ブレーキランプが照らす中、宇治正は紫煙を燻らせた。
その多種多様な楽器のレパートリーで構成された複雑な曲を若干16歳の少年が作り上げている事実に驚いたのは言うまでもない事だ。
元来、日本の音楽業界は世界から見れば孤立化はしているものの、国内で十分に大きく発展し今や多くの歌手が誕生しているわけであるが、未だ海外でめぼしい功績を残した者は数少ないと言っても過言ではない。
ただそんな世界への高い壁を打ち壊してくれるような逸材が現れたということに私は心底喜びを覚えた。
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静寂さと緊張が混和したような雰囲気に思わず固唾を呑む。やがてそれを切り裂くようにテレキャスターの音が鳴り始め、心臓を揺らすような低いベース音と殴られたような衝撃を感じるドラムの力強い音が重なり1つのメロディになる。
現在、東京藝術大学は軽音楽部の方々にご協力をお願いしてこの3つのパートの録音をしている状況だ。ギター、ベース、ドラムというこの曲の伴奏の要になるパートはぶれてはならない言わば柱であり、その柱に装飾として弦楽器や管楽器等々のメロディを乗せていくため妥協は許されない。
ただその心配も無用で、相手は音大生 並大抵の実力ではない。こちらの要望通りしっかりと緩急をつけて演奏をしてくれている他、難しいコードも難なく弾いてしまう。ギターを小さい頃からやってきている俺の立つ瀬が無くなるほどだ。
ハイレベルな演奏のおかげで予定よりもはやくこの3つのパートの録音は完了となり、次は弦楽器と管楽器の同時録音となった。
初めは弦楽器なら弦楽器と、それぞれ分ける予定だったが、今回は器楽科の相良教授が指揮をしてくれるわけなのでその腕を信頼して一気に録ってしまうことにした。
生まれてこの方初めて見る生の弦楽器と管楽器の演奏に少し胸を踊らせつつも、予め譜面は渡してあるものの正しく書けているかどうかという心配に汗を流す、なにせ今回初めて自分の書いた曲に管楽器と弦楽器のパートを組み込んだわけであるから、脳内のイメージ通りに出来ているかどうか非常に不安だある。
緊張のせいか心臓の鼓動が強く早くなる。
相良さんは台の上に立つと、右手に指揮棒を持ち力強く上から下へと振りさげた。
刹那、ホールに響く重厚な音 決してギターやベース等では出せないクラシックな高級感のある音に思わず圧倒される。
メロディが進むにつれ、自身の書いた譜面に間違いがなかったかを確認するも今のところそれは見受けられず、それよりも脳内で再生していた音よりもさらに深みと音の強弱がしっかりとついていて、いい意味で想像を超えてきた。
さすがは東京藝術大学 俺は録音の関係もあるので胸の内で盛大なスタンディングオベーションをした。
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「良かったでしょ、藝大」
「えぇ、流石の一言に尽きます」
レコーディングは思ったよりも早く終わった。かと言って現在の時刻は午後7時、日は沈み若干空が青く染まった時間帯だ。普通レコーディングというものは一日だけで終わるものでは無いと宇治正さんに教えられた。そこは藝大生の努力の賜物か、有難く短時間で済ますことが出来た。
そんな藝大生と別れた俺は現在宇治正さんの車に家まで送って貰っている。
「そのうち余裕が出来たら海外でのレコーディングも視野に入れてるから、楽しみにしといて」
「本当ですか?」
「もちろんだよ…ただレコーディング以外の仕事も海外でする可能性も大いにあるから観光する時間は多少、少なくなるだろうけど」
「海外に行けるだけでも十分ですよ」
「ところでなんでそんなに海外に行きたいわけ?」
「田舎にずっと居たからですかね…都会とか海外とかへの憧れが強いんですよ」
「早めに叶うといいね、世界一周旅行の夢」
「はい…」
沈黙が続く。
前方の車のブレーキランプが車内を赤く照らした。
「これは一方的に聞いてもらって構わないけれど…私はね、厳島くんの活躍を準決勝の時から見ていたんだ」
「…」
「すぐに思ったよ、この子は絶対スターになるって…案の定決勝進出からの優勝を決めちゃったからあの時は驚いたなぁ…」
「…」
「私はね…君を海外に連れていくどころか世界中どこいっても君の名前を聞けるようにしたいわけだよ」
「…」
「そのためにも…」
「…zzz」
「…寝ちゃったか…はぁ……………………頼むよ、我社の運命を君に委ねる」
宇治正はバックミラーから視線を落とす、ハンドルを回し窓を開けると、持っていたタバコを咥え燻らせた。
紫煙が淡い空気に霞んだ。
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草薙を初めて見た時、今後この男と関わり合うことは人生において皆無であろうと思ったのも無理はない。
全ての面において俺という人間と全く違う人種、確かに同じ日本人ではあるものの草薙が他の友人と話す時の内容に耳を立てたところでこちらとしては理解できないまるで異国語で話しているような印象を受けた。
互いの趣味が音楽ということは共通しているのに、好きな音楽も方向性も圧倒的に違った。
その時の俺はロックやら洋楽やらといったジャンル、対照的に草薙はアイドルソングばかりを聞いていたし、俺はミュージシャンよりも曲そのものに対する興味が強く、草薙は曲と言うよりそれを歌っているアイドルを応援することを趣味としていた。
ただそんな彼との直接的なファーストコンタクトはあまりにも腑に落ちないような、スッキリしない物だったのはここだけの話である。
俺はその日、無性に大をしたい気分であった。
大というのはもちろん人間であるならば誰しもがする、いや生物であるならば生理的に行われる言わば排出行為なわけであるが、その大をするためにトイレへと歩みを進めた。
できるならば他の生徒にトイレの個室に入るところは見られたくない。思春期の俺にとって理由ははっきりしないものの、なにか大を学校ですることに対して恥じらいを持っていた。が故に学校の校舎でもかなり人の来ない遠くに位置するトイレへ向かった。
先程から大がどうだとか連呼していて言うのはなんだか食事中の方は申し訳ない。
トイレへと到着した俺は早速中へと入り、個室のドアを開けた。いや正式には開けようとした。
ガタリという音を立てて扉は開けることを拒んだ、よく見てみるとドアノブの上には『使用中』の文字が赤々と書かれていた。
刹那、トイレを流す音が聞こえ扉が開いた。
これが草薙との初めての直接的な出会いである。その後、様々な紆余曲折があり俺と草薙は友人関係を構築するようになった。奴と親しく話したのは確か、大雨が降ったあの日だっただろうか。




