選ばれてしまった妃。
エピローグ
ミシェルはゆっくり身を起こす。
はだけた寝間着は柔らかな絹。
部屋は広いが、どこか冷たい。
窓は高く、外は見えない構造になっている。
太陽の位置も分からない。
朝か昼か、光の色でなんとなく判断するしかない。
ここは――
「第二王子妃だけの離宮」
王宮の敷地の一角、
深い森に包まれた小さな離宮。
周囲をぐるりと高い壁に囲まれ、
出入りできるのはただ一つ。
第二王子アルフレッドが持つ“鍵”だけ。
その離宮は第二王子宮と一本の橋でつながっている。
橋の向こうは衛兵詰所。
だがミシェルの存在を“妃”として認識している彼らは、
彼女を止めこそすれ、通すことは決してしない。
それが、この場所の役割だった。
◆
侍女が部屋に入ってきた。
痩せた少女で、
瞳に光がない。
口をきけず、文字も読めない。
誰にも秘密を漏らさないための選ばれた子。
彼女は無表情のまま、
朝食の膳を整え、
ミシェルの髪を整え、
必要最低限のことだけをする。
少女は声を持たない。
少女は読み書きもできない。
つまり――
ここでのミシェルは
誰とも 会話 ができない。
ひとりきりの妃。
「……ありがとう」
小さく言っても、少女はただ黙って頭を下げるだけだった。
◆
昼も、夜も、
離宮は驚くほど静かだった。
人の気配はほとんどなく、
風の音だけが高い壁に反響している。
そして、日が沈みかけた頃。
コツ……コツ……と靴音が橋を渡ってくる。
ミシェルはその音をもう聞き分けられるようになっていた。
アルフレッドが来る音だ。
扉が静かに開く。
アルフレッドが現れる。
第二王子としての威厳を纏いながら、
微笑むその顔は、どこまでも優しい。
その優しさが、
いちばん怖い。
「ミシェル。今日の体調はどう?」
「……いいわ」
微笑んで答えるしかない。
逆らえば、何が“変わる”か分からない。
変わらなかったとしても、怖い。
アルフレッドは手を伸ばし、
ミシェルの頬に触れた。
「良かった。君が元気でいてくれて」
触れ方は優しい。
けれど引かれれば、それは枷に変わる。
「……私、離宮の外へ……」
言いかけた瞬間。
「ミシェル…
それは、ダメだよ…」
アルフレッドは静かに首を振った。
胸が痛い。
逃げたい。
泣きたい。
でも泣くと、彼は悲しそうに笑う。
その笑顔を見るのがもっと怖い。
だからミシェルは今日も笑うしかなかった。
「……ええ。分かったわ」
アルフレッドは満足げに微笑む。
「いい子だ」
夕方から朝まで、
アルフレッドは離宮に滞在する。
朝になれば王宮へ戻る。
ミシェルはその間、
逃げることも、助けを呼ぶこともできない。
ただ――
待つだけ。
妃という名の、
世界にたったひとりの囚われ人として。
◆
「ミシェル。
君がいてくれて、本当に嬉しい」
今日も彼は、壊れ物を扱うように髪を撫でる。
劣情を孕んだ瞳でみつめ 優しく唇に触れる。
幾度となく熱に浮かされて
深く沈んでいく……
胸がぎゅっと痛む。
(…あの時…選択肢を間違えなければ…)
この場所は柔らかくて、暖かくて。
でも同時に――逃げられない。
“隠しルート”のバッドエンドの、その先。
現実で体験するには、あまりに重すぎる愛。
ミシェルは閉ざされた離宮の中
意識を手放した。




