Flag43:パンを焼きましょう
「ここにある食材などは何を使っていただいても構いません。道具などの使用方法が少々特殊ですので何をしたいか言っていただければ最適な道具をお教えしますのでミウさんにはメインの一品とお願いしたいと思います」
「メインですか。魚の方が良いのでしょうか?」
「いえ、どちらも美味しく食べていらっしゃいましたので得意な方でよろしいかと」
冷蔵庫や冷凍庫を開け、食材を見ながら悩まし気にミウさんがメニューを考えています。
冷蔵庫や冷凍庫は魔道具屋のラシッドさんの話しぶりからしてあまり普及していない魔道具のはずなのですが驚く様子がありませんね。つまり同じようなものを知っているというわけです。
時間は3時間ありますので時間に余裕はあります。じっと見ているのもあれですので私も調理に取り掛かりましょう。今回の目玉はなんといってもパンです。せっかく牛乳が手に入ったのですし時間もありますからね。
用意するのは強力粉、薄力粉、バター、上白糖、塩、牛乳、そしてドライイーストです。パンを作るとは言ってもこの船にはホームベーカリーがありますので食パンならば材料を入れるだけで出来てしまいます。とはいえ今回作るのはディナーロールですので焼くのはオーブンを使用しますがね。
ホームベーカリーの容器にドライイースト以外の材料をすべて投入し軽く混ぜておきます。そしてイーストケースにドライイーストを入れ、パン生地コースで1次発酵終了までは放置です。おおよそ1時間程度ですね。
メニューが決まったらしいミウさんのフォローや副菜などの下ごしらえなどをしつつ待ち、発酵終了の合図の音楽が鳴ったので生地を取り出します。少しミウさんを驚かせてしまいましたので軽く頭を下げながらですが。
生地を切り分け、軽く玉になるように成形し固く絞った濡れ布巾をかけて10分ほど待ちます。この休ませる時間を誤ると美味しくなくなってしまうのですよね。待ち時間の間に第2陣の生地の用意をして再度1次発酵を開始させます。おそらく1回分だけでは足りませんしね。
時間が経過したら布巾を外し、生地を成形しなおしてオーブンシートへと並べて2次発酵させます。これは30分程度ですね。これが終わったらいよいよ焼きの工程です。
オーブンを180度に温め、12分から14分程度焼きます。焼き時間は様子を見つつ判断するしかないのでその付近になったらちょくちょく様子を見に行きます。美味しそうな焼き色がついてきたところでオーブンから取り出し粗熱を取ったらビニール袋に入れて口を閉めないまま放置すれば完成です。
ちなみにビニールに入れずにそのままにしておくと固くなってしまいますし、ビニールの口を閉じるとパン生地から出た水分でべとべとになってしまいますのでこのあたりがコツと言えばコツでしょうか。
出来たてを口に含んでみれば久しぶりのパンの味に安心感を覚えます。いえ、ルムッテロでパンは食べているのですが、私が食べていたパンとはやはり作り方も材料も違いますのでやはり別物と言った気持ちが強いのです。ミウさんにも試食していただいたのですがしっかりと合格をいただきました。口に合うか少々不安でしたが良かったです。
パンについては引き続き作りつつも、下ごしらえは私もミウさんもすべて終わってしまいました。後は帰ってきたら仕上げをすれば大丈夫です。皆さんが帰ってくるまで後1時間半ほどあるのですがね。
料理に集中したおかげかミウさんの表情もいくぶんか和らいでいます。良い気分転換になったようで良かったですね。そんなことを考えていた時でした。
「おーい、おっちゃん。船見つかったってよー!!」
アル君の声が聞こえた瞬間ミウさんの表情が一変し、ギャレーから走って外へと出て行ってしまいました。幸い調理については終わっていますし、パンもあと30分ほどは1次発酵中ですので問題はありません。つけていたエプロンを外し私もアル君の元へと急いで向かいます。
「どこですか!? お嬢様はどこに!?」
「お、おおう」
後部デッキではミウさんがアル君が服を着ていればその胸ぐらを掴んでいたのではないかと思うような勢いで詰め寄っていました。そんな剣幕にアル君が戸惑っています。そして私のことを見つけたのでしょう。助かったと明らかにほっとした表情をアル君が浮かべます。
階段を下りミウさんの肩に手を置いて、軽くポンポンと叩きます。
「落ち着きましょう。そんなに詰め寄られてはアル君も答えにくいでしょう」
「……はい」
「ふぅ、助かったぜ。ありがとな、おっちゃん」
自分自身を落ち着けるために深呼吸をするミウさんの姿にアル君がほっと息を吐きました。確かにあれだけ詰め寄られたら怖いかもしれません。そんなことをされてミウさんに苦手意識でも出来てしまわないかとも思ったのですがアル君の表情はいつも通りですし特に思うところはなさそうです。
「それでアル君、どこで見つかったのですか?」
「ここから西に1キロくらいのところだって。今皆が集まってる」
「西、ですか……」
「ワタル様!」
「わかりました。船を移動させます。アル君も乗ってください」
後部デッキにアル君が飛び乗ったのを確認し操舵室へと向かいます。ミウさんも着いてきそうな勢いだったのですが、とりあえずここで待ってもらうことにしました。さすがに操舵室へは入れることは出来ませんからね。
舵を切り、進路を西へと向け走っていくとしばらくして前方に数名のローレライの方がおり手を振っているのが見えました。レバーを戻し惰性に任せてゆっくりと船を止めます。
後部デッキへと向かうとアル君が他のローレライの方々と話している途中でした。その様子をミウさんが不安げに見つめています。
「どうでしたか?」
「おう、多分間違いないって。船の中も見てみたらしいんだけど一部分だけ水が入ってないところがあるらしいぜ」
ミウさんの方を見るとこくりとうなずき、そして目を潤ませました。話に聞いた限り希少な魔道具らしいのでここに沈んでいる船が探していた船という事で間違いないでしょう。
「助けられそうですか?」
「多分できると思うけど、ちょっとな」
「何か問題でも?」
「いや、俺たちローレライだろ」
「ああ、そういうことですか」
アル君の気まずげな顔にすぐに理由に思い至ります。私は気にしていませんがミウさんたちの反応を見る限りローレライは恐怖の対象です。そんなローレライが助けに来たと言ってもそれを信じるはずがありません。と言うより言葉が通じないのですから助けに来たのかさえわからないでしょうね。
つまり話の通じる人が行く必要があるという事です。
「私が……」
「アル君、船が沈んでいるのは何メーターぐらいのところですか?」
「んっ?40メーターぐらいのところで横倒しになってるぞ」
ミウさんの言葉を遮り聞いてみれば案の定でした。いえ、船の計器でこの辺りの海底は大体そのくらいとは知っていたのですがね。
素潜りで行くには素人には絶望的な深さです。それがミウさんにもわかっているのでしょう。明らかに落ち込んでしまっています。変に飛び込んでいかないように釘を刺すつもりだったのですが少々やりすぎだったかもしれません。まあ事故になるよりはましですか。
「どうする、無理やり引っ張り出すならそうするぞ」
「いえ、呼吸の問題もありますし急浮上は人間には良くありませんからね」
「じゃあどうするんだよ?」
「大丈夫です。私に考えがあります」
頭に疑問符を浮かべたままのアル君と不安げに私の方を見ているミウさんににっこりとほほ笑みかけ準備のためにその場を後にするのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【便宜置籍船】
船を所有するには国家に所属する必要があり、普通に考えればオーナーの居住する国に所属すると考えられるのですが実際は別の国に所属する船も多くそれらの船を便宜置籍船と言います。
船舶登録が容易かつ安価に行え、船主となる会社をその国に設立すれば良く、その管理や解散も容易であるほか、外国人船員の配乗も容易だからです。
だからニュースなどで事故を起こした船はパナマ船籍ばかりだったりします。決してパナマの船がオンボロとかではありません。登録数が単純に多いのです。
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ブクマ、評価いただきました。ありがとうございます。




