学校の片隅で、怒号を聞きながら女子トーク4
気が付いたらレイトリンは、大きな大きな木のてっぺんにいた。
※メタセコイア
樹高は生長すると高さ約30m。
見渡す限り、青が広がる世界。
どこよりも空に近い、木のてっぺんでアロイヒと二人きり。
……どうしてだろうか。
文字で表現すると、字面からひしひしと何が起きるかわからない系統の空恐ろしさを感じるのは。
元々が小高い場所にある城内の、更に巨木のてっぺんなので猶更空が近い。
そんな場所で頼りない、細い枝に足をかけて木の上に立つアロイヒくん(幼児)。
そしてそんな幼いアロイヒに抱きかかえられ、足場の頼りなさに全く気付いていないレイトリンちゃん(幼児)。
遥か彼方の地上から、レイトリンちゃんの名前を読んで泣き叫ぶ兄の声がかすかに聞こえた。
レイトリンが死んじゃうよおー!! そんな物騒な叫びに、慌ててお城の中から飛び出してくる親御さんの姿。兄の指さす先、豆粒のように小さく見える愛娘の姿に、お父様も絶叫した。
一般的なお子さんであれば、落下すればまず間違いなくお陀仏だ。
それがはっきりとわかる高みにいるだけに、ご家族は気が気じゃない。
我が子がナニかやらかしたな、と。
絶叫の原因は十中八九アロイヒだろうなと察しているからこそ足取り重く、エルレイク侯爵家の皆様も参集する……そしてアロイヒと一緒にレイトリンまでお空に近い場所にいることに気付き、こちらはこちらで絶叫した。
少々阿鼻叫喚☆じみてきた地上の嘆きも恐怖も、危地にいる幼子たちの耳には残念ながら届いていなかった。
地上の喧騒など、知らない。
晴れ晴れとした笑顔で、アロイヒは笑った。
「ほら、レイトリン! あんなにとおくまで見えるんだよ、ここから」
純粋な善意がそこにはある。
アロイヒの両腕に抱きかかえられたレイトリンは、だけど遠くの景色もいつもよりずっと空に近い青い世界にも目を向けず。
ただただ、至近距離にあるアロイヒの顔に見入っていた。
こんなに近くで、彼の顔を見たことは今までない。
初めて会った時から印象に残っていた、『おひさまの笑顔』が触れそうなほど近くに。
きっと下を見ていたなら、自分がどれだけ高く頼りない場所にいるのか気付いていたなら、幼いレイトリンだって泣き叫んだに違いない。
だけど彼女の目には、アロイヒの顔しか見えなかった。
それ以外は、目を向ける気も起きずに。
じっと、夢中で見つめていた。
結果としてアロイヒの顔以外見てなかったので、彼女が泣き叫ぶことはなかった。
むしろアロイヒと二人きりと言っても過言ではない状況に、気持ちはふわふわしていた。
ここでなら、きっと何時間でも。
時間を忘れて、いつまでだってレイトリンは過ごすことができた。
そんなことになったらお子さんの身柄を案じる大人たちの心労が凄まじいことになっただろうが。
やがて木のてっぺんの、『二人きり』も終わりを迎える。
親御さんの叫びが、アロイヒの耳に届いたからだ。
アロイヒのお父様の声が、先ほどまでよりも近くから聞こえる。
何のことはない。
地上からは声が届きにくいらしいと気づいたエルレイク侯爵が、一番近くにあった塔をダッシュで駆け上り、樹上の高さに一番近いところから根性入れて呼びかけたからだ。
「アロイヒ、アロイヒやー!!」
「あれ、どうしたんですか? おとうさま」
「危ないから下に下りなさいー!!」
木登りは、登るときより下りる時の方が危ないという。
この高さから落下した場合を考えると焼け石に水のような気もしたが、それでも万全に備えようといつしか気の真下には城内からかき集められた布団の類が積み上げられつつある。
使用人たちと、レイトリンのお父様まで汗だくになって何往復も。
必死に、せっせとマットや布団を積み上げる。
しかしアロイヒは、そんな下界の苦労も無駄にするかのように。
「わかりました、おります」
父の叫びにそう返し、アロイヒはあっさりと。
レイトリンを両腕に抱きかかえたまま、木から飛び降りた。
「「「あqwせdrftgyふじこlp-----!!!!!」」」
言葉にならない、お身内の方々の絶叫が今までで一番大きな叫びとなって唱和した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆彡
「――というようなことがありまして、以来、お父様とお兄様が『絶対にもう二度と、エルレイク侯爵家には連れて行かない』と……そのことをきっかけに、一度もお会いすることができずに今の今まで」
「うん、なんか色々凄いことを聞いた気がするんだけど、ひとついい? レイトリン、あなたなんで生きてるの?」
「シッ……考えなくてもわかるでしょ、アミーニア! 飛び降りたのも着地したのもアロイヒ・エルレイクよ?」
「いや、でも、レイトリンは普通の女の子だよ? いくらなんでも……」
「ちなみにレイトリン、幼い頃ってそれ幾つくらいの時のことかしら」
「確か、5歳くらいの頃ですわ」
「なんでレイトリン生きてるの? むしろアロイヒ・エルレイクってどうやったら死ぬの?」
「まあ、アミーニア様! アロイヒ様が死、なんて……不吉なことを仰らないで」
「不吉っていうけど何をどうやったって死にそうにないよ」
「それで改めて聞きますけど、幼いあなた方はどうやって地上に生還なさいましたの?」
「どうやってと仰られても……アロイヒ様が着地なさって、ですけれど」
「わー……エルレイク家の若君、人間離れしてるぅ。軽く私の予想以上に」
「普通死にますわよ」
「怪我すらしないとは……」
「怪我一つなかったとは、申しておりませんわ」
「えっ怪我したの?」
「はい、アロイヒ様が……医師の診断では、右足首を捻挫されて。全治5日間ほど」
「軽度じゃん! 怪我っていうけど軽傷じゃん!」
レイトリン嬢の話を聞いていた少女たちは思った。
果たしてアロイヒ・エルレイクは本当に自分達と同じ人間なのだろうか――?
大いなる疑惑が、少女たちの心に芽生えた瞬間であった。
自分の話が原因で、アロイヒ人外疑惑が発生したことなど露知らず。
レイトリンは切々と幼い時に起きた思い人との別れを語る。
話を聞いている他の少女達にしてみれば、突如発生した疑惑が大きすぎてもう恋バナとかそんな感じの雰囲気ではなかったけれど。
「お父様からもう二度とエルレイクのお城へは連れて行って下さらないとお聞きして、わたくしはアロイヒ様とお会いできなくなることに泣いてしまいましたの。お別れの時、そんなわたくしを見てアロイヒ様は言ってくださいましたわ。
――『鳥みたいに、僕らが空を飛べれば良かったのにね』 と」
その言葉の意図を、レイトリンはどう受け取ったのか。
うっとりとした眼差しを見れば、多分「空を飛べれば好きな時にすぐに会えるのに」とかなんとかそんな意味で受け取ったのだろう。
アロイヒ側の意図としては恐らく5歳にしてそんな恋愛的情緒がアロイヒに育まれている筈もないので、「空を飛べれば木から飛び降りてもこんなに怒られなかったのにね! 残念!」とかそんな感じなのだろうけれど。
幼い頃の別れに繋がる思い出すら、美しい思い出となっているのか。
それは美化されているのか、それともレイトリンの恋心が強靭過ぎるだけなのか。
時の彼方に過ぎ去った過去を振り返り、レイトリンはほうと溜息を吐く。
両手を胸に寄せ、切なげに溜息を吐く様は可憐の一言。
頭の中を占めているのがアロイヒへの恋心でさえなければ、真っ当な御令嬢なのに。
微妙な眼差しでレイトリンを見つめるお友達の耳に、その時。
開いていた窓から、裏庭の怒号が耳に突き刺さった。
「う、うわぁぁあああああああああああ!! あ、あいつやりやがった!」
「うっそぉぉおおお! ひぃちゃぁぁぁぁぁあん!?」
「せ、せんせー! アロイヒ君が、アロイヒ君がっ メタセコイア(全長30m)のてっぺんから飛び降りたぁぁぁぁ!!」
「あいつあんな能天気な顔してんのに世を儚むほど思いつめてたようには見えなかったのに!!」
「いや、おい、待て! アイツ……生きてるぞ!」
「え、うっそ。なんでアイツ無傷で生還!?」
「しかも平然と何事もなかったような顔で笑ってやがる!!」
「「「………………」」」
窓の外から聞こえてきた、状況がありありと手に取れるような叫びの数々。
つい今しがた聞き終えた、思い出話を彷彿とさせる状況に。
レイトリンは、ハッと顔を上げて窓の外を見た。
「も、もしや……アロイヒ様、わたくしとの思い出を覚えて……!」
感動したように潤む、御令嬢の瞳。
3人の少女たちはそっと目を逸らしながら、どうやって友人を正気に戻したものかと頭を抱えた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆彡
「アロイヒ、お前なんであんなところから飛び降りたんだ!」
「うん、心配かけてごめんね? 実は昨日、夜に林でモモンガを見かけて……」
「うっわぁお、この時点でなんかろくでもない話な気がする」
「僕、思ったんだ。同じ哺乳類なのにあんなに見事にモモンガは空を飛べるんだもの。僕だって……!」
「待て、アロイヒ。その決意は捨てろ。人間やめるには早すぎる! 挑戦するなら、生まれ変わって来世に挑戦するんだ!」
「志が大きすぎるよ、ひぃちゃぁん!!」
ちなみに5歳のみぎり、木から飛び降りたとレイトリンは思っておりましたが。
30m一気に飛び降りたのではなく、実際には3~4mずつ枝から枝へと飛び降りていった模様。
一切の躊躇もなく、息つく間もなかったので一気に飛び降りたと勘違いしたらしい。
あっという間だったので、足元が見えない状態(お姫様だっこ)のレイトリンにはそう感じられたようです。
とりあえずコレが、アロイヒが「今日は飛べる気がする」とか言いながら高所から飛び降りるようになった発端……的なナニかとなります。
そう、敢えて言いましょう。
奴の行動に、深い意味はないと……!




