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Scene.92「どうするかねぇ……」

 異能に目覚めたその日から、女の子の生活は劇的に変化してしまいました。

 大好きなお母さんから引き離され、一人ぼっちで光の刺さない暗い地下室に押し込められてしまったのです。

 そして、待っていたのは恐ろしい日々。

 かわるがわるやってくる男の人に乱暴に犯され、女の人には暴力を振るわれる日々。

 女の子の着ていた綺麗な服はびりびりに破かれてしまい、寒い地下室の中で身を守るものは何も与えられず、代わりに全身にはどろどろの濁った液体や、青痣にやけどの跡が増えていきました。

 日々の食事は、男の人たちが吐き出していった体液か、あるいはその日に村で出た残飯の毎日。まともに食べられるものが出てくることは、決してありませんでした。

 女の子には理解できませんでした。

 ほんの昨日まで、女の子の成長を自分の事のように笑い、喜んでくれた隣の家のおじさんや。

 女の子に毎日のように笑顔を振りまいてくれたお姉さん。

 そのほかの、まるで自分の家族であるかのように接し続けてくれていた村人たちが、どうしてこんなひどいことをするのか。

 暗い暗い地下室の中で、家畜か、あるいはそれ以下の生活を強いられる女の子。

 彼女には、理解できませんでした。

 どうして、自分がこんな目に遭ってしまうのか。

 それでも、女の子は信じていました。

 自分のことを愛し、育ててくれた、お母さんがいつの日か助けに来てくれることを。

 きっとお母さんが助けてくれる。その一心で、女の子は毎日の凌辱を耐え続けました。

 どんな時でも、優しく笑ってくれていたお母さんの笑顔。

 それが、それだけが女の子の支えでした。

 そして、そんな生活が一ヶ月ほど続いた、ある日の事でした――。






 元倉庫に、紅蓮の炎が這いまわる。

 渦潮か何かのように、駿を中心にグルグルと円を描き、その軌道上に存在するものを容赦なく灰へと還してゆく。

 近づく一切の存在を許さない、そんな劫火に向かい、暁は駆ける。


「おおおぉぉぉぉっ!!!」


 勇ましい叫び声を上げる暁の方を、駿はゆっくりと見やる。

 同時に、暁は地面を蹴り飛び上がる。

 暁のいた場所に火柱が上がった。数瞬でも飛び上がるのが遅れれば、暁もまた灰へと還っていただろう。

 だが、今暁がいるのは逃げ場のない中空。当然、ここにカグツチを打ち込まれれば……。

 駿が、ゆっくりと暁へと視線を合わせる。


「っらぁぁぁぁぁぁ!!!」


 瞬間、暁は勢いよく腕を振りかぶり、目の前の空間を叩く。

 叩かれた空間そのものが衝撃を発し、強烈な空間圧が駿を襲う。

 駿の周辺を渦回っていた紅蓮の炎が、一瞬にして消し飛んだ。


「………ッ!!」


 駿の表情が、揺れる。

 それは動揺か、驚愕か。

 いずれにせよ、確認する間はない。

 暁は地面に着地すると、そのまま駿へと駆け抜ける。


「っしゃぁ!!」


 拳を固め、最短距離で駿の顔面を打ち抜く。

 サイコキネシスでの強化込の一撃。常人であれば吹き飛んでそのままノックアウトされるようなそれを受けて――。


「………」


 ――なお、駿は立っている。

 暁が拳を打ちこんだ場所には、もうカグツチの炎が現れていた。

 今の一撃によって生み出された衝撃を、燃やされたのだ。


「チッ!」


 舌打ちと共に、暁は、自身にサイコキネシスをかけて一気に後方に飛び退く。

 紅蓮の炎の咢がその場に現れ、暁を飲み込もうと牙を剥く。

 暁は再び腕を振り上げる。


「ふっとべやぁ!!」


 二度目の、空間に対する攻撃。

 大きな音を立てて、暁に襲い掛かろうとしていた炎が吹き散らされる。

 炎の幕が刳り貫かれて現れた円の向こう。そこで、駿がゆらりと腕を上げた。


「ッ」


 予測される一撃に備え、駿はサイコキネシスの壁を展開する。

 熱と衝撃。二つのものがサイコキネシスの壁を叩いたのは、次の瞬間だった。


「ぐぉ……!」


 展開した壁が持ったのは、一秒以下の短い時間。

 壁はあっさりと打ち破られ、その向こう側にいた暁を、紅蓮の炎が強かに打ち据えた。


「づ、ぁぁっ!!」


 熱波に全身を焼かれ、爆風が体を軋ませる。

 何とか寸前で展開したサイコキネシスによって体を守った暁だったが、受けた衝撃で吹き飛び、まだ無事だったコンテナにぶつかる。

 飛行機雲か何かのように、暁の体で燃える炎が尾を引き、軌跡を描く。


「ぐぉっ……!!」


 コンテナに体を打ち込まれ、暁はうめき声を上げる。

 何とか意識を手放すまいとする彼を、駿は冷然と見つめていた。

 暁は、舌打ちと共に、体をコンテナから引きはがす。


「相変わらずクソッタレな能力だな、カグツチはよぉ……」


 体に未だ燃え残る炎を、サイコキネシスで吹き飛ばす。

 体の節々に痛々しい傷跡が見える。だが、不思議なことに何かが燃えた後、肌が焼け焦げたような跡は見えなかった。

 コキリと首を鳴らしながら、暁は駿を睨みつける。


「こっちの異能がまるで通じねぇ……。防御にしろ、攻撃にしろ……あっさり焼き尽くしちまうんだからよぉ……」


 そう。先ほどまでカグツチが燃やしていたのは、駿の体ではなく、その体からあふれ出るサイコキネシスの力だったのだ。

 暁は腕を上げ、軽くサイコキネシスを打ち込む。

 だが、その一撃が届く前に駿の目の前で小さな炎の爆発が起こる。

 カグツチが、サイコキネシスを燃やしてしまったのだ。

 目に見えないはずのサイコキネシスすらあっさり迎撃してみせるカグツチ。

 もはや異能自体が一個の生命体か何かなのかと錯覚しそうである。

 駿はゆらりと暁へと近づいてゆく。


「チッ。さて、どうするかねぇ……」


 舌打ちしながら油断なく駿を睨みつける暁。

 今の彼に、ショウタロウの相手をしていた時のような余裕はなく、憔悴した様子が窺えた。

 異能さえ燃やせるカグツチであるが、一つの炎で複数のものを燃やせない。衝撃であれば衝撃、人であれば人、そして異能であれば異能、といった具合に、生み出した炎一つにつき、必ず一つのものしか燃やすことはできない。人の着ている服は人と一緒に燃やせる、というようにある程度の纏まりであればまとめて燃やすことはできるが、異能を発している人間がいる場合、異能か人間しか燃やすことはできないのだ。

 暁はカグツチのその特性を利用して、自分の体が燃やされないように常にサイコキネシスの力場を纏って駿に接近を試みている。

 だが、勝ちの目がある戦いとは言い難かった。

 カグツチは異能と肉体を同時には燃やせないが、炎が生み出す熱や衝撃は普通に感じる。それを遮断できるサイコキネシスを燃やされてしまうため、暁は常に熱波と衝撃に耐えながら戦う必要がある。

 対して駿は、暁の攻撃を全く気にする必要はない。

 サイコキネシスの衝撃波も、本人の攻撃によって生まれる衝撃も、全てカグツチで燃やしてしまえばよいのだ。

 おかげで、戦いが始まってからダメージを受けているのは暁だけであった。


「毎度のことではあるが、辛いねぇ……」


 近づく駿から距離を取るように、暁は一歩引いた。

 ……光葉を失い、今の駿は極めて危険な状態に突入している。

 メアリーの一言が引き金となり、光葉に危機が迫っていると認識したのだ。

 人に向けられた悪意に光葉が反応するように、光葉の直接的な危機に駿は過剰反応する。

 彼女の身に危機が迫ると、文字通り我を失いその危機を全力で排除しようとする。

 こうなると、物理的に気絶させるか光葉の安全を確認させるかでしか、駿を静めることはできない。

 とはいえ、物理的に気絶させる方法は望み薄だ。

 過去、二度ほど同じ状態に陥ったことがあったが、その両方とも、光葉が駿を静める形で事なきを得ているのである。


「が、今回はそれすらも期待できないときてる……」


 駿が、一歩近づく。

 暁は、一歩下がる。

 光葉の居場所がわからない以上、何とかしなければ駿ごとタカアマノハラを沈められてしまう。

 だが、暁一人ではいかんともしがたい状況であった。


「……せめて、もう一人いりゃ囮位にゃつかえたかもしれんがね」


 小さく呟き、暁は拳を固める。

 彼の敵意に反応して、駿の周辺に炎が立ち上った。

 暁は覚悟を決め、跳躍に備えて体をかがめる。

 瞬間、駿の視線が動く。


切られた札(ワイルドカード)ッ!!」


 叫び声と同時に投擲された幾枚ものトランプが、幾度も瞬いて燃え尽きる。


「………古金」

「先輩! 無事ですか!?」


 暁が視線を向けると、傷だらけの啓太が手にトランプを持ち、そこに立っていた。

 油断なく構える彼を見ながら、暁はそちらへと近づいていく。


「なんで来た。いや、誰に言われてきた」

「会長です! 倉庫が爆発するのを見て、きっと先輩と、駿さんがいると……!」

「チッ。あの野郎……」


 舌打ちと共に悪態をつく暁。

 だが、来てしまったものは仕方がない。駿を必要以上に刺激しないように注意しながら、暁は問いを続ける。


「当の会長はどうした。逃げたか?」

「いえ! リリィを連れて、光葉さんを探しに……」

「あては」

「生徒会室にいる、美咲さんにも協力を仰ぐと……!」


 トランプを撒き、デコイ代わりにしながらの啓太の言葉に、暁は考える。


(一人じゃ率がなかったところに古金が来た。会長が美咲と協力して光葉を探している。……今の駿に対して、どっちが早い?)


 ゆらりゆらりと揺れる駿を見る。

 もはや意識があるかも疑わしい様子だが、カグツチは活発に燃えている。

 おそらく、反射による自動防衛は生きているだろう。

 問題は、啓太が駿との戦いにおいて、どれだけ活躍できるかだが……。


(……もともと遠距離型の古金なら、囮としちゃ充分。やれるな)


 暁は確信を持って頷く。

 遠くからトランプをばら撒くだけでも、デコイとしては十分。

 あとは、懐に飛び込むタイミングを掴めれば……。


「……古金。俺が突っ込む。援護しろ」

「はい!」


 暁の言葉に、啓太は力強く頷く。

 二人を待っていたわけではないだろうが、駿がゆらりと動き、腕を上げようとする。

 と、その時。

 巨大なサイコキネシスの力が、駿のいた場所を打ち据えた。


「………は?」


 突然の出来事に、暁の目が点になる。

 駿の真上から降ってきたその力は、ちょっとした家なら一発でぺしゃんこにするほどの威力を持ってタカアマノハラを打ち据える。

 が、その力の大半はカグツチによって燃やされ、無力化されてしまう。


「――やれやれね。手加減はしたけど、手は抜いたつもりはないのに……」


 あまりの事に口を開け、呆然とトランプを取り落す啓太の耳に、女の声が聞こえてくる。

 サイコキネシスが降ってくるのと同時に、タカアマノハラの大地に降り立った金髪碧眼の少女は、その髪を掻き上げながら暁の方へと振り向いた。


「お久しぶりね、アラガミ・アカツキ。あなたが来ないから、私が来てあげたわ」

「……呼んだ覚えはねぇぞ」


 ひどく頭痛のする頭を押さえ、暁はその名を呼んだ。


「……フレイヤ・レッドグレイブ」


 たおやかに微笑む少女は、暁に名を呼ばれ、微かに嬉しそうに頷いた。




 というわけで、英国最強がタカアマノハラに!

 そして光葉捜索部隊は、懸命の捜索を開始したのです!

 以下次回!

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