32. 私は護衛騎士 <アロイス視点①>
私の名前はアロイス。
貴族の中でも底辺である男爵家のしがない三男坊だ。
継ぐ爵位のない私は剣で身を立てる為に騎士団に入ったのだが、ありがたいことに現在領主様の次男であらせられるユリウス様の護衛騎士を務めている。
男爵家の身で領主一族の側近だなんて大変な出世である。
辺境伯騎士団は完全なる実力主義。
身分に関係なく、剣の腕、忠誠心、実直さ、そして子供好きな面などを総合的に判断して自分が選ばれたと聞いている。選ばれた自分がとても誇らしい。
自分を信じて取り立てて下さった領主様のお気持ちに報いる為にも、誠心誠意、ユリウス様にお仕えしようと心に決めている。
現在のユリウス様しか知らない者が聞いたら驚くであろうが、あの方は出会ったばかりの頃はそれはそれは素直で愛らしく、よく笑う御子だった。
兄君を純粋に慕い、後を付いて回ってなんでも真似したがる姿は、なんとも愛らしかった。兄君もそんなユリウス様を可愛がっており、ご兄弟が仲睦まじい様子を見て、次代の我が領も盤石だと安心したものだ。
歯車が狂い始めたのは、ユリウス様に教師が付き、先に学び始めた兄君と同じように領主一族としての教育が始まってからだった。
日に日に笑顔がなくなり、口数も減っていくご様子に、最初は慣れない授業に戸惑っているだけでそのうち慣れるだろうと思われていたのだが、一月経っても二月経っても状況は良くならず、むしろ悪化するばかりで、いよいよ何かがおかしいと周囲が気付いた頃には、ユリウス様は全く笑わなくなっていた。
この時、もっと早く自分が違和感に気付いていればと後悔しない日はない。
この頃のユリウス様は過剰な鍛錬が目立つようになり、休むよう進言しても、「今のままでは兄上に追いつけないから」と言って聞く耳を持って下さらない。
以前の明るいユリウス様が同じように言ったのなら、憧れの兄君に少しでも追いつきたいのだろうと微笑ましく受け止めたが、鬼気迫る様子で自分を痛めつけるように鍛錬するお姿は明らかに度を超えていた。
二つ年上の兄君は確かに多くの才能をお持ちだ。
辺境伯家の家宝である、自ら主を選ぶと言われている魔剣レーヴァテインの主人に弱冠五才で選ばれ、剣技においても類まれなる才を発揮し、剣聖と謳われた初代辺境伯の再来と言われている。学問に関しても一を聞いて十を理解するまさに神童だともっぱらの噂だ。
だが、兄君の才が突出し過ぎているだけで、ユリウス様だって十分優秀でいらっしゃるのだ。
わかりやすく目立つ天賦の才はなくとも、剣も学問も一度教えればすぐにそつなくこなされるし、こつこつとひたむきに努力もできる。
兄君はなんでもすぐに平均以上にできるようになってしまうため、飽きっぽい一面もあるし、少々他者の感情の機微に疎くていらっしゃるように思う。
その点ユリウス様は、謙虚堅実、他者への思いやりもある。
身内の欲目と言われようが、この方についていきたいと思える主はユリウス様である。
別に兄君を蹴落として領主になって頂きたいと考えているわけではないし、ましてやユリウス様ご本人もそんなことは露ほども思っていないだろう。
天真爛漫で周囲を引っ張っていく力のある兄君が領主となり、どちらかと言えば補佐向きの気質をしているユリウス様が支えていく、そんな未来を誰もが想像していた。
兄想いで努力家のユリウス様が誇らしく、兄君を補佐する主を私も側でお支えしていくのだと、そう、思っていたのに……。
「これでは兄君のようになれない」と己に鞭打つユリウス様に、兄君のようにならなくてもいいのだと、貴方には貴方の良いところがあるのだと、何度お伝えしても主のお心には届かない。
心身ともにどんどん疲弊していく主に、私は何もして差し上げることが出来ずただ己の無力さを嘆くのみであった。
そしてとうとう、ユリウス様が倒れてしまった。
ベッドから起き上がることもできず、目が開いているのに声をおかけしてもまるで聞こえていないかのように反応がなく、焦点の合わない瞳で天井を見続ける小さな主。
どうしてこんなことになってしまったのかと、泣くこともできなくなってしまったユリウス様の代わりに涙を流した。
医者からは気鬱の病と診断され、しばらく休養が必要とのことだった。
真面目な性格でいらっしゃるので、出来過ぎる兄君と己を比べ必要以上に追い詰められてしまったのだろうとお父上である領主様も判断され、兄君とは物理的に距離を置き、城の離れで気心の知れた使用人のみを配置し療養することになった。
しばらくゆっくり過ごせば回復するだろうという医者の見立てに反して、ユリウス様の容体は中々好転しなかった。
何をするでもなくぼうっとしていたかと思えば、突然何かに追い立てられるように剣を振ったり勉学に励もうとされる。
療養のために剣も学問関係の書物も取り上げられているはずなのに、どこから手に入れてくるのか不思議だった。
その違和感に気付いたのは偶然だった。
主のお召し替えの最中は、私はドアの外に控えているのだが、その時はユリウス様の調子が良くなくて動くことができず、着替えさせるのに側仕え一人では難しいとの事で私も部屋の中で手伝っていた。
着替えさせるために側仕えの手がユリウス様に触れた時、お身体が一瞬強張ったのだ。
ユリウス様が反応を見せたのはその一瞬だけだったが、主の怯えるような瞳が頭から離れず、気のせいだと流してはならないと、頭の中で警笛が鳴っていた。
この側仕えはユリウス様が今よりもずっと幼い頃よりお仕えしている、領主一族の傍系である由緒正しい伯爵家出身の筆頭側仕えだ。
先代領主様と同世代の物腰柔らか且つとても仕事のできる方で、領主ご夫妻や他の側近からの信頼も厚いお人だ。
お忙しいご両親に代わって一番近くでユリウス様をお育てされてきた、主が最も懐いている保護者のような存在である。
私も護衛騎士になったばかりの頃は、主にお仕えするための心得を彼から真摯にご教授いただいた。
まさかそんなお人が主を害するわけがないが、ユリウス様が一番懐いているはずの彼に対してあんなにも怯えた目をするだろうかと思う自分もいる。
疑いの目を向けて申し訳ないと思いつつも、自分の中に生まれてしまった疑念を払拭するために、私の独断で筆頭側仕えを監視することにした。
これでも騎士団の中でも優秀な方ではあるので、騎士でもない側仕えに気取られないよう気配を消して部屋に潜む程度のことは簡単だった。
ユリウス様のお部屋のカーテンの陰に潜み、筆頭側仕えが主の世話をする様子を伺っていると、聞こえてきたのは耳を疑うような言葉ばかりだった。
「兄君はあんなにも優秀で素晴らしいのに、なぜ貴方はそんなにも不出来なのか」
「日常生活もままならずこんなに手がかかるようでは、兄君どころか平民の子供にも劣る」
「こんなのが主で恥ずかしい」
普段と変わらぬ穏やかな口調だが、内容は聞くに堪えないものだった。
殺してやりたい、と思った。
なんとこの痴れ者は、側近仲間たちには早く良くなってほしいと心配そうに語っていたその口で、あの方と二人きりの時には心を踏みにじるような暴言をぶつけていたのだ……!
主を励ます私の言葉が全く届いていなかった理由が今わかった。
幼い頃から一番近くにいて最も信頼する保護者が、こんなにも否定的な言葉をかけてくるのだ。私が何を言ったところで、信じられるのは筆頭側仕えの方だろう。
そして今出て行って側仕えを取り押さえても、言い逃れされれば、多くの者から絶大な信頼を得ているこの者の言葉が信じられてしまうのは想像に難くなかった。
ギリ、とこぶしを握り締め、今すぐ切りかかってしまいたい衝動を必死に押さえ、敬愛する我が主を言葉の刃で傷つける虐待の声を息を潜めて聞き続けるしかなかった。
待っていろ、動かぬ証拠を押さえて、必ず貴様を地獄に突き落としてやるからな……!




