97. 会いに来ちゃった
「夜会で会場を抜け出したヴィクトール王子は、庭で例の女生徒と人目をはばからず堂々と口づけを交わしていたようです」
「そ、そうですか……」
時刻は夜。寮の私の部屋でカインがそう報告してきたが、身内から不意打ちで「口づけ」なんていう耳慣れない言葉が出てきたのでドギマギしてしまう。
なんでお兄ちゃんはそんなにいつも通りなの?
もしかして私の見てないところで恋愛経験値を隠れて手に入れているのではあるまいな。
優しすぎるカインをさらに優しく包み込んでくれる素晴らしい女性じゃないと私は認めないぞ。優しいこの兄を傷つけるような相手だったら絶対に許さない。
……話はそれたが、最近学園に編入してきた女生徒がおり、どうやら王子はその女生徒にご執心のようなのだ。
婚約の話は王や王子が勘違いしているだけなので、王子が誰と恋愛しようが私には全く関係がないのだが、この女生徒、少々きな臭いところがある。
女生徒の名前は、フローラ・ポシュナー。
ポシュナー男爵の庶子で、最近まで平民として暮らしていたところを男爵家に引き取られ、貴族学園に編入することになったらしい。
だが知っての通り、貴族学園は十五~二十二才の間であればいつでも通うことができる。
フローラは現在私と同じ十六才なので、区切りのいい来年度から新入生として入学すればよく、わざわざ中途半端な時期に編入する理由がないのだ。
そして編入早々、ヴィクトール王子に近づき瞬く間に親密になった。
何か裏があるに違いないと私の周囲の者は警戒しており、カインが彼女について探っているのだが今のところ目ぼしい情報はでてこないらしい。
「引き続き、ポシュナー男爵令嬢にはご注意ください。何があるかわかりませんので」
「わかりました。では、次回の夜会からは王子のエスコートで出席するのはやめにいたしましょうか。広告塔としての成果はもう十分ですし、愛し合う二人の仲を裂いて馬に蹴られたくはありませんからね」
「それがいいと思います」
カインはホッとしたようにそう返事をした。
カインにおやすみの挨拶をしてから寝室に下がり、レオンから貰った猫じゃらしでミルと遊びながら、今色々な意味で噂になっている彼の令嬢のことを思い出す。
ずっと気になっていたのだが、あのフローラという女の子、ものすごくヒロインっぽくないか。
平民として暮らしていた男爵令嬢で、貴族の学園に編入してきて、王子様と仲良くなって、それになんといってもピンクブロンドの可愛らしい見た目。そうそう、乙女ゲームのヒロインってこんな感じだよね、という要素が盛りだくさんなのである。
そう考え始めると次々と思い当たる節がでてくる。
王子を筆頭に生徒会役員のメンバーは皆系統の違うイケメンだし、それでいくとレオンはセクシーキャラ、ユーリはクールキャラっぽい。
それに、リュディガーの妹であるシュヴィールス公爵令嬢は、見た目が派手で気が強そうだし、今思えばとても悪役令嬢っぽい。私という存在がなければ王子の婚約者には彼女が収まっていただろうという情報もある。
それに、領地の森の中にある遺跡のギミック。何故か前世に存在するゲームで不思議に思っていたのだが、あれは乙女ゲームのおまけ要素的なミニゲームだったのではないだろうか。
まさかまさか、前世の記憶を取り戻してから十年以上生きてきたこの世界が、乙女ゲームの世界だったというのか。
もしかして、本来ならシュヴィールス公爵令嬢が王子の婚約者として悪役令嬢の役割をするはずだったところを、私がそうとは知らず好き勝手したせいで、ストーリーが改変されていたりする……?
ええー……
いや今さらそんなことを言われても、困る。
だって知らなかったんだもん。
この世界が本当に乙女ゲームの舞台だったとしても、私の知識は小説サイトの乙女ゲーム転生モノだけなので、実際に乙女ゲームをプレイしたことのない私には何のゲームなのかがわからず、本当にそうなのか検証のしようがない。
私は王子とは婚約していないし、性格的にも悪役令嬢の役割を自分ができる気もしない。
ヒロイン(仮)さんには申し訳ないが、悪役がいなくても順調に王子との仲を深めているようだし、そのまま私とは関係のないところで幸せになってくれと祈るばかりである。
パタパタと猫じゃらしを振り続けながら、自分にはもうどうしようもないことを考えるのはやめて、自分の将来について考えようと思考を切り替える。
領地に戻る前にお養父様は、
「シュヴィールス公爵が捕えられ、其方を狙う脅威は去った。婚約相手に関しても其方の自由だ。これからは心置きなく学園生活を楽しむがよい。口うるさい親から離れ、同年代の仲間たちと馬鹿をやる機会は今しかない。案外そういった思い出は一生ものだぞ?」
と昔を懐かしむように言っていた。要するに、「青春を満喫しろ」ということらしい。
……陰キャの私にはハードルが高すぎない?
ラスボスを捕まえることより、キラキラした学園青春ライフを送ることの方が、私にとっては難問に思えてくる。
自分に向いていなさそうなことは速攻で諦めて、学園にいる間はFIREに向けた準備をした方がよっぽど建設的ではないだろうか。時間はたっぷりあるのだ。理想と現実をすり合わせて、どういう形ならFIREできるかじっくり考えよう。
やっぱり、自然が豊かなところでのんびり過ごしたいな。
一番景色が良いところと言えば、やっぱりハーリアル様の棲み処じゃない?
あそこに間借りして、小さな平屋でも建てさせてもらえないかな。
そういえばハーリアル様、さみしがっていないかな。
などと取り留めなくつらつら考えていると、不意に寝室の窓を叩くコンコンという音が聞こえた。
この部屋は寮の四階。こんなところに人がいるはずがないのだが、明らかに意思をもって窓を叩いたであろう音がしたので、こんな夜更けに一体何者かと、リボンに魔力を注いでケラウノス3%を握りしめた。
恐る恐る窓に近づき、バッと勢いよくカーテンをめくる。
「え?」
窓の外、バルコニーの手すりには白い子猫がちょこんと腰掛けていた。
ミルかと思い足元に視線を移すが、可愛いうちの子はここにいる。
再びバルコニーにいる猫を見ると、ぱっと見はミルに見間違うほどよく似ているが、よく見れば模様や顔立ちが若干ミルとは違う。
この子は一体どこの子だろう。先程窓を叩いたのはこの子なのだろうか。
危険はないと考え窓を開けると、子猫はぴょんっと手すりを飛び降り、何食わぬ顔で部屋の中に入ってきた。
ミルに近寄り、くんくんと匂いを互いに嗅ぎ合った後、顔や体をこすりつけ合っている。
「ミル、その子、ミルのお友達?」
私の言葉にぱっと上を向いた見知らぬ子猫が白く光り、その輪郭がどんどん大きくなっていく。
猫の形が人型になり、光が収まると、つい先ほどまで思い浮かべていた人外レベルに美しくて全体的に白っぽい森の主その人がミルを抱っこして立っていた。
「其方らがあまりにも会いに来てくれないから、我の方から会いに来ちゃったぞ!」
「……ハーリアル様?」
なんと、ミル似の子猫はハーリアルだった。
学園についていくのにミルはよくて自分はダメだというならば、自分がミルサイズになればいいのだと考え、がんばって小さくなる練習をしていたらしい。
がんばってなんとかなるものなんだ……。
子猫サイズになる術を習得したハーリアルは、喜び勇んで辺境からここまで私たちの気配を辿りながら空を飛んでやってきたのだという。
「小さくなるのはわりとすぐにできたのだが、わが身が光るのは如何ともしがたくてな。光らないようにするのに非常に骨が折れた」
「どうやって光らなくしたんですか?」
「光るのは身の内に蓄えられた魔力が多すぎてちょっとこぼれてしまっているからなのだ。だからこぼれないようギュギュっと圧縮してしているのだが、これが結構大変で、気を抜くとすぐ光ってしまう」
ベッドに腰掛けてハーリアルに事情を聞いていると、突然バタンッと大きな音を立てて寝室の扉が開いた。
「リリアンナ様! ご無事ですか!? 貴様、何者だ! リリアンナ様から離れろ!」
私の部屋に私以外の気配を察知したのか、勢いよく部屋に飛び込んできたのはカインだった。剣を構えてハーリアルに対して鋭い視線を向けている。
「カイン、大丈夫です。この方は……」
「ふっふっふ、我が誰かだと? 教えてやろう、我が名はハーリアル。人は我のことを神と呼ぶ」
ハーリアルに殺気を向けているカインを落ち着かせるため説明しようとすると、当の本人は何故かドヤ顔ですっくと立ち上がり、堂々の仁王立ちを決めた。
「……は?」
ほら、急に神様なんて言われたカインがポカンとしてしまっているじゃないか。
騒ぎを聞きつけた他の側近達も集まってきたので、改めてハーリアルを紹介すると、全員が驚き固まっていた。
「これから厄介になるぞ。我は食事も排泄もしないので世話は必要ない。……たまにおやつをくれると嬉しいが。我はリリーの部屋でミルと大人しくしておるので、気にしなくてよい」
どうやらハーリアルの中では、この部屋に住むことはもう決定事項らしい。
「若い男女の同衾なんて、認められるわけがないでしょう! ハーリアル様には別室をご用意いたしますから、そちらでお過ごしください!」
一番最初に我に返ったカインが、くわっと牙をむいて反対している。
さすが、平民時代でも領主に対して意見を言っていたカインだ。神様相手にも肝が据わっている。
ただ見た目は確かに若いけど、千年以上は確実に生きているハーリアルを若い男性扱いしていいものか判断に迷うところだ。
「そんな……それでは、ここへ来た意味がないではないか。大丈夫だ。若い男女の同衾にはならぬ。見ていろ」
そう言ってハーリアルは再び子猫サイズへと姿を変えた。
「みゃーう」
よろしくとでも言うように可愛く一声鳴いたハーリアルを見て、側近たちはまたしてもポカンとしている。
しゃべれない彼の代わりに、ハーリアルは私たちに会いたくてこの姿になれるようにがんばって練習してくれたのだと説明した。
彼も目立たないように配慮してくれているのでこの部屋に置いてもらえないだろうかと懇願し、なんとか認めてもらうことができた。
側近たちが呆然としている間にごり押したとも言う。
子猫サイズになったハーリアルは、ベッドの上でミルとじゃれ合っている。
白い毛玉が二つ、コロコロと転がる姿はなんとも癒される。
「か……っ!」
押し殺したような声が聞こえそちらを見ると、小さくて可愛い物好きなイングリットが口元を押さえ目を潤ませながら毛玉たちを凝視していた。
わかる、わかるよ。可愛いよね。
こうして、私の学園生活は青春要素はないものの、モフモフ要素が二倍になり、日々の癒しも二倍になった。
膝に乗る二つの毛玉を撫でながら、やっぱり学園を卒業したらハーリアル様の棲み処に家を建てさせてもらおう、と思った。
そこから城や商会に通ってたまに働けばいい。
うんうん、それがいい。
私の寝室にもよく出入りするイングリットとクラウディアは、最初は神様に対して恐れ多いとビクビクしながら遠くから様子をうかがっていたが、あまりにもハーリアルが猫のようにくつろいでいるのですぐに慣れたようだ。
ちなみに事情を知らないメイドさんたちからは、ミルと戯れる姿が大変愛らしいと密かに評判となり、ハーリアルは瞬く間に寮の生活に馴染んだのだった。
乙女ゲーム、だったかもしれない世界。
けれど、リリーの生活にあまり影響はなし。
リリーと出会って心身共に逞しく成長したユーリは、もしもリリーと出会わなければ、薄幸の美少年キャラ、だったかもしれません。




