。少々の無茶は致し方ないかと。戦闘中なので説明は手短に。能力ですが闇を髪に纏わせて攻撃します。散々見てこられたとは思いますが。その長さは最長百メートル程度のようで、すっ」


 そこまで話したところで、メイド長はファイリの胸元に手を当て「避けてください」と呟き軽く押した。二人がその場から飛びのくと、巨大な髪の束がさっきまでいた場所に突き刺さる。


「サンクロス! シェイコム! 無事かっ」


 ファイリが攻撃の飛んできた方向に目をやると、聖壁は消滅し弾き飛ばされ地面に転がっている二人の姿があった。

 サンクロスはどうにか手を上げ、生存を証明しているがそれ以上は体が動かないようで、どうにか起き上がろうと時折体が揺れている。

 シェイコムは何もなかったかのように元気よく立ち上がり、自分を吹き飛ばした巨大な髪の束へ向かい、盾に体を預け体当たりを繰り返している。


「呆れるほど頑丈だな、神体は。この攻撃は全ての髪を束ねた一撃か」


 地面に突き刺さったままの黒髪の元へと視線を辿ると、頭を突き出し全ての髪を攻撃に使用したイミャルがいた。

 全身と顔を覆っていた髪が無くなり、その素顔が明らかになっており、ファイリの神眼が全てを見てしまう。


「酷い……な」


 左目は大きく見開かれているが、右目は光を捉えてはいなかった。本来なら右目がある場所には大きな杭が突き刺さり、そこから赤黒い血が流れ続けている。

 鼻は折れ曲がり、鼻孔が横を向き、血の気のない唇は黒い糸で縫い合わされている。


「私ノ中ヘ入ルナ! メイドメイドメイドォォォォッ!」


 メイド長を睨みつけると、天に向け咆哮を上げる。口元の糸は伸縮性があるかのように、口が開くと同時に縫い目が広がっているようだ。


「見ておわかりだとは思いますが、彼女は生前、魔力がずば抜けて高いことが原因で恐れられ、村人にかなり酷い目にあわされていたようです。人を恨むのも致し方ないと思えるほどに。彼女の力の源は、嫉妬、憤り、恨み、等の負の感情です。その感情が際限なく湧き出しているので魔力が尽きないようです」


「それが読み取ったあの女の記憶か」


 メイド長の所有する特別な贈り物『神触』触れた者の記憶や能力を読み取ることが出来る。ただし、素手で直接相手の肌や髪に触れなければ正確な情報を得ることが出来ない。

 また、得た記憶や自分の考えを触れた相手に伝えることも可能となる。

 メイド長はファイリを押しのけた際に、相手の能力だけは鮮明に伝えたが過去の記憶を伝えることはなかった。


「同情はするが、だからといって殺されてやるわけにもいかん。聖職者の頂点に立つ身としては、あの女、イミャルを現世から解放してやるしかない」


「そうでございますね。あの方には我々の言葉は届かないでしょう。ただ、生者を恨み、生前、何度祈っても助けてくれなかった光の神……その信者は憎悪の対象でしかありませんから」


 記憶を覗いたメイド長は知っている。虐待の日々の中で、彼女は何度、神に祈り助けを求めた事か。それは、人であることを終える最後の日まで続けられていた。

 無抵抗な状況で眼球に杭を打ち込まれ、彼女は神に祈るのを止める。

 そして――全てを呪った。その声に応じ力を与えたのが邪神と呼ばれる闇の神である。


「メイド長。辛い記憶は一人で抱え込まないでいいんだぜ? 気を遣わなくてもいい。俺はそんなに弱くないつもりだ」


「お気遣いありがとうございます。ですが、相手の心を無断で覗き見る罰でもあると思っていますので、大丈夫ですよ」


 いつもの接客用の作ったような笑顔ではなく、心の底から嬉しそうにメイド長は微笑んだ。

 メイド長はこの力で多くの人の心を覗いてきた。悪党から善人と呼ばれる人まで、様々な人の心を覗き、誰しもが持つ醜い心を見せつけられ、いつしか人は侮蔑の対象でしかなくなっていた。

 持ち前の運動能力と、その能力を生かし、いつしか彼女は国の諜報部で重要な地位に就いていた。教皇であるファイリのメイド兼、護衛という建前の任務を押し付けられ、本来の任務内容がファイリを見張り監視することなど、聞くまでもなかった。

 とても美しく清楚な女性。それがファイリを見た第一印象だった。甲斐甲斐しく身の回りの世話をしながらも、相手の心を覗き見る機会を探していたメイド長にある日、ファイリがこう言った。


「そんなに私の記憶が見たいのかしら? 貴方の前で猫を被っているのもいい加減疲れるし、いいわよ、見たいなら見て」


 そう言って、手を差し出してきたのだ。メイド長は自分の能力が見抜かれている事にも驚いたが、何よりも能力を知りつつ、怯えることなく記憶を見ていいと言った事に驚いていた。


「さあ、見ないのかしら? 本人が許可を出しているのですから、遠慮なくどうぞ」


 相手の意図を読み切れないメイド長だったが、猜疑心より好奇心が勝ち、純白の手袋を外すとその手を取った。

 次々と流れ込んでくる、ファイリの記憶。強く心に残っている記憶が真っ先に頭へと流れ込んでくる。虚無の大穴での戦闘により姉を失った事。なし崩し的に教皇の地位へと就いた事。学生時代の楽しくも騒がしい日々。どの記憶の中にも一人の男がいた。

 記憶がそれよりも過去へ遡ろうとしたところで、メイド長は手を放す。これ以上、彼女の中へ踏み込む必要はないと感じたからだ。


「どうだ、楽しかったか俺の記憶は?」


 本当の性格も口調も見られたファイリは今更、教皇らしさを演じる必要もないと、悪戯っ子の様な笑みを浮かべ楽しそうに話しかけてくる。


「ええ、とても。特にそうですね……ライト様とおっしゃる男性に会いたくなりましたわ」


「あ、え、な、なんでだ! あいつは関係ないだろう!」


 初めて見るファイリの取り乱した姿に、メイド長は忘れかけていた本当の笑みを浮かべる。


「――おい、メイド長どうした! 急に遠くを見る目をしていたが。記憶を見過ぎた反動か何かか?」


 心配して顔を覗き込んでいるファイリに「大丈夫ですよ」と頭を振り答えると、静かに立ち上がる。

 メイド長が心を読んで惹かれたのは、たった二人の人物だけだった。

 一人は一生仕えることを誓った、ファイリ。

 そして、主の想い人であるライトアンロック。深い闇を抱えそれでも平然と振る舞い、素っ気ない態度を取りながらも仲間の身を誰よりも案じている男性。

興味はあるのだが、恋愛感情とは関係ない。メイド長はそう思い込んでいた。

 だが、久しぶりに再会し、小芝居中に抱きしめられた時、体が火照り心臓の鼓動が早くなったのを、今更ながら自覚してしまう。


「ファイリ様」


「ん、何だ」


「本当に実行しても宜しいでしょうか」


「すまん! 聞こえない!」


 会話をしながらも敵の攻撃は激しさを増し、避けながらの会話は無理があるようで、メイド長の言葉の大半をファイリは聞き逃してしまう。


「いえ、何でもありませんわ」


 鞭を振るい、先端が鋭く尖った髪を叩き落としながら思う。主に一生仕えるのですから、主が想い人と結ばれたあかつきには、私も一緒に嫁ぐようなものですよね、と。



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